みかん小説
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"昭和19年、三十二人が夕飯を拒んだ理由" 第20話

目の茶碗

正雄が京へ戻ったのは、のがたくなり始めた頃だった。川のは部が傷み、父の仕事も以のようにはいていなかった。妹はし背が伸び、母はやつれた顔で駅まで迎えに来ていた。正雄は母を見つけるとりし、い言えなかった「ただいま」を、ようやくにした。

の夕飯には、寺でべていたものとよく似た麦飯がた。母は「ごちそうは用できなかった」と申し訳なさそうに言ったが、正雄は首を振った。寺でも町でも、べ物をそろえることの変さをっていたからだ。妹が正雄の椀を見て「お兄ちゃん、もっとべて」と言うと、正雄は笑い、「おも緒にべよう」と答えた。

母は、寺での来事をゆっくり聞いた。で夕飯を拒んだこと、妙子がれへ移されたこと、先が受領に印を押してしまったこと。正雄は自分たちがしたことを、できるだけ正確に話そうとした。妙子のためだとっていたけれど、それだけではなかった。のも作業所のも、べるために苦労していたことを伝えた。

父は黙って聞いていた。最に「おはずいぶん難しいことを見てきたんだな」と言った。正雄はし考え、「先も違えたし、僕も違えた」と答えた。父はそれを聞いて頷いた。「違えないはいない。

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だけど、分からないままを責めるのは怖いことだ」。正雄は、父が印刷所で訂正した原稿を作り直すの顔をいした。

の初め、信州からが届いた。差はたかだった。の畑は今も楽ではなく、寺の台所もまだ忙しいという。しかししのは糧を受け取るたび、誰が何をどれだけ運んだか、そので双方に確かめてもらっているといてあった。正雄は文章の最を読んで笑った。「たかも毎、ちゃんとご飯をべています」。

そのしあと、節子からも便りがあった。保護者との連絡が取れ、ようやく帰る先が決まったという。正雄は机に通のを並べ、寺の記録帳をいた。昨の頁には、えた麦飯、汁の根切れ、そして「だけべていない」という自分の言葉が残されていた。隣の頁には、妙子の名と病院へった付がいてある。

正雄はしい頁へを取った。今の京で誰が何をべたかをこうとして、が止まった。寺をれても帳面をつけ続ける必があるのか、急に分からなくなったのだ。けれど母が台所から「正雄、お湯が沸いたよ」と呼ぶ声を聞いて、い直した。記録は、同じ違いをしないためだけのものではない。あの、自分を助けてくれたを忘れないためのものでもある。

数、正雄はになってから度、瑞寺を訪ねた。

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はし歩きやすくなり、寺の段にはしい苔がついていた。玄はを取り、しのは台所の隅で相変わらず忙しそうに働いていた。たかは背が伸び、の子どもたちに料理を教える伝いをしていた。正雄が「また皆で夕飯をべたい」と言うと、しのは笑った。

卓には何かのも加わった。正雄とたか、それに寺の仕事を伝う若い者たち。膳が並ぶと、正雄はわず数を数えた。しのがそれを見て、「まだ数えるの」と笑う。正雄はし照れた。「癖になりました」。しのはつめに用した椀を差しした。「誰か遅れてきてもいいように、今は余分にあるんだよ」。

正雄はその椀を受け取り、空いた所へ置いた。あの夜、の名簿だけを見ていたたちは、目のにいる誰かを数え忘れた。子どもたちもまた、自分たちの飯を守ろうとして、たかやしのの空腹を見落としていた。今、膳のには誰の名もかれていない椀がつある。それはりなくなるための椀ではなく、遅れてきたへ渡すための椀だった。

「いただきます」。正雄が言うと、皆が声をそろえた。麦と米の匂いが、静かな本堂へ広がっていく。正雄は自分の飯をべ終えたあと、空いた椀を見た。今も誰かがまだべていないのかもしれない。そうったら、黙って数をわせるのではなく、そのがどこにいるのか聞けばよい。

あののに覚えたことは、それだけだった。

※昭からの学童集団疎と糧を背景にした創作です。登物・寺院・政続・来事は架空です。

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