"大正11年、幕開けの土下座から始まった女優の再起" 第9話
売れた切符と売れない
翌朝、座のは旅館の奥の部で現を数えた。倉を借りた費用と板の代、印刷代の部を引くと、元に残るはわずかだった。全員へ律のを払えば、次のの米さえ買えない。「それでも、初の何もないところから歩はんだ」と惣太が言った。おは笑ったが、宗の顔はれなかった。役者を連れて歩く座にとって、の飯が決まらないのは何よりつらい。
志乃は帳面を閉じず、未払いをずつ読みげた。菊の宿代、慎吾の印刷代、網元から借りた板の補修費。全員で聞くと、自分たちがいかにくのの仕事に支えられて度の台を作ったかが分かった。「次の公演をするなら、先に払う順番を決めましょう」と志乃は言った。宗が「座を信用しないのか」と問うと、志乃は首を振った。「信用しているから、座ひとりに背負わせたくないんです」
そのの午、福栄座からたな催促が届いた。初分の切符を購入した客の部が払い戻しを求め、劇は興師の黒川と座に応分の支払いを求めるという。相良は自分が売りを保管している点には触れず、契約に印がある以、座も責任を免れないといてきた。志乃は腹がったが、慎吾は「っても帳面はかん。客が誰にいくら払ったか、まず確かめよう」
広告
と言った。
は町を歩き、切符を買った客から半券や領収の控えを見せてもらった。売り券は黒川が直接売ったものだけでなく、福栄座の窓や協力した商で扱ったものもあった。志乃は、印を押した物とを渡した相を聞き分けた。には「そんな細かいことは覚えとらん」とるもいたが、商の帳面を見せてくれる者もいた。その作業は芝居の稽古よりで、ずっとがかかった。
夜、惣太が枚の切符を見せた。「これ、うちの母さんから送られてきたに挟まってたんです」。驚いて聞くと、母はりいから切符を買っていた。くへ稼ぎにた息子を台で見たくて、わざわざ来るつもりだったが、旅費がりず諦めたらしい。志乃は切符をにし、「お客さんはだけを払っているんじゃないね」と言った。誰がどんな気持ちで買ったのか、芸を見せる者はらないままではいけない。
数、慎吾が帳面の数字を照らしわせて、あるい違いに気づいた。福栄座の窓が売ったことになっている券の枚数より、商の控えに記された現受取額がい。窓で売った分と、別で受け取った予約がなって計されていたようなのだ。「これでは誰がいくら預かっているのか、わざと分からなくしているようなものだ」
広告
と慎吾は言った。志乃は劇の方向を見た。伊之助を失った今、台だけで相良へ対抗することはできない。必なのは役者の声だけでなく、誰も消せない勘定の筋だった。
帳面には、自分たちの活に必な物までかれていた。針本を買う、履の緒をすげ替える、くの親へをす切代。志乃は収入だけ見れば芝居が当たったようにえるでも、こうした細かな支が積みなると残りがないことをった。黒川へ任せた頃、役者は元へ渡されただけを数えていた。誰が何に払ったか聞くのは品がないと言われることもあった。しかし志乃には、支をることが品を失うこととはえなかった。むしろ見えない負担をへ渡したまま、等な台を言う方が恥ずかしかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第23話
白線の先の女たち
昭和三十九年、女子競輪が終わりを迎えようとしていた。三十四歳の佐伯久美子は、最後の地元決勝で優勝する。しかし彼女が真っ先に求めたのは、花束でも拍手でもなく、次の出走表だった。返ってきたのは、もう走る場所はないという答え。そんな久美子の前で、十九歳の新人・夏子は「私は来年も勝ちたい」と訴える。仕事、家族、怪我、そして失われた競走の舞台。走ることを諦められない女たちは、それぞれの暮らしを背負いながら、新しい一歩を探し始める。時代|歴史|昭和|ミステリー3.0万字5 16 -
完結第18話
剣を捨てない花嫁
八歳の春、父から「今日からお前は息子だ」と告げられた澄は、道場の跡取りとして剣だけを教え込まれて育った。だが十九歳の秋、待望の弟が生まれると、父は突然、借金の肩代わりと引き換えに彼女を久世家へ嫁がせてしまう。女らしい振る舞いができず、屋敷の人々に笑われる澄。そんな彼女に夫の春臣だけは優しかった。ある月夜、春臣から差し出された木刀を握った瞬間、二人の間に隠されていた七年前の縁が明らかになる。そして澄は、自分の婚姻にまつわる思いがけない秘密へと近づいていく。時代|歴史|親子関係|修羅場1.8万字5 44 -
完結第21話
昭和29年、棟梁が祝いの柱を割った理由
昭和二十九年、上棟式の朝。棟梁・源吉は、自ら建てた家の柱に異変を感じ、祝いの客の前で斧を振り下ろす。内部から現れたのは、黒く傷んだ木だった。 仕事も信用も失いかける中、娘が見つけた不自然な印と、材木置場の青年の証言から、粗悪材の印を改ざんして売る仕組みが明らかになる。しかし源吉自身も、十分に検品せず判を押していた。時代|歴史|昭和2.7万字5 681 -
完結第20話
桑の音が消えた村
昭和三十五年、信州の養蚕村で、蚕が一夜にして全滅する。唯一無事だったのは、昔ながらの方法にこだわり、村人から笑われていた七十八歳のトヨの蚕室だった。 疑いを向けられた祖母だったが、原因は共同散布された新しい薬剤にあった。しかも農事組合を率いる息子・慎造は、事前に危険性を知らされていた。時代|歴史|昭和2.5万字5 1761