みかん小説
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"柿の木の下、三十年の帰郷" 第21話

母は笑ってがった。そうか。それならもう寝なさい。の朝は鍋料理を作ってあげるから。母は部てそっと戸を閉めた。私は布団のからその扉を見つめた。に塗られた扉。私が先ペンキを塗ったものだ。ペンキを塗っていた、母はを持ちながらいいだねと言ってくれた。

気を消して横になると窓からかりが差し込み棚のの空の湯呑みを照らした。お茶をみ干した底にはふやけた干し柿が切れ残っていた。

翌朝く私は台所でを起こし、母はまな板にを広げてをこね始めた。両で力く押し込む度、腕の肉が揺れる。私は薪をくべ、顔が照るのをじた。鍋のお湯が湧く頃、母は麺棒でを伸ばし、さく丸く切り分けた。

私は伝おうとしたが、母は私のを見て言った。あんたのは銃を握るだね。これじゃ麺打ちは向かないよ。これからしずつ覚えるさ。私たちはたくさん作り、くてふっくらとした麺が綺麗に並んだ。鍋で煮込むと隙から湯気が漏れ、台所いっぱいに麦のりが広がった。

がった鍋うどんを器によそい、庭に持ちしてべた。古い醤油をし垂らしてべる。柿のにはまだしだけ葉が残っていた。から太陽が登り、庭をるく照らす。

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母はべ、頬を膨らませて言った。塩がなかったね。これくらいがちょうどいいよ。しょっぱいのは体に良くない。

母は何も言わずもうべた。母がもぐもぐとべている姿を見ていると幼かった頃の母をした。あの頃母の髪は黒く背筋も伸びていた。台所で働きながらよく民謡をっていたものだ。今はもう民謡はわなくなったが、こうして縁側に座り、私が打った麺をべてくれている。

そのの太陽はとても温かく庭の真んまで差し込んでいた。柿のの根元にさく縮こまっていた。

そのも私は毎週末帰ってきた。バイクの運転にも慣れ、目を閉じていてもあのれるくらいになった。に帰ると母は乾いたタオルで私のを拭き気予報も見ないのかいと文句を言った。

あるは鍋料理、あるはお焼き、あるは目玉焼きを乗せただけのシンプルなかきた汁。私は根の修理、塀の補修、柿のの剪定を覚えた。母が教えることを何でも学び、嫌な顔つしなかった。

あるのおじいさんが遊びに来て、私が庭の塀を直しているのを見て母に言った。あんたの息子、すっかり農の親父みたいになっちまったな。幹部には見えねえよ。

母は縁側に座って枝豆を剥きながら顔もあげずに答えた。

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あの子は元々農の子だからね。おじいさんは母と世話をして帰っていった。私は壁にを塗りながら母が枝豆をボウルに落とすカランカランという音を聞いてらぐのをじていた。

にまたった。バイクでへ帰る途度も滑って溝に落ちそうになった。に着くとズボンはだらけだった。母は箒で丁寧にを落としてくれた。台所では肉が煮込まれ、まな板のにはこねられたそばが置かれていた。越しそばの準備だ。

夜はで鍋料理をつつきながらの特番を見た。古いテレビは波が悪く画面には砂嵐が混じっていた。母は壁にもたれかかったままうとうとし始めた。こっくりこっくりとをこいでいる。私はそっと毛布をかけてやった。テレビの音量をげて隣に座り画面を見つめた。ではどんとの音が鳴り響いていた。

母がきし、毛布のに縮こまった。その寝顔を見ながら、の今頃は数千キロれた駐屯で若い隊員たちと越しのご飯をべていたことをした。あのにぽっかり穴がいていたが、今は母のそばでの音を聞きながら本当のを越したとじていた。

窓のではまだっている。枯れた柿のの枝にはが積もっていた。

炉際に座ると炎が鍋底をなめ、部は温かさに包まれた。テーブルのにはべかけの器と本の箸が並んでいる。

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