"同窓会で「席はない」と笑われた私に、若女将が一礼" 第2話
ぼうきと本の話
話は、ひとのの初めへとさかのぼる。
あいの朝はえ込みがく、の空がようやくみ始める頃、松乃の玄関先にはまだ夜の気がしんと淀んでいた。
の朝は、いつもその暗がりので始まる。
染めの作務にを包み、使い込まれたぼうきを本に取ると、旅館の正面玄関から畳のアプローチ、そして川沿いのに至るまで、落ち葉の片も残さぬように丁寧に掃き清めていく。
温泉旅館『松乃』。
清流のほとりに佇むこの宿は、創業から百の歴史を誇る老舗だった。が歳の、この宿の若旦だった野宗郎のもとへ嫁いできてから、実にのが流れていた。
でを取りい、度経済成期の忙しさも、バブル崩壊の苦しい期も、族丸となって宿の簾を守り続けてきた。
、最の夫だった宗郎が静かに息を引き取ってからは、息子の浩が館主を継ぎ、その嫁である苗が若女将として宿の切り盛りをに引き受けている。
浩も苗も、の体を気遣って「もう女将はお部でゆっくりしていてください」と何度も言ってくれた。だが、はこの毎朝の玄関掃除だけは、頑として誰にも譲らなかった。
「お義母さん、おはようございます。
広告
またおで掃いていらしたんですか。私に任せてくださればいいのに」
本館の引き戸がき、割烹着姿の苗がりで駆け寄ってきた。
「いいのよ、苗さん。これをしないとね、なんだかがしゃきっと始まらないのよ」
はぼうきを止め、髪の混じった髪をそっと直して微笑んだ。
「お義母さんの掃いたの畳は、本当に清々しくて気持ちがいいです。……あ、そうだ、お義母さん。来の、仮押さえになっていた広のご宴会ですが、正式にご予約が確定いたしました。古希の同窓会で、名様のご宿泊です」
「古希の同窓会……まあ、賑やかになりそうね」
「はい。それでですね、幹事様のお名が麗子様とおっしゃる方で……。ご所とおを拝見しましたら、お義母さんと同じ元ののごのようだったんです」
のが、ほうきのでぴたりと止まった。
「……麗子さん」
胸の奥で、埃をかぶっていた古いアルバムの頁が、ぱらりとめくられたような気がした。
麗子。旧姓、佐伯麗子。
代の、ずっと同じクラスで机を並べていた同級だった。
成績は常に学トップ。きな呉の娘で、誰もが振り返るような華やかな美貌を持ち、常にクラスのにいなければ気が済まないだった。そして何よりも、に負けることを病なまでに嫌うだった。
広告
そのの午、が暮らしている旅館の敷奥のさなれに、通の封が届いた。
郵便受けから取りしたの表きには、達なペン字で『川様』とかれていた。の、懐かしい旧姓だった。
封を切って案内状をくと、そこにはこう記されていた。
『古希を記し、ぶりの再会を祝う同窓会を催いたします。会は元の名旅館・松乃様を押さえました。会費万千円は、準備の都、当までに会の松乃様へ各自直接お振り込みください』
「まあまあ……うちに振り込むのね」
はわず声をてて笑ってしまった。
そのの夕暮れ、は息子の浩と若女将の苗を、れの居へと招き入れた。
急須から温かいお茶をの湯呑みへ注ぎ分けながら、はし照れくさそうに切りした。
「にお願いがあるの。来の同窓会、私、普通のお客として席させてもらおうとうのよ」
浩がお茶にをつけながら、驚いたように目を瞬かせた。
「母さんが? そりゃもちろん歓迎だけど……みんなには言わないのかい? 母さんがこの松乃の女将だってこと」
「ええ。言わないでおいてほしいの」
は仏壇のに飾られた、穏やかな笑顔を浮かべる宗郎の遺にそっと目を向けた。
「お父さんがね、昔、よく言っていたでしょう。
『同窓会にくときは、ただの昔の同級でいたい。仕事の肩きやの事なんて、玄関先に脱ぎ捨ててくればいいんだ』って」
宗郎もまた、と同じのクラスメイトだった。
けれど、若い頃から旅館の仕事は無休で、とも同窓会に顔をす会など度もなかった。「いつかが空いたら、でゆっくり顔をそうね」と約束しっていたのに、宗郎は古希を迎えるに、病で旅ってしまったのだ。
「お父さんの代わりに、ってこようとうの。誰の妻でもなく、女将でもなく、ただの川としてね」
浩と苗は顔を見わせ、やがて優しく微笑みって頷いた。
「分かりました。お義母さんがそうおっしゃるなら、帳の者たちにも止めしておきますね」
翌朝、はの窓へ向き、会費の万千円を、の同級たちとまったく同じように、自分の旅館の振込先座へと振り込んだ。のことだった。
そしてそのの昼がり、松乃の帳の黒話がけたたましく鳴り響いたのだった。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
戸籍の中のもう一人の妻
