みかん小説
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"24年目の手紙" 第3話

は、7にあるお母さんの誕までに、1500円を集めようとしていたのです。あと50円りませんでした。よし子がのうなぎを通りすぎる、「あれを1度べてみたいな」と独り言を言ったのを、健はちゃんと覚えていたのです。1500円あれば、特のうなをご馳してあげられる。だから、この子は内緒でお使いをして貯をするのが幸せだったのです。いなくなったまでに集まったおは、1450円でした。

よし子はノートを胸に抱きしめ、声をして泣き崩れました。そのまで、よし子はる由もありませんでした。あの朝の柔らかなが、息子と緒に過ごした最だったということ。そしてその夜から始まったこの残酷なが、24もの続くことになるとは、にもっていませんでした。

12歳のさな健は、あの朝のへと、まるで煙のように跡形もなく消えってしまったのです。健は1967まれ、学5でした。父親は健が5歳のにこの世をっていました。港のくので働いていた、鉄の鎖が当たる事故にあったのです。病院に運ばれましたが、3と持ちませんでした。労災の保証もまともに受けられないまま、よし子は35歳で未となりました。

は父親の顔をぼんやりとしか覚えていませんでした。

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その代わり、母親の指の関節が次第に太くなっていくこと、母親の背しずつ丸くなっていくことに、子供ながらくから気づいていました。12歳の健は、よし子にとって単なる息子ではありませんでした。夫をくし、過酷な暮らしを耐え抜くためのの柱であり、の唯だったのです。

は同代の子供たちよりも、周りの空気を読むのがい子でした。母親が夜かけて夜に帰るは、文句ひとつ言わずに1でご飯をべて学きました。所の奥さんたちが「健ちゃんはみたいだね」と言うと、健し照れくさそうにを掻いて笑いました。るくて逞しい子でした。よし子ので泣き顔を見せることはありませんでした。

の成績もクラスでトップクラスでした。担任の先がよし子を学に呼びし、面談の席でこう言うほどでした。 「健君のお母さん、この子は絶対に学へかせてください。勉を続ければ、必ず派な物になるはずです」 よし子はその言葉を聞いて、に帰る夜を1で泣きながら歩きました。嬉しさなのかしさなのか分からない涙でした。息子の才能が誇らしい反面、学の授業料を2ヶも滞納している自分の甲斐なさがけなかったのです。

の将来のは、学の先になることでした。

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また、父親が病院代を払えず、まともな治療を受けられずにくなったとってからは、お医者さんになりたいとも言っていました。ある、彼は台所で働くよし子のろ姿を見つめながら、こんなことも言っていました。 「お母さん、僕がになってたくさんおを稼いだら、お母さんが働かなくてもいいようにしてあげるからね」 よし子は振り返って笑って答えました。 「そうね。それならお母さん、半分だけ働けばいいわね」 「うん。お母さんは半分だけにして。僕が残りの全部をやるから」

で皿洗いをして帰り、パンパンに腫れたよし子ののひらを、そのさな懸命に揉んでくれる、使のような子でした。よし子のには、いつも2つのものがありました。黒いサンダルと、古い綿のエプロン。夜けからの洗濯をし、堂で皿洗いをし、夜には所の裁縫の仕事を引き受ける女性でした。1当は600円。1ヶ休まず働いても、活に余裕はありませんでした。それでも、健のノートと鉛だけはし惜しみしませんでした。

の机の横のタンスには、の肌着が1着ありました。健に入学した、よし子が無理をして買ってあげたものでした。健はその肌着がとても好きで、になるたびに引っ張りしてきては着用し、さくて着られなくなったも、捨てずに引きしの奥にしまっていました。

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