"退職金三千万円と残高三千円の通帳" 第3話
私は誰にも盗めとは言っていません。
ただそこに置くだけです。
盗むかどうかは、あちらが決めることでした。
翌、玄関のチャイムが鳴りました。
ドアをけると、息子の涼介と、その妻の真帆さんがっていました。真帆さんのにはさな菓子折りがあります。
「いらっしゃい。わざわざ来てくれてありがとう」
「お母さん、退職おめでとうございます」
真帆さんは丁寧にをげました。
その普通の言葉だけで、胸の奥がし緩みました。
「父さん、今いないんだ」
靴を脱ぎながら、涼介がぽつりと言いました。
その言で、私は分かりました。涼介が今ここに来たのは、ただの退職祝いではありません。
正隆は朝から再雇用先にています。だからこそ、涼介はこのを選んだのでしょう。
リビングに通すと、真帆さんが台所へとうとしました。
「私がお茶を入れます。お母さんは座っていてください」
私は瞬断ろうとしましたが、真帆さんの表を見て、言葉をみ込みました。
ただお茶を入れてもらう。
それだけのことが、私にはずいぶん久しぶりでした。
涼介はソファーに座ると、すぐに私を見ました。
「母さん、父さんから聞いたよ」
私は湯呑みを持つを止めました。
「何を?」
「退職のことで揉めてるって」
揉めている。
正隆は、そう言ったのです。
「父さんは、母さんが急に通帳を隠したって言ってた」
広告
胸の奥がしえました。
正隆はもう、息子にも話していました。しかも、自分に都のいい形で。
「そう。正隆はあなたにそう言ったのね」
「うん。でも、そのまま信じたくなくて。ちゃんと聞かないといけないとった」
真帆さんが台所からお茶を持って戻ってきました。
「お父さんから私たちにも連絡がありました。お母さんが退職を1で抱え込もうとしている、と」
私は湯呑みをテーブルに置きました。
やはり正隆は、先にいていました。
私の退職を狙うに、息子夫婦ので私を悪者にしておく。
随分と際のいいことです。ただ、その際を仕事や事に使ってくれていたら、40の結婚活もしは違ったでしょう。
「涼介、真帆さん。聞いてほしいものがあるの」
「録音?」
「ええ。昨の義母との話。それから、に来たの会話も必なところは残してあるわ」
私はスマートフォンを操作しました。
リビングに義母の声が流れました。
「嫁のは佐伯のものよ」
涼介の表が変わりました。
続いて、義母の声が流れます。
「通帳、印鑑、キャッシュカード、今夜全部しなさい。隠したら私たちにも考えがありますからね」
録音が終わるまで、誰も話しませんでした。
スマートフォンを止めると、部のはしんと静まり返りました。
涼介がい声で言いました。
広告
「父さんが言ってた話と全然違う」
「そうね」
「母さんが隠したんじゃない。父さんたちがせって迫ってたんだ」
私は頷きました。
「来てくれてよかったわ。確認しようとしてくれただけで分よ」
真帆さんが静かにをきました。
「お母さん。無理に笑わなくていいですよ」
その言で、目がくなりました。
涼介は私をまっすぐ見ました。
「母さん、これからも全部記録に残して。父さんは追い詰められると、平気で“そんなこと言ってない”って言うから」
その言葉は静かでしたが、さがありました。
涼介もまた、父親のそういうところを見てきたのでしょう。
「退職が入った座は丈夫なの?」
真帆さんが尋ねました。
「正隆がらないにしてあるわ。通帳も印鑑も別に保管してある」
「じゃあ、お父さんたちがっている通帳は?」
「古い通帳よ。残は3187円」
涼介は瞬ぽかんとしました。
「3187円……父さん、それ見たら騒ぎするよ」
「でしょうね。でも、自分で持っていったら、もう言い逃れできない」
涼介はく息を吐きました。
「母さん、俺は方だから」
その言で、胸の奥がくなりました。
私はずっと1でしてきたつもりでした。を壊さないように、涼介に嫌ないをさせないように、母親として泣かないように。
けれど、私が隠してきたものを、息子はちゃんと見ていたのです。
「ありがとう」
それだけ伝えるのが精杯でした。
そのの夜、義母は本当にまた来ました。
広告
おすすめ作品
-
完結第11話
部外者会長の逆襲
