みかん小説
本棚

"消えた一人分の席" 第5話

けれど理子は、静かに答えるだけだった。

「あなたが選んだでしょう」

話を切ったあと、理子は窓のを見る。

の向こうに、夕陽が沈んでいく。

。

族のためにきてきた。

でも今、ようやく自分のをきている。

理子は湯呑みをに取り、静かに微笑んだ。

もう、自分を犠牲にする必はないのだと、から理解していた。

理子と誠が温泉くのマンションへ移りんでから、ヶが過ぎた頃だった。

朝の卓で、誠が聞を畳みながら言った。

「……裕也の、売りにたらしい」

理子は湯呑みを持つを止めた。

窓のでは、の々が静かに揺れている。

「そう」

それだけを答え、静かにお茶をんだ。

誠はし複雑そうな顔をした。

「建物だけ売っても、は俺名義だからな。結局、束文にしかならなかったみたいだ」

宅ローンも残った。

からの信用も失った。

保証解除によって、たな借り換えもできなくなった。

由の実からの援助も止まり、夫婦は追い詰められていったらしい。

理子は、責める気持ちにはなれなかった。

ただ、静かに終わったのだとった。

あの卓で。

“お荷物はいりません”

そう言われた瞬に。

そのの午、理子のスマートフォンが震えた。

画面には「裕也」の文字。

理子は数秒見つめたあと、通話ボタンを押した。

広告

「……もしもし」

話の向こうで、裕也が息を呑んだ。

「母さん……!」

その声は、以よりずっと々しかった。

「元気か」

理子は静かに尋ねた。

裕也はしばらく黙り込んだあと、絞りすように言った。

「母さん、ごめん……」

理子は答えなかった。

「、売ることになった」

「そう」

「由とも……今、別居してる」

理子は静かに目を閉じた。

話の向こうで、裕也の嗚咽が漏れる。

「あの、俺……何もわかってなかった」

理子は窓のを見つめた。

くのに、いが流れていく。

「母さん達が、どれだけ支えてくれてたか……何も考えてなかった」

「……」

「お願いだ。もう度だけ会ってくれないか」

理子は、しばらく黙っていた。

。

さなで自分の指を握った赤ん坊。

初めて歩いた。

泣きながら入学式へ向かった背。

すべてをいす。

けれど同に、あの夜の言葉も蘇る。

“のだから”

“お荷物はいりません”

理子はゆっくりをいた。

「裕也」

「……うん」

「あなたは、自分で選んだを歩きなさい」

話の向こうで、息を呑む音がした。

「母さん……」

「はね、自分が失って初めて気づくことがあるの」

理子の声は穏やかだった。

「でも、それを誰かのせいにしてはいけないのよ」

裕也は泣いていた。

「ごめん……本当に、ごめん……」

理子は、もう責める気持ちはなかった。

ただ、戻ることもないとっていた。

「体だけは事にしなさい」

広告

そう言って、理子は通話を終えた。

スマートフォンを置くと、誠が黙って隣に座った。

「裕也か」

「ええ」

「……会うのか?」

理子は静かに首を振った。

「まだ無理ね」

誠はさく頷いた。

責めなかった。

それだけで分だった。

夕方。

はくの温泉まで散歩にた。

さな川沿いに灯りが並び、旅館からは湯気がちっている。

理子はち止まり、空を見げた。

「ねえ、精さん」

「ん?」

「私達、ずっと族のためにきてきたわね」

誠は苦笑した。

「そうだな」

「でも今、初めて自分達のをきてる気がするの」

誠は静かに理子の肩を抱いた。

「遅くなったけどな」

「ええ。でも、にったわ」

は並んで歩きした。

夜が優しく頬を撫でる。

理子はう。

だけが美徳だった代は、もう終わったのだと。

誰かのために、自分を壊し続ける必はない。

を支えることと、自分を犠牲にすることは違う。

。

介護士として、くののを見送ってきた。

そので学んだことがある。

の最にが悔するのは、「もっとすればよかった」ではない。

“もっと、自分を切にすればよかった”

その言葉だった。

理子は、ようやくそのを理解していた。

くでの音が響く。

温泉の灯りが、夜ので静かに揺れていた。

理子は隣を歩く誠を見た。

誠もまた、穏やかな顔でを向いている。

もう、誰かの顔を窺う必はない。

もう、理尽に耐え続ける必もない。

これからは、自分達のをきればいい。

理子はさく笑った。

「今夜は、し贅沢しましょうか」

誠が目を細める。

「寿司か?」

「いいえ」

理子は首を振った。

「コンビニのプリン」

その瞬、誠が吹きした。

「がりだなあ」

「でも、番幸せななのよ」

は笑いながら、温泉のかりのへ歩いていった。

その背には、もう何の荷もなかった。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: