"赤飯を炊いた朝" 第13話
赤飯の鍋
の初め、子の受験が終わった。結果がるまで週ある。子は「落ちたらどうしよう」と何度も言い、そのたび昭吉が「落ちたら、また考えればよか」と答えた。
私はその言い方が好きだった。なら、昭吉は「今は無理だ」と言っていたはずだ。
のを片づけるがづいた。私はに休みをもらい、族で器を箱に詰めた。は休みが取れず、来られなかった。
柱の背丈の線を見つけた子が、しばらくを止めた。
「ここ、消さんでいい?」
「建物は残るかもしれんけど、別ののものになるけんね」
子は指で線をなぞった。いちばんには「はるこ さい」と私の字でいてあった。
昭吉は台所の鍋をつずつ持ちげ、残すものと持っていくものに分けた。きな蒸し器を見つけると、私に聞いた。
「これはどうする」
赤飯を炊いた蒸し器だった。私はしばらく見てから答えた。
「持っていく」
「また赤飯を炊くとや」
「祝い事があればね」
昭吉は何も言わず、蒸し器を箱に入れた。
午、富子が来た。健も緒だった。は古い子を運びすのを伝ってくれた。健はけから職業訓練に通い始めていた。まだ仕事が決まったわけではないが、気の配線を習っているという。
「若い子ばっかりで、最初は嫌がっとったよ」と富子が笑った。
広告
「母ちゃん、余計なこと言わんで」と健が照れた。
私は富子とで、最にのを拭いた。畳の縁には、昔こぼした醤油の跡が残っていた。
「富ちゃん、うちがいなくなったら、洗濯はどうすると」
「まだ続けるよ。炭鉱がなくなっても、洗濯物はるけん」
「そうやね」
「でも、仕事は減った。だから、くの病院のも預かることにした。はかかるけど、今までと同じことばっかりしよっても仕方なか」
私は富子の顔を見た。あの赤飯の、富子は「く先があるだけが炊ける」と言った。今は富子自が、しずつしいを探していた。
「澄子さん」
「うん」
「私、あのは本当に腹がった。でも、あんたが先にていったから、うちも何かせんといかんとえたのかもしれん」
「そんなふうに言わんで。私は、自分のことしか見とらんかった」
富子は首を振った。
「それでよかもあるとよ。のことばっかり考えよったら、自分のがかんようになる」
私たちはしばらく黙ってを拭いた。昔のように何でも話せるわけではない。それでも、同じ所で緒に働けることが嬉しかった。
片づけの途、私は堂の帳面をもう度いた。最まで払えなかったの名が、まだ何か残っていた。額の横には、昭吉がいた《子修理》《樋》《薪運び》という文字もある。
私は帳面を破らなかった。
広告
借が消えたわけではない。でも、今ここでずつ訪ね歩いても、返ってくるより失うものがきい気がした。最のページに付をき、《まつや 営業終わり》と記した。
子がその帳面を見て、「持っていくと?」と聞いた。私はうなずいた。「今度、何かをすることがあったら、ちゃんと読み直すけん」。子は笑って、「そのときは、私にも見せて」と言った。
引っ越しの、堂の戸を閉めるに、昭吉が最の鍋をへ運んだ。のには所のが数集まっていた。誰かが「寂しくなるな」と言った。
私は「また来ます」と答えた。帰るはなくなっても、この町を度と訪れないつもりはなかった。
倉の借に荷物を入れた夜、子が台所で封筒を握っていた。
「お母ちゃん、学から来た」
否の通だった。子はまだけていない。
「緒に見て」
私は昭吉を呼んだ。で卓袱台を囲み、子が封を切った。のを読んだ娘は、しばらくかなかった。
「どうやったと」
昭吉が聞いた。子はを差しした。
「受かった」
私は娘を抱きしめた。昭吉は何度もを読み、最に「よう頑張ったな」と言った。
その夜、私は蒸し器をした。豆はまだ買っていなかった。の朝、米へこうとった。
けれど、ふとが止まった。
「お父さん。、赤飯を炊いてもよか?」
昭吉はし驚いた顔をした。
それから、ゆっくりうなずいた。
「子が受かったんや。炊いてやろう」
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
「清掃員の面接?」元看護学生が15年後に明かした正体
病気の母を支えるため、看護師を目指していた松田さえ。実習先の総合病院で、院長の娘・服部みな子から理不尽な扱いを受けていた。ある日、さえは入院患者の小さな異変に気づき、医師に報告して命を救う。しかし、みな子はその手柄を横取りしたうえ、悪意のある実習評価で奨学金まで打ち切らせてしまう。夢を奪われ、母にも本当のことを言えずにいたさえ。そんな彼女に、思いがけない人物が手を差し伸べる。そして十五年後、さえはかつて追い出された病院へ戻ってくる。職場逆転|人生逆転|第二の人生1.4万字5 749 -
完結第12話
結婚23年目、35万円を渡した妻が持ち帰ったもの
結婚23年目、妻の三重が久しぶりに山あいの実家へ帰りたいと言い出した。夫は母親との時間を楽しんでほしくて、35万円を持たせて送り出す。数日後、三重が持ち帰ったのは、古い着物とアルバム、そして母親からの一通の手紙だった。封筒には「今まで言えなかったこと」と書かれていた。手紙を読み進めるうちに、夫は妻が長年胸にしまってきた思いを知る。何不自由なく暮らしていると思っていた23年間。人生逆転|夫婦|相続|第二の人生|親子関係1.2万字5 39 -
完結第12話
雪道を走る父の約束
昭和46年12月。東京の運送会社で働く健造は、青森まで荷物を届ける長距離便に出発する。小学二年生の息子・誠に「明後日の晩には帰る」と約束し、手作りのお守りを胸ポケットに入れて、国道4号を北へ向かった。高速道路がなく、休む間も惜しんで走る運転手が多かった時代。雪の峠道、重いハンドル、厳しい納期に追われる健造は、深夜、激しい眠気に襲われる。早く荷物を届けたい。でも、家では息子が待っている。時代|歴史|昭和|親子関係1.1万字5 70 -
完結第12話
終電の次の駅は私の名前――ホームには亡き祖母がいた
都内の広告会社で働く28歳の佐伯美咲は、毎晩のように終電で帰る生活を続けていた。ある夜、車内で目を覚ますと、乗客は自分一人。窓の外に街の明かりはなく、車内放送は駅名ではなく人の名前を告げ始める。停車するホームに現れるのは、亡くなった同級生や懐かしい祖母。そしてついに、放送が美咲自身の名前を呼んだ。右の扉の向こうで手招きする祖母と、姿の見えない運転士。美咲はこの不思議な終電から、元の世界へ帰れるのか。疲れ切った日常に忍び込む、少し切ない怪異譚。日常ホラー|職場逆転|祖父母と孫|第二の人生1.1万字5 140 -
完結第10話
144枚の給与明細
金型の仕上げ職人として20年以上の経験を持つ宮下明。会社の危機を救うほどの腕前を持ちながら、12年間、月給は19万円のままだった。それでも創業者への恩を忘れず、黙々と働いてきた宮下だったが、ある日、専務から突然の配置転換を命じられる。職人としての誇りを踏みにじられ、退職を決意した翌朝、会長が自宅へ駆けつけてきた。「年収1200万円では足りないのか?」――その一言から、会社の金をめぐる不可解な事実が明らかになり始める。職場逆転|第二の人生|修羅場1.7万字5 809 -
完結第10話
消えた卵の秘密
茜の家では、父の再婚相手・美津江が届けてくれる卵が、なぜか毎回なくなっていた。夜中につまみ食いをする夫の陽斗を疑っていた茜だったが、ある日、卵をこっそり持ち出す小学一年生の娘・凛を目撃する。「急に卵が嫌いになった」と泣く娘。しかし、いつもは素直な凛の様子はどこかおかしかった。そんな中、美津江から再び大量の卵が届く。茜は娘のために手作りプリンを用意するが、それを食べた美津江は、材料を聞いた途端に顔色を変えてしまう。娘が必死に隠していた秘密とは、いったい何だったのか。祖父母と孫|真実|真相|第二の人生1.4万字5 668 -
完結第12話
姑から受け継いだしゃもじ
昭和33年、山形の農家に嫁いだ19歳のふみ。見合い相手とは一度会っただけで、夫の家には厳しい姑・としが待っていた。朝4時半から始まる家事と農作業。台所も財布も姑が取り仕切り、ふみに自由はほとんどなかった。夫の出稼ぎ、子どもたちの成長、東京オリンピック、農村の暮らしの変化。長い年月を同じ屋根の下で過ごすうち、ふみは厳しい姑の知らなかった一面に触れていく。嫁として生きた女性が、次の世代へ何を残すのか。時代|歴史|昭和|嫁姑|夫婦1.2万字5 192