営業部の新年会に、夫と一緒に出席した井上ゆかり。 しかし会場に着くと、用意されているはずの席はなく、課長の獅倉からは笑いながらこう言われた。 「今日は関係者だけで飲もうよ」 部外者扱いされ、夫婦そろって追い出されるように店を出たゆかり。だが店の外には、黒いセダンと秘書が待っていた。 「帰るから、車出して」 「会長、承知しました」 実はゆかりには、会社の誰も知らないもう一つの顔があった。 翌朝、課長から慌てた電話が入る。大型契約が突然保留になり、会社のサーバーからは、ただの嫌がらせでは済まされない重大な痕跡が見つかっていた――。因果応報|修羅場1.6萬字5 739 -
完結第13話
16回の拒否
62歳の黒田正は、退職後に始めた一眼レフを手に、地域のハイキングサークルへ参加していた。 「嫌がる人ほど、綺麗に撮ってあげたいんですよ」 そう笑う黒田は、自分の写真が人を喜ばせるものだと信じていた。けれど参加者の高橋みさ子は、何度もはっきり伝えていた。 「SNSには載せないでください」 名前を出さなければいい。綺麗に撮れていれば問題ない。サークル内だけなら大丈夫――黒田はそう考え、みさ子の拒否を自分に都合よく解釈し続ける。 やがて、本人の知らないうちに撮られた写真はSNSへ投稿され、サークルの外にまで広がっていく。 削除しても、もう消えなかったもの。 そして次の集合場所で、みさ子は静かに告げた。 「私は、同じことを16回言いました」 写真の出来ではない。善意かどうかでもない。 「やめてください」という一言を、本当に聞けなかった男が失ったものとは――。人生逆転|修羅場2.0萬字5 124 -
完結第12話
一万八千円の飯
自分の家族が経営する5つ星ホテルで、何気なく注文した一品の炊き込みご飯。 メニューでは1,800円に見えたはずなのに、会計明細には「18,000円」と記されていた。 帰国したばかりの後継者・小川優馬は、単なる表示ミスだと思い責任者を呼ぶ。だが、レストラン責任者は「社長が承認した価格です」と言い切った。 父が守ってきたホテルで、なぜ一杯のご飯が10倍の値段になっているのか。 優馬が調べ始めると、異常な価格変更、不可解な仕入れ、法人客への不自然な請求、そして継母・里見の影が浮かび上がっていく。 やがてその小さな違和感は、20年前に亡くなった実母・秋子の死、奪われた母方の財産、腹違いの弟の秘密、そして恋人だと思っていた女性の正体へとつながっていく。 始まりは、たった一杯の炊き込みご飯だった。 だが、その18,000円の明細は、運海ホテルに隠された20年越しの闇を開く鍵だった――。因果応報|修羅場1.7萬字5 1707 -
完結第11話
断髪新郎の逆転婚礼
抗がん剤治療で髪を失った彩佳は、唯一の家族である兄・健太の結婚式に出席することになった。 両親を亡くしてから、兄妹2人で支え合って生きてきた彩佳。兄の幸せを心から願い、母の形見のスカーフを巻いて式場へ向かう。 しかし、兄嫁の母・礼子は、そんな彩佳を見た瞬間、冷たい言葉を投げつけた。 「その頭で親戚席に座る気なの?」 病気の妹は縁起が悪い。式に出るな。兄との縁も切れ――。 追い詰められた彩佳の前に現れた健太は、笑顔のまま静かに言い放つ。 「では、新郎ごと帰りますか?」 その一言で礼子の顔色は変わった。 だが本当の反撃は、披露宴で用意されていた“新郎新婦、最初の共同作業”から始まる。兄弟姉妹|修羅場1.7萬字5 5078 -
完結第8話
白タク墓参り
夫の命日、私は嫁と孫を連れて墓参りへ向かった。 帰り道、見知らぬ白いタクシーの運転手は、嫁と孫を墓地に残したまま、私だけを乗せて急発進する。 「お客さん、気づいてないの?」 そう言った運転手は、嫁が私の命を狙っていると告げた。けれど、話を聞くうちに私は小さな違和感を覚える。 なぜこの男は、孫の名前を知っているのか。 なぜ嫁の悪口を言いながら、何度も家の名義や権利書の話へ戻るのか。 逃げ場のない車内で、私は亡き夫の言葉を思い出す。 「困った時ほど慌てるな」 鞄の底に入れた携帯電話、孫が書き写した車の番号、そして嫁だけが気づいた不自然な話し方。 離れ離れになった家族が残した小さな手がかりが、やがて1本につながっていく――。因果応報|夫婦|修羅場1.2萬字5 1397 -
