"杉原千畝の査証を得た一家、母だけが出国できない" 第13話
の向こう側
に着いた、ミラが最初に見たのは、のさだった。港へ続くにも、にも、細いにもがいた。がみ、荷物を背負う男たちが歩き、子どもがり回っている。本の港とは違うい匂いが漂っていた。くまで来たとったのに、どこにも静かな終着駅は見当たらなかった。
へ逃れた難民には、すでにくこので暮らしている々もいた。アロンは紹介されたまいへ入り、共同のと狭い部を使うようになった。根裏より広いわけではない。けれど族が緒に寝られた。父は、部の窓が閉まることを何度も確かめた。母は最初の朝、所で糸を買えるを探し、ミラは弟との順を覚えた。
「ここが最の所?」とダヴィドが聞いた。
「今は、ここで暮らすの」と母が答えた。
「ずっと?」
「ずっとかどうかは、まだ分からないわ」
弟は肩をすくめた。もう、どこへくのかを聞くのに疲れたらしい。そののうちに、所の子どもたちとを使った遊びを始めていた。言葉が通じなくても、転がしたが溝へ落ちれば皆で笑う。子どものは、国境の向こうでも同じ速さでんだ。
父は計を直す仕事を探した。きなで雇ってもらうのは難しかったが、壊れた計なら、持ってくるがいた。
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母はさな裁縫仕事を引き受けた。ミラも伝ったが、には通訳の代わりに数字や名をき留めた。覚えた言葉がりないは、に絵を描いて説した。
仕事が増えたからといって、活がすぐ楽になったわけではなかった。米も麦も値が変わり、燃料を買うのに苦労した。には故郷を追われた々がく、誰もが限られた所で暮らしていた。
それでもは、曜にしだけをわせるようになった。父が修理途の計を片づけ、母が針を休め、弟がの友達を連れて帰る。ミラは古いを広げ、へ続く旅の図を見せた。子どもたちは、自分のっているを指でなぞり、そこにをつなぎたがった。
「図にないだってあるのね」とミラは言った。
弟が答えた。「でも、ないを描いちゃ駄目だよ。けなくなるから」
ミラは笑った。弟も、カウナスで姉が言ったことを覚えていたのだ。
の終わり、太平にも戦争が広がった。港やの空気は変わり、々は聞を読み、くからのらせを待った。国にいる族へをすことが難しくなり、届くはずの返事が来なくなった。ミラはエヴァ宛てのを持ち続けていたが、せる所をついに見つけられなかった。
「もう捨てた方がいいかしら」
母に尋ねると、母は縫い針を止めた。
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「なぜ?」
「渡せる相が、どこにいるか分からないから」
「渡せなくても、いたのあなたの気持ちはなくならないでしょう」
母はそう言って、封筒を娘へ返した。
次の、ミラはさな教で子どもたちに文字を教える伝いを始めた。正式な学の教師ではない。仕事のに、読むことを覚えたいへと鉛を渡すだけだった。弟も机へ座った。パヴェウにもらったいをしにして、練習用のがでばないようにした。
父がそれを見て言った。
「昔の先に見せたいな」
ミラはし考えて答えた。
「私は昔、国名を全部覚えればくへけるとってた。でも、らない言葉を読むだけじゃ駄目なのね。がそのをどう使えるかまで、考えなくちゃいけない」
父は修理した計を並べながら頷いた。
「械も同じだ。正しくくだけではりない。持っているの暮らしにわなければならない」
、では無国籍の難民たちに、指定された区域で暮らすよう命じる措置がとられた。アロンたちの活も、その制限のに置かれた。をるにも、仕事へくにも、以とは違う困難がじた。ミラは再び、窓のに並ぶ々を見た。カウナスで覚えた顔つきと、よく似ていた。
「またがいるの?」と弟が尋ねた。背は伸びていたが、声には子どもの頃の響きが残っていた。
「そうよ」とミラが答えた。「でも今は、私たちだけじゃない。皆で何が必か確かめよう」
共同のまいでは、物を交換し、仕事を分け、病気になったを訪ねる者がいた。分なべ物も薬もないが続くことがあった。ミラはるい話だけをでいしたくないとった。助けてくれたがいたという事実と、助けがりなかったという事実は、両方とも本当だったからだ。
父は仕事に使うさな具を、決して放さなかった。母の鋏も同じだった。が何度も危を越えた理由を、ミラはそれぞれの具に見ていた。だが具だけでは越えられないもあった。燃料がりず、父が計を直す指を温められないがある。母が針を持つを止めて、弟のを確かめる夜がある。具を働かせるには、がまできていなければならなかった。
、戦争が終わったというらせが届いた。の空気が急に軽くなったわけではない。なくなった物が突然戻ることもなかった。だが々はしずつ、い国の族や友の消息を探すことができるようになっていった。
