"同窓会で「席はない」と笑われた私に、若女将が一礼" 第8話
静まるロビーと若女将の帳面
「……振り込みましたよ。先のに」
が穏やかに答えると、麗子は待ってましたとばかりに、赤いサインペンで太く塗りつぶされた座席表を突きつけてきた。
「あら、そう? でも見ての通り、確認が取れなかったから赤い線で消しちゃったのよ。それにあなた、ここで仲居さんとして働いてるんでしょう? お布団運びで忙しいなら、無理して席に着かなくてもいいじゃない」
隣の恵子がくすくすと笑い、周囲の同級たちも気まずそうに顔を見わせている。
「皆さんにお茶やお酒を運んでくれるなら、宴会の片隅につ、席を作ってあげてもいいけれど。どうする?」
ややかな嘲笑が受付の周りに満ちていく。
親友の友子が「麗子さん、いい加減にしなさいよ!」とに踏みそうとした、まさにその瞬だった。
トントントン、と磨きげられた廊をりに駆けてくる履の音が響いた。
「女将! こちらにいらっしゃいましたか!」
若女将の苗だった。
仕てのいい若の訪問着の裾を乱すこともなく、苗はのに滑り込むようにち止まると、両を膝について、く、く礼した。
「お席のご用、広の番良い所にっております。どうぞへお入りくださいませ」
ロビーの喧騒が、潮が引くようにピタリと止まった。
広告
誰もが言葉を失い、ぽかんとをけて苗とを交互に見つめている。
「……え?」
麗子のから、抜けな掠れ声が漏れた。
「だ、女将……? ちょっと、若女将さん、何を言ってるのよ。このはうちの同級で、ここで仲居のパートをしてる川さんよ?」
苗はすっと背筋を伸ばし、凛としたち居振るいで麗子に向き直った。その差しには、宿を預かる女将としての毅然とした威厳が宿っていた。
「申し遅れました。松乃の若女将、野苗でございます。そしてこちらにおわしますのは、当館の先代館主・野宗郎の妻であり、現館主の母、当館の女将・野でございます」
「野……宗郎さんの……?」
ロビーのあちこちから、さな鳴のようなざわめきががった。
苗は脇に抱えていた黒革の宿帳をパッとき、麗子の目のに差しした。
「様。今回の同窓会の会費は、皆様から直接当館の座へお振り込みいただくはずとなっておりましたね。女将の会費万千円は、先の、番最初にご入の確認が取れております。こちらがその入記録の控えでございます」
帳面の付欄には、の午分というとともに、『振込名義:野(旧姓:川)』の文字がはっきりと刻まれていた。
「女将のお席は、葉の渓が最も美しく見渡せる窓際の等な所に、すでにご用してございます」
広告
苗の淀みのない言葉に、麗子の顔がみるみるうちに気へと変わっていった。
唇が刻みに震え、に持っていた赤いサインペンが、指先からポロリと机のに転がり落ちた。
「な……なによ、それ……」
麗子は引きつった顔でを睨みつけ、震える声をしぼりした。
「聞きが悪いじゃないの! 女将なら女将って、最初からそう言えばいいでしょう!? 駅の喫茶でも何も言わないで……わざと黙って、私に恥をかかせるつもりだったの!?」
逆する麗子に対し、はしも声を荒らげることなく、ただ優しく目を細めて首を横に振った。
「そんなつもりは、毛ないわよ、麗子さん。私はね、今ここに、女将として来たかったわけじゃないの。ぶりに、ただの川として、みんなと緒に懐かしいいを語りいたかっただけなのよ」
はそう言うと、受付の机に向かって、丁寧に、々とをげた。
「幹事のお役目、本当にご苦労さまです。もの連絡先を調べて、こんな素敵な会をいてくださって、から謝しているのよ。今はどうぞ、よろしくお願いいたしますね」
切の嫌も棘もない、からの労いの言葉。
その温かさに打ちのめされたように、麗子は言葉を失い、ただ唇を噛み締めてち尽くすしかなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
戸籍の中のもう一人の妻
海外赴任中の夫・健太に頼まれ、横浜の区役所を訪れた結衣。ところが戸籍の配偶者欄には、見知らぬ女性の名前があった。しかも婚姻日は、結衣が入院した母の看病に追われていた去年の夏。七年間信じてきた夫は、イギリスで別の女性と暮らしながら、日本では何食わぬ顔で優しい夫を演じ続けていた。さらに、二人で貯めたお金まで使われていたことが分かる。結衣は夫を問い詰めず、静かに証拠を集め始めた。夫が積み重ねてきた嘘を、彼女はどう暴いていくのか。人生逆転|裏切られた|夫婦|絶縁|不倫1.3万字5 22 -
完結第12話