海外赴任中の夫・健太に頼まれ、横浜の区役所を訪れた結衣。ところが戸籍の配偶者欄には、見知らぬ女性の名前があった。しかも婚姻日は、結衣が入院した母の看病に追われていた去年の夏。七年間信じてきた夫は、イギリスで別の女性と暮らしながら、日本では何食わぬ顔で優しい夫を演じ続けていた。さらに、二人で貯めたお金まで使われていたことが分かる。結衣は夫を問い詰めず、静かに証拠を集め始めた。夫が積み重ねてきた嘘を、彼女はどう暴いていくのか。人生逆転|裏切られた|夫婦|絶縁|不倫1.3万字5 22 -
完結第12話
「寄付は千円ぽっち」笑われた老夫婦の30年の秘密
町内会の夏祭りで、寄付が千円しかないと笑われた68歳の静子。古い自転車に乗り、夫の勉と慎ましく暮らす彼女は、婦人会長から「ケチな人」と見下され、記念式典の受付役まで外されてしまう。それでも静子は言い返さない。夫婦には、30年間、毎月15日に欠かさず続けてきた秘密の約束があった。やがて婦人会の記念式典に、育英基金の支援で大学を卒業した青年が現れる。青年が大切に持っていた一通の手紙をきっかけに、会場の空気が思いがけない方向へ変わり始める。人生逆転|夫婦|真実|金銭問題1.9万字5 509 -
完結第12話
半額を迫る料亭女将、クビにした社員が電話を切った結果
小さなおしぼり会社「双葉物産」を経営する正は、大口取引先の高級料亭「よし乃」の女将から、突然「半額にしなければ契約を切る」と迫られる。会社を守るため要求をのもうとした瞬間、昨日クビにしたばかりの問題社員・刑事が受話器を奪い、勝手に取引を断ってしまった。倒産の危機に頭を抱える正。ところが数日後、強気だった女将に思わぬ事態が起こる。口が悪く、金の使い込みまでしていた元従業員は、いったい何を考えていたのか。弱小企業と高級料亭の立場が一変する、痛快な逆転劇。職場逆転|因果応報|人生逆転|金銭問題1.1万字5 301 -
完結第12話
150万円を払わせたママ友、次は寿司300万円
夫の昇進祝いで家族とレストランを訪れたひまり。楽しい食事の最後に告げられた会計は、なんと150万円。原因は、顔見知り程度のママ友・ぽて子一家が大量の料理を注文し、勝手にひまりへ支払いを押しつけたことだった。仕方なく立て替えたものの、返金を求めると渡されたのは、まさかのポテトチップスの空袋。しかも数日後、ぽて子は高級寿司店で新たな計画を立て始める。「ママ友なんだから払って当然」と言い張る一家に、ひまりが取った行動とは?因果応報|夫婦|真相|親子関係|金銭問題|修羅場1.2万字5 81 -
完結第10話
離婚して10年、元夫が鍵を替えなかった理由
二十二年間連れ添った夫・正彦の無口さに耐えきれず、四十八歳で離婚したみつ恵。それから十年後、正彦が脳梗塞で倒れたと娘から連絡が入る。入院に必要な荷物を取りに、かつての自宅を訪ねたみつ恵は、返しそびれた合鍵で玄関が開くことに驚く。なぜ十年も鍵を替えなかったのか。部屋には、昔と変わらない食器や、みつ恵が置いていったスリッパが残されていた。やがて見つけた一通の手紙には、二十二年間聞けなかった夫の想いが綴られていた。別れた二人は、もう一度向き合えるのだろうか。夫婦|第二の人生|介護|退職金|熟年離婚1.3万字5 120 -
完結第12話
結婚23年目、35万円を渡した妻が持ち帰ったもの
結婚23年目、妻の三重が久しぶりに山あいの実家へ帰りたいと言い出した。夫は母親との時間を楽しんでほしくて、35万円を持たせて送り出す。数日後、三重が持ち帰ったのは、古い着物とアルバム、そして母親からの一通の手紙だった。封筒には「今まで言えなかったこと」と書かれていた。手紙を読み進めるうちに、夫は妻が長年胸にしまってきた思いを知る。何不自由なく暮らしていると思っていた23年間。人生逆転|夫婦|相続|第二の人生|親子関係1.2万字5 846 -
完結第14話
赤飯を炊いた朝
昭和38年、福岡県筑豊の炭鉱町。閉山が告げられた朝、食堂を営む澄子は赤飯を炊いた。坑夫の夫・昭吉は激怒し、同じ炭鉱で働く息子も母を責める。町では「閉山を喜んでいる」と噂され、長年の友人からも拒まれてしまう。 けれど澄子には、どうしても赤飯を炊きたかった理由があった。仕事を失う夫、炭鉱に残ろうとする息子、看護婦を夢見る娘。店の経営も苦しくなるなか、澄子は家族のこれからを考え始める。時代|歴史|昭和|第二の人生2.6万字5 77 -
完結第12話
終電の次の駅は私の名前――ホームには亡き祖母がいた
都内の広告会社で働く28歳の佐伯美咲は、毎晩のように終電で帰る生活を続けていた。ある夜、車内で目を覚ますと、乗客は自分一人。窓の外に街の明かりはなく、車内放送は駅名ではなく人の名前を告げ始める。停車するホームに現れるのは、亡くなった同級生や懐かしい祖母。そしてついに、放送が美咲自身の名前を呼んだ。右の扉の向こうで手招きする祖母と、姿の見えない運転士。美咲はこの不思議な終電から、元の世界へ帰れるのか。疲れ切った日常に忍び込む、少し切ない怪異譚。日常ホラー|職場逆転|祖父母と孫|第二の人生1.1万字5 160