同じ頃、ヨーロッパから、信じたくないらせも届き始めた。戦争のに、くのユダヤが迫害され、命を奪われたことがらかになっていった。ミラは聞の記事を読んでから、母の隣に座った。
「私たちは、何も置いてきた」
母は頷いた。
「エヴァたちがどうなったか、分からないままだわ」
「分からないことは、なかったことにはできないのよ」
母の声は静かだった。ミラは、っている名をつずつき始めた。エヴァ、パヴェウ、カウナスの宿の主、列で会った老、の赤ん坊とその母親。名をっているも、らないまま別れたもいた。
父が机へを持ってきた。「いせる範囲でいい。誰かの名が見つかれば、また線をつなげる」
ミラは夜遅くまでいた。確かではない部分には、確かではないと記した。っていることと願っていることを混ぜたくなかったからだ。
何も経って、アロンは再び移りむことになった。しい所で父は計を直し、母は裁縫を続け、弟はやがて自分の仕事を見つけた。ミラは、国語でかれたを読む伝いを頼まれるようになった。誰かが役所から届いた文のをりたい、彼女はまず相へ尋ねた。
「どこから来たですか。何を確かめたいのですか」
見慣れない印のあるをにしたの気持ちを、よくっていたからだ。
さらにいが過ぎた。杉原千畝が々を助けた為は、やがて各で語り継がれるようになった。ミラはその名を聞や々の話で聞くたび、カウナスのをいした。
自分は交官の胸の内をらない。彼が何を考え、どんな言葉をにしたかも、全部はらない。
っているのは、あの窓で受け取った査証がなければ、自分たちが本を通る旅を始めることはできなかったということだ。
〇代半ば、を取ったミラは、娘から「どうしてそんなに昔の類を捨てないの」と尋ねられた。机のには、何度も折りたたまれた古い図と、神戸でいたまませなかったがあった。いも、箱の底に残っていた。
「これを読むと、誰かが助けてくれたことをいすの」
「杉原さんのこと?」
「そうね。でも、それだけじゃない」
ミラは母の鋏を取りした。柄は磨り減り、もう切れもよくない。
「私たちの旅には、勢のがいたの。類を作るのを伝ってくれた、列の席を教えてくれた、寒い夜に毛布を分けてくれた、らない港で袖のほつれを見てくれた」
娘は静かに聞いていた。
「みんなの名は分かるの?」
「分からないの方がいわ」
「それなのに、覚えているの?」
「名は忘れてしまっても、してもらったことは覚えていられるのよ」
そう言ってミラは、カウナスで受け取った旅券の写しをいた。をねても、あの印を見れば胸がし苦しくなる。嬉しかったからではない。あの、まだ何つ終わっていなかったことをいすからだ。
「の通過査証だったの」とミラは娘に説した。「でも、私たちがきるために必だったのは、だけじゃなかった。そこから先も、毎、誰かがをつないでくれた」
娘は図を見た。線は途で幾度も途切れ、その先にまたしい線が引かれている。目をってから描いた図ではない。める所を確かめながら、つずつ描きした図だった。
「この点線は?」
娘が指さしたのは、ヴィルナから先へ伸びる細い線だった。
ミラはしばらく考えた。そこには、エヴァとパヴェウの名をさくいていた。彼女たちがどこへめたのかは、今も分からない。分からないということを、い、消さずに残してきた。
「これは、まだ誰かが続きをっているかもしれない線よ」
娘は頷いた。それから鉛を取り、母に尋ねた。
「このたちのこと、私もいていい?」
ミラは微笑んだ。「ええ。でも、分からないところは、分からないままいてね」
窓のでは、いつものの音がしていた。々が仕事にき、子どもが学へ向かい、誰かが買い物袋を提げて帰ってくる。昔のミラが何より望んだ、ありふれた朝の音だった。
彼女は机に置かれたさなを掌に載せた。は軽く、たかった。歳の弟が港まで持ってきた、友達との約束の印。返す相がどこにいるか分からなくても、弟は捨てなかった。
「昔、私、父に言ったのよ」とミラは娘に話した。
「何て?」
「査証をもらっても、助かるとは限らないって」
「そうだったの?」
「ええ。私は怖くて、先のことばかり考えていた。でも今なら、あのの父に別のことも言える気がする」
ミラは旅券をそっと閉じた。
「これで全部が終わるわけじゃない。でも、ここから始められるわ、って」
娘がその言葉をき留めた。ミラは何も言わず、文字がへ残るのを見つめた。誰かの未来を保証できる類はない。それでも、のが次の朝へむために、渡せるはある。
あの、カウナスでくの々が受け取ったのは、だけ本を通るための査証だった。けれど、そのの向こうに、何もの暮らしが続いていた。
(完)
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