「寄付は千円ぽっち」笑われた老夫婦の30年の秘密
町内会の夏祭りで、寄付が千円しかないと笑われた68歳の静子。古い自転車に乗り、夫の勉と慎ましく暮らす彼女は、婦人会長から「ケチな人」と見下され、記念式典の受付役まで外されてしまう。それでも静子は言い返さない。夫婦には、30年間、毎月15日に欠かさず続けてきた秘密の約束があった。やがて婦人会の記念式典に、育英基金の支援で大学を卒業した青年が現れる。青年が大切に持っていた一通の手紙をきっかけに、会場の空気が思いがけない方向へ変わり始める。人生逆転|夫婦|真実|金銭問題1.9万字5 509 -
完結第12話
半額を迫る料亭女将、クビにした社員が電話を切った結果
小さなおしぼり会社「双葉物産」を経営する正は、大口取引先の高級料亭「よし乃」の女将から、突然「半額にしなければ契約を切る」と迫られる。会社を守るため要求をのもうとした瞬間、昨日クビにしたばかりの問題社員・刑事が受話器を奪い、勝手に取引を断ってしまった。倒産の危機に頭を抱える正。ところが数日後、強気だった女将に思わぬ事態が起こる。口が悪く、金の使い込みまでしていた元従業員は、いったい何を考えていたのか。弱小企業と高級料亭の立場が一変する、痛快な逆転劇。職場逆転|因果応報|人生逆転|金銭問題1.1万字5 301 -
完結第12話
150万円を払わせたママ友、次は寿司300万円
夫の昇進祝いで家族とレストランを訪れたひまり。楽しい食事の最後に告げられた会計は、なんと150万円。原因は、顔見知り程度のママ友・ぽて子一家が大量の料理を注文し、勝手にひまりへ支払いを押しつけたことだった。仕方なく立て替えたものの、返金を求めると渡されたのは、まさかのポテトチップスの空袋。しかも数日後、ぽて子は高級寿司店で新たな計画を立て始める。「ママ友なんだから払って当然」と言い張る一家に、ひまりが取った行動とは?因果応報|夫婦|真相|親子関係|金銭問題|修羅場1.2万字5 81 -
完結第10話
離婚して10年、元夫が鍵を替えなかった理由
二十二年間連れ添った夫・正彦の無口さに耐えきれず、四十八歳で離婚したみつ恵。それから十年後、正彦が脳梗塞で倒れたと娘から連絡が入る。入院に必要な荷物を取りに、かつての自宅を訪ねたみつ恵は、返しそびれた合鍵で玄関が開くことに驚く。なぜ十年も鍵を替えなかったのか。部屋には、昔と変わらない食器や、みつ恵が置いていったスリッパが残されていた。やがて見つけた一通の手紙には、二十二年間聞けなかった夫の想いが綴られていた。別れた二人は、もう一度向き合えるのだろうか。夫婦|第二の人生|介護|退職金|熟年離婚1.3万字5 120 -
完結第12話
結婚23年目、35万円を渡した妻が持ち帰ったもの
結婚23年目、妻の三重が久しぶりに山あいの実家へ帰りたいと言い出した。夫は母親との時間を楽しんでほしくて、35万円を持たせて送り出す。数日後、三重が持ち帰ったのは、古い着物とアルバム、そして母親からの一通の手紙だった。封筒には「今まで言えなかったこと」と書かれていた。手紙を読み進めるうちに、夫は妻が長年胸にしまってきた思いを知る。何不自由なく暮らしていると思っていた23年間。人生逆転|夫婦|相続|第二の人生|親子関係1.2万字5 846 -
完結第14話
赤飯を炊いた朝
昭和38年、福岡県筑豊の炭鉱町。閉山が告げられた朝、食堂を営む澄子は赤飯を炊いた。坑夫の夫・昭吉は激怒し、同じ炭鉱で働く息子も母を責める。町では「閉山を喜んでいる」と噂され、長年の友人からも拒まれてしまう。 けれど澄子には、どうしても赤飯を炊きたかった理由があった。仕事を失う夫、炭鉱に残ろうとする息子、看護婦を夢見る娘。店の経営も苦しくなるなか、澄子は家族のこれからを考え始める。時代|歴史|昭和|第二の人生2.6万字5 77 -
完結第12話
終電の次の駅は私の名前――ホームには亡き祖母がいた
都内の広告会社で働く28歳の佐伯美咲は、毎晩のように終電で帰る生活を続けていた。ある夜、車内で目を覚ますと、乗客は自分一人。窓の外に街の明かりはなく、車内放送は駅名ではなく人の名前を告げ始める。停車するホームに現れるのは、亡くなった同級生や懐かしい祖母。そしてついに、放送が美咲自身の名前を呼んだ。右の扉の向こうで手招きする祖母と、姿の見えない運転士。美咲はこの不思議な終電から、元の世界へ帰れるのか。疲れ切った日常に忍び込む、少し切ない怪異譚。日常ホラー|職場逆転|祖父母と孫|第二の人生1.1万字5 160