みかん小説
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"24年目の手紙" 第6話

所のたちは、その事実をずいぶんになってからりました。しかし、誰もそのことについて何も言いませんでした。かける言葉が見つからなかったのです。

が流れ、坂の町のしずつ変わっていきました。古い々が1つ、2つと取り壊され、しいビルがち始めました。所のたちは再発に伴い、別の町の綺麗な団へと引っ越していきました。が広がり、見らぬ顔が増えていきました。しかし、よし子だけはその所をれませんでした。 「よし子さん、もう諦めてち退き料をもらって、平の団に引っ越しなさいよ。ここはすぐ取り壊されるのに、この古いでいつまで持ちこたえるつもり?」 引っ越しを勧められるたびに、よし子はいつも頑なにこう答えていました。 「健が帰ってきた、うちを見つけられなかったらどうするの? あの子が、がなくなっているのを見たら、どんなに驚くか」 その言葉を聞くと、所のたちはそれ以、何も勧められなくなりました。

1988、ソウルオリンピックが催されました。本でも連テレビ継が流れ、々が画面のに集まって声で応援していました。よし子もまた、暗い部のテレビのに座り、画面を見つめていました。聖が華やかに燃えがる面を見ながら、よし子は静かに健齢を数えていました。

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(今で22歳、順調なら学に通っている齢なのに、あの子は今、どこの学に通っているのだろう。どこかで、あのオリンピックの継を見ているのだろうか……) テレビの画面がゆらゆらと揺れて見えました。溢れた涙のせいでした。

よし子にとって、毎番辛いでした。健がいなくなった。そのが来ると、よし子は健があの朝、最に元気よく駆けりていった坂を、1で静かに歩きました。そしてき、健の履いていたようないスニーカーを1買いました。に帰り、玄関のにきちんと揃えておきました。健いスニーカーを履いて踏みをした、あののように。々は、6になるとよし子のの玄関しいいスニーカーが置かれることをっていました。しかし、誰もそのことについてすことはありませんでした。

1990代に入ると、よし子はさらに老け込みました。腰が曲がり、髪の毛の半分ほどが髪になりました。の洗濯やち仕事には、もう体がついていきませんでした。彼女はくので、野菜のごしらえをする仕事を始めました。1たいを浸し、しゃがみ込んで働き、もらえるおくありませんでしたが、よし子は決して平を言いませんでした。

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1997、バブル崩壊刻な況が本を襲いました。が次々と閉鎖され、には失業者が溢れました。よし子が働いていたも、半分ほどがを畳みました。そのは、ことのほか寒く、いものでした。よし子は灯油の滴まで節約しながら、凍えるようなを越しました。それでも、主のいない健の部だけは、いつも温かく保っていました。

町の々は、よし子のことをずっとから「健のお母さん」と呼んでいました。の名で呼ばれることはありませんでした。よし子も、その呼び名が嫌いではありませんでした。むしろ、そう呼ばれるたびに、健がまだ自分のそばのどこかで、緒にきているような気がしたのです。

そして、2001のことでした。よし子がを歩いている、ふとを止めました。し先に、背がくて肩幅の広い、若い男が歩いていました。ろ姿でした。その歩き方が、どこか健の面に似ている気がしたのです。よし子の臓が激しく波打ちました。が自然と男を追っていました。 「健……?」 よし子の声に、男が議そうに振り返りました。しかし、それは全く別の見らぬ顔でした。男はよし子を見て、審げな表を浮かべました。よし子は「すみません」と言残し、震えるの入りへと引き返しました。

その、よし子は久しぶりに声をげて泣きました。

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