"昭和21年、米を没収された母が引き返した理由" 第13話
母の茶碗
がけても、べ物が急に豊かになったわけではなかった。昭の、澄子のでは麦飯に刻んだ根を混ぜ、汁の具をしずつ変えてべていた。けれど清の修理仕事は途切れず続き、澄子も千鳥母子寮で週に数働くようになった。の収入はくない。それでも働いた分がいつ受け取れるか分かるだけで、の計画をてやすくなった。
子は学へ通いながら、の計をさなにきつけていた。「今は薪を買うと、千代の履を直すがなる」と言い、父へ相談した。清は「先に履やな。薪は俺がの端材をもらえるか聞いてくる」と答えた。以なら、娘がこんなことをにすると、余計な配をするなと叱っていただろう。いまは緒に考えるようになった。
悟は、駅でらないに呼び止められると、すぐ母のをつかむ癖が残っていた。買いし列で見た警察官の制は、それほど怖かったのだ。澄子は自分も同じことをじるがあると気づいていた。で米袋を抱えるを見ると、田に呼び止められたの声がに蘇る。自分から交番へ戻ったことを悔しているわけではない。ただ、怖くなくなったわけでもなかった。
の半ば、絹からが届いた。字はきく、がし傾いていた。
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での話しいのこと、孝男が自分の責任を説するため調べに応じていること、澄子の紺の着物について今さらで償えるとはっていないことがかれていた。最に『悟さんに、もう度あやまりたい』とあった。澄子はを読んだあと、すぐには返事をかなかった。
夕のに、悟へを見せた。はしばらく読んでから、「僕は、まだ会いたくない」と言った。澄子は「分かった」と答えた。絹が本当のことを話したのなら、こちらも許さなければならないと、どこかで考えかけていた。しかし謝るの都で、怖い目に遭った子が笑顔をつくる必はない。悟はを畳み、机の端へそっと置いた。
田からもらせがあった。赤井運送と輪の荷の扱いについて調べがみ、組の造や孝男も、それぞれがしたことを説しているという。乳のき先のすべてはまだ分からない。部は町のを通じて売られ、何ものを渡ってしまった。封印の具が見つかったことはきかったが、そこから先はの証言や残った荷札をつずつ確かめるしかなかった。
澄子は自分の米について尋ねた。田は、米を取りげたの続きに従って扱われており、別の荷の問題を調べたことによって返されるものではないと改めて告げた。
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買いしのことは、必なら引き続き説しなければならない。澄子は「分かりました」と答えた。へ帰ってから、米を入れていた呂敷を引きしの奥から取りした。布には縛ったのい皺が残っていた。
「捨てるん?」と子が聞いた。
「いや。これからも使う」
「いすやろ、あののこと」
「いすわ。でも、使えるもんやから」
澄子は呂敷を洗い、竿へ掛けた。に揺れる紺を見ながら、交換した着物のことをいした。母から譲り受けた絹を、腹を空かせた子どもたちのために米へ替えた。あのの自分に戻れるなら、何を変えるだろう。米を買いにくこと自体は、やはりやめられなかったとう。ただ、絹が急に子どもへ何かを預けたら、今度はそので確かめるだろう。
休みに入る頃、千鳥母子寮では荷の受け取りを伝うが増えていた。片桐と澄子だけではなく、母親たちのからもずつ交代でち会うようになった。箱が着くと、まず数える。送り先と品名を確認し、けてから実際に渡せる量をき留める。何かわなければ、そのままにしない。誰かを疑うための仕事ではなく、届いたも送ったも困らないようにする仕事だと、澄子は考えるようになった。
ある、丹波から来た荷の数がつりなかった。運送の若い男は青ざめ、「倉庫で積み忘れたかもしれません」
と言った。以なら、片桐は受領印を押して待っていたかもしれない。だが澄子は落ち着いて「ここにあるのは箱です。箱とくわけにはいきません」と告げた。男は何度もをげたが、澄子は責めなかった。「確認してから、また持ってきてください」。翌朝、積み忘れた箱は、別の荷と緒に届いた。