完結第10話
勘違い常連の末路
51歳独身の佐々木博行は、結婚相談所を使うことに強い抵抗を持っていた。 「出会いは自然であるべきだ」 そう信じる彼は、自分から女性に近づくことはせず、いつか相手の方から気づいてくれるのを待ち続けていた。 そんなある日、駅前の書店で、女性店員・水野佳奈に声をかけられる。 探していた本を案内され、会計で笑顔を向けられ、前に買った本のことまで覚えていてくれた。佐々木にとって、それはただの接客ではなく、“自分だけに向けられた特別な好意”に思えた。 やがて彼は、何度も書店へ通い、佳奈だけを探すようになる。 しかし、彼女が伝えた「夫がいる」という一言さえ、佐々木の中では別の意味に変わっていく。 親切な接客。 覚えられていた注文。 何気ない笑顔。 それらを恋愛の始まりだと信じた男が、最後に見つけた“次の自然な出会い”とは――。真実|修羅場1.5萬字5 873 -
完結第8話
魚臭い嫁の30万円返し
寿司屋に嫁いだ私を、兄夫婦は新築祝いに呼ばなかった。 理由は「新しい家が魚臭くなるのは嫌だから」。それなのに兄は、当然のように電話でこう言った。 「祝い金だけ口座に入れろ。30万な」 あまりの非常識さに、私は兄からの連絡を無視することにした。 しかし1年後、兄嫁が突然、私の家の前で土下座してきた。見下していたはずの寿司屋に、どうしても入れてほしいと言うのだ。 その理由を聞いた時、私は兄夫婦が新築祝いで金を集めたかった本当の事情を知ることになる。 魚臭いと笑った仕事が、最後に兄夫婦の運命を大きく変えていく――。裡切られた|嫁姑|修羅場1.2萬字5 4829 -
完結第15話
残り物少年の奇跡
「残り物をください。そしたら、あなたに歩き方を教えます」 高級レストランでそう言ったのは、破れた靴を履いた8歳のホームレス少年・翔太だった。 相手は、事故で歩く力も家族も希望も失った大富豪・佐藤孝志。世界中の医師から「もう歩けない」と告げられ、人生を諦めかけていた男だった。 ただ食べ物を求めて現れたはずの少年は、なぜか孝志の心の奥に隠された絶望を見抜いていた。 毎晩8時の夕食。少年の小さな手が、動かない足に触れるたび、孝志の中で何かが少しずつ変わり始める。 これは奇跡なのか、それとも少年が見つけた“生きる理由”なのか。 残された一皿のサーモンから、壊れた家族と失われた人生が静かに動き出す――。人生逆転|金銭問題2.3萬字5 623 -
完結第8話
消えた仕送り720万円
真冬のある日、55歳の富代は、母の暮らす古いアパートを訪ねた。 部屋の中は外と変わらないほど冷え切り、母は暖房もつけず、毛布にくるまって震えていた。冷蔵庫にはわずかな食材しかなく、長年仕送りをしてきたはずの富代は胸を痛める。 「もっと仕送りを増やすね」 そう告げた瞬間、母は不思議そうに首をかしげた。 「仕送り? 知らないけど」 12年間、毎月5万円。合計720万円。 母のために送っていたはずのお金は、どこへ消えていたのか。疑念を抱いた富代が口座を調べ直すと、そこには夫と義家族が隠し続けていた信じがたい事実があった。 仕送り先を本来の口座に変えた日から、義母、夫、義姉の態度は一変する。 なぜ彼らはそこまで焦ったのか。 凍える母の部屋から始まった違和感は、30年の結婚生活を揺るがす真実へとつながっていく――。因果応報|人生逆転|金銭問題1.2萬字5 2759 -
完結第12話
復讐とんかつの逆転便
とんかつ弁当を注文した堀川琢磨の前に現れたのは、高校時代に自分を見下していた金持ち令嬢・柏木綾音だった。 かつて高級ブランドを身につけ、貧しい琢磨を笑っていた彼女は今、実家のとんかつ店を守るため、配達員として頭を下げていた。 「お前が配達?令嬢なのに?」 復讐心に火がついた琢磨は、自分の成功を見せつけるため、何度もとんかつ弁当を注文し続ける。 だが、届く弁当の味は想像以上だった。 そしてある日、綾音が差し出した冷凍とんかつの試作品が、琢磨の運命を大きく動かしていく。 過去の屈辱、消えない傷、落ちぶれた令嬢の謝罪。 復讐のつもりで始まった注文は、やがて小さな老舗店を救い、琢磨自身の孤独な人生まで変えていく――。因果応報|人生逆転|修羅場1.7萬字5 1120