"レモングラスの下の悪臭" 第1話
晩のがやんだばかりの京は、濡れたアスファルトの匂いを夜に含ませていた。世田の宅に建つ3階建てのは、いつも通り窓にかりをともしていた。から見れば、そこは穏やかな庭そのものだった。
私の名は渡辺さやか。32歳。医療器メーカーの事部で働いている。3、私は裕さんと結婚した。
裕さんは、誰から見ても理な男性だった。背がく、物腰は丁寧で、するはシャツにきちんとアイロンをかけ、靴もいつも磨かれていた。所の齢者には礼儀正しく挨拶し、子どもを見かければ優しく声をかける。会うは皆、「さやかさんは世で国でも救ったのかしら」と冗談交じりに言った。
何より裕さんは、母親いの息子として名だった。
義父が脳卒で急にくなってから、義母の佳さんはしずつっていった。寝込むほどではなかったが、記憶力は目に見えて衰えた。夕の席でお椀を見つめながら、「今は誰かのお祝いなの?」と尋ねることもあった。あるは私を嫁だと分かって微笑み、「蔵庫に熟した柿があるからべなさい」と言ってくれる。けれど別のには、まるで初対面のを見るように、私を審そうに見つめるのだった。
正直に言えば、私は義母の介護にく関わっていなかった。
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薬、事、眠、タオル、着替え、にできるもの、避けるべきもの。そのすべてを裕さんが管理していた。
「裕さん、私も緒にやります。佳さんは私たち2のお母さんでしょう」
私がそう言うたびに、裕さんは微笑んだ。
「君も1働いて疲れているだろう。それに母さんも、なことは嫁に見られるのを恥ずかしがるから。僕がやった方が気楽なんだよ」
その言葉はもっともらしかった。義母も数はないが、悪なではなかった。結婚当初、親戚の女性が私の噌汁を「しい」と言った、佳さんは静かに私を庇ってくれた。
「ければお醤油をせばいいだけのことよ。さやかさんが仕事から帰って夕飯を作ってくれるだけでありがたいわ」
その言が、私にとってどれほど救いだったか分からない。
だから私はい、このは裕福ではなくても、かららげる所だと信じていた。私は仕事から帰ると夕を作り、裕さんは仕事のに義母の世話をした。週末にはテレビの音が流れ、鍋料理の湯気がちのぼり、台所から温かな匂いが漂った。
誰が見ても羨むような庭だった。
ただ1つ、気になることがあった。義父がくなってから、裕さんは以にも増して几帳面になった。義母の部の机で薬を理している、私が入ると、彼は反射にで薬を隠すことがあった。
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「何の薬?」
私が尋ねると、彼はいつもの穏やかな顔で答えた。
「会社で扱っているしい薬だよ。をきっちりわせないといけないんだ」
裕さんは製薬会社に勤めている。薬のことは私より彼の方が詳しい。だから私は、そのもく考えなかった。
そして、あの曜の夜が来た。
私は豚の角煮と噌汁、サバの噌煮を用した。がりの湿った空気ので、温かい卓はいつもより穏やかに見えた。佳さんは卓の座に背を丸めて座り、ここがどこなのかいそうとするように辺りを見回していた。
裕さんはいつものように魚のをほぐし、義母の皿に乗せた。
「お母さん、ゆっくり召しがってください。いですよ」
佳さんはかすかに微笑んだ。
「ああ、おもべなさい。私のことは配いらないから」
その景を見て、私のはんだ。妻にも母にも優しい夫。そんなに会えた自分は幸せなのだとった。
けれど、事が終わった、私のに初めてさなひびが入った。
裕さんは台所へき、佳さんのために漢方薬のようなものを溶いた。茶の液体が入ったガラスのコップを持って戻り、片で義母の肩を支え、もう片方のでコップを元へ運んだ。
「お母さん、どうぞ。神経を落ち着かせて、よく眠れるようになるお薬ですよ」
佳さんは素直にみ干した。私は冗談めかして言った。
「裕さんがお母さんの面倒を見ている姿を見ると、私はまだ見習いのお嫁さんみたい」
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