「お母ちゃん、ちゃんと届いたんやな」と、その晩、悟が聞いた。澄子は「そうや。りんかったら、りんと言うたからな」と答えた。悟は茶碗を見つめ、「あの、僕も箱のこと先に言うたらよかったんかな」と言った。澄子は箸を置き、息子の顔を見た。「おは歳やった。が預けた箱を、どうしてこんなことになったんか分からんまま運んだ。それを責める気はない」。
「けど、お母ちゃん、米がなくなったやろ」
「なくなった。辛かったわ」
「じゃあ、やっぱり僕のせいで……」
「ちゃう。らん荷を子どもに預けたが、いちばん悪い。おが話してくれたから、私は戻って確かめられたんや」
悟はすぐには頷かなかったが、翌からしずつ、ので起きたことを話すようになった。学帰りに友だちとを投げたこと、坂で履の緒が切れたこと、千代が所の猫に名をつけたこと。澄子はそういう話を聞くたび、息子の毎がようやく事件かられ始めたのだとじた。
里枝の赤ん坊が寮へ戻ったのは、その頃だった。まだ体はさく、病院の指示に従って事を与えなければならない。里枝は澄子に会うと「お世話になります」と言いかけ、途で言葉を止めた。澄子も、何を言えばよいか分からなかった。は赤ん坊のい布団を緒にえ、当たりのよい窓辺へ移した。里枝は最に「清さんにも、赤ん坊が帰ったことは伝えてください」とだけ言った。
その夜、清へらせると、夫はく黙ってから「よかった」と言った。里枝が許してくれたと解釈しなかったことを、澄子は嬉しくった。清は翌も修理の仕事にかけ、帰宅すると千代の履を直した。幼い娘は父のをじっと見て、「痛ないん」と尋ねた。「し痛い。でもゆっくりならできる」と清は答えた。何でもできる父親ではない。それでも今は、自分のできる仕事を選んで働いていた。
のある朝、片桐から澄子へ、さな包みが渡された。「今のお礼です」と言う。澄子はそのでを確かめ、帰宅して子と緒に数えた。久しぶりに、族でしだけ米を買える目途がった。米はきちんと続きを踏んで受け取り、麦に混ぜて炊いた。釜の蓋をけると、い粒の混じった湯気がふわりとがった。
千代が嬉しそうに声をげた。「お母ちゃん、今、いご飯や!」
「いのは、ほんのしやけどな」
「ちょっとでもええ。見えるだけで嬉しい」
澄子は子どもたちの茶碗へ、できるだけ同じように盛った。清が「おの分も入れや」と言う。子も「先にお母ちゃんのをよそって」と言った。以なら澄子は「お母ちゃんは腹減ってへん」と笑っていただろう。けれどその夜は、自分の茶碗にも麦飯をよそい、族と同じ卓袱台へ座った。
「いただきます」と悟が言う。千代が真似をして、子が箸を取った。清はしだけゆっくりべた。では荷の音が通り過ぎ、向かいのから夕飯の匂いが漂ってきた。戦争が終わってから度目のになっても、町の暮らしはまだ苦しい。の釜に何を入れるか分からないも、きっと来るだろう。
それでも澄子は、あの、宝塚から引き返したを忘れないとった。米が戻ると信じて交番へったわけではない。自分の子どもが持たされた箱のことを、らないままにしたくなかったのだ。その歩から傷つけたもいれば、助かったもいる。失ったものはい。けれど、戻らなかったら見えなかったものもあった。
夕飯が終わりかけた、悟が言った。「母ちゃん、また荷物が届くんやろ」。澄子は頷いた。「せやで。今度は受け取ると緒に、ちゃんと数える」。悟は「僕にも数えられるかな」
と笑った。澄子は息子のにを置き、「数えるのはきなったらでええ。は学で、しっかり遊んでき」と言った。
子どもたちが笑い、千代が残った麦粒を箸で追った。澄子は空になりかけた釜を見て、最のを自分の茶碗へ入れた。族の分を減らさないでべるは、まだしだけ慮がった。それでも彼女は、今度こそ「腹は減っていない」とは言わなかった。
(終)
※この物語は、昭の糧難と買いし列を背景にしたフィクションです。物、運送業者、施設、事件は架空のものです。
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