"消えた娘の38分" 第1話
2024321。
失踪からちょうど1となるその、田は埼玉に残されていた古いマンションを訪れていた。
エントランスの自ドアがいた瞬、はわずを止めた。たい空気と、くの気配が途絶えていた建物特の乾いた匂いが、静かに体を包み込んできた。管理の窓はく曇り、郵便受けにはもう誰の名も貼られていない。
このマンションは、佐藤健と婚するに、族で暮らしていた所だった。
まだ娘の美緒が幼稚園に通っていた頃、朝になるとさな音が廊をり、ピンクのうさぎ模様のバッグを背負った美緒が、玄関先で何度も振り返った。
「ママ、く」
その声が聞こえた気がして、は胸の奥をく押さえた。
事故以来、この部は1度もけられていなかった。
正確には、けられなかったのだ。
けてしまえば、そこに残った活の断片と向きわなければならない。器棚のマグカップ、子ども用のさな子、に残った傷、寝の押し入れにしまった季節れの。すべてが、消えた娘のをそのまま閉じ込めているようにえた。
けれど売却続きをめるためには、どうしても現で荷物を理する必があった。
は管理会社から預かった鍵を握りしめ、ゆっくりと玄関の鍵穴に差し込んだ。
広告
かちり、と乾いた音がした。
ドアをけると、暗い玄関の奥に、止まったままのが横たわっていた。
「……ただいま」
誰に向けたものでもない言葉が、自然と唇からこぼれた。
返事はなかった。
靴箱のには、1に置いたままのさな写真てがあった。族3で公園へったの写真だった。美緒はピンクの着を着て、赤い筒を肩からげていた。幼稚園の帰りに寄った公園で、笑いすぎて目を細めている。
は写真てに触れようとして、途でを止めた。
触れてしまうと、崩れてしまいそうだった。
午になり、は荷物の理を始めた。段ボールを広げ、器を聞に包み、な類を袋に分ける。淡々とをかしているつもりだったが、棚の奥から美緒の落きや、さなヘアゴムがてくるたびに、胸の奥が締め付けられた。
理を始めて10分ほど経った頃だった。
突然、携帯話から鋭い警告音が鳴り響いた。
は肩を震わせ、慌ててスマートフォンを取りした。画面には、1からほとんど確認することのなかったアプリの通が表示されていた。
位置追跡チップからの信号。
ピンクのうさぎ模様のバッグに取り付けておいた、さな追跡装置だった。
美緒が幼稚園へ通い始めた、はのためにとバッグの内側にそのチップを入れていた。
広告
子どもを守るためのさなお守りのようなものだった。失踪当、その信号は突然途切れ、それ以来、1度も反応しなかった。
その信号が、今、鳴っている。
は画面を見つめた。
位置報は、嘘のようにこのマンションを示していた。
それも、寝のを指していた。
「……そんなはずない」
の声は震えていた。
美緒のバッグは、事故現で消えたはずだった。あの、幼稚園から帰る途、父親である健のに乗った美緒は、その、で起きた事故ので方が分からなくなった。警察は周辺を何度も捜索したが、バッグも、着も、筒も見つからなかった。
それが、今、自分の元のくで反応している。
は寝へ向かった。廊をむ音が、自分のものではないように聞こえた。部のドアをけると、カーテンの隙から細いが入り、のに埃の筋を作っていた。
スマートフォンの画面の点は、寝の奥を示していた。
は息を止め、に膝をついた。目の隙に積もった埃が、指先にざらりと触れた。
すぐに警察へ連絡した。
通報を受けた警察は、直ちに現へ急した。数台の両がマンションにまり、制警官と鑑識が部へ入ってくる。静かだった空は、気に緊張で満たされた。
「奥様は、こちらでお待ちください」
若い刑事がそう言い、をリビングの隅へ案内した。
は何度も頷いたが、線は寝からせなかった。
鑑識員たちは慎に板を確認し、位置報の示す所をに作業を始めた。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
10年目のハザード
1999年10月、夜明け前の阪和自動車道に、1台のタクシーがハザードランプを点けたまま残されていた。 運転席は無人。車内に争った跡はなく、鍵も残されたまま。所有者は、大阪・堺で個人タクシーを営む藤村達夫だった。 警察が自宅を訪ねると、妻・安子と娘・真奈美の姿も消えていた。台所には冷めた味噌汁、まな板には切りかけのネギ。家族3人は、夕食の途中で突然この世から切り取られたように姿を消していた。 達夫が最後に乗せた客は誰だったのか。 そして、なぜ一家は財布も通帳も残したまま消えたのか。 10年後、取り壊しが決まった団地の室外機の裏から、1本の古いカセットテープが見つかる。 そこに残されていたのは、達夫が命がけで吹き込んだ、震える声だった――。ミステリー|行方不明1.5萬字5 0 -
完結第15話
土俵下の12年
昭和47年、東京・両国の相撲部屋から、期待の若手力士・林岳司が突然姿を消した。 能登の小さな漁村から上京し、家族の期待を背負って土俵に立っていた21歳の青年。部屋には荷物も手紙も残されたままで、まるで少し外へ出ただけのように、彼の生活だけがそこに残っていた。 両親は息子がどこかで生きていると信じ、12年間待ち続けた。 しかし昭和59年、故郷の古い土俵を解体した時、土の下から思いがけないものが見つかる。 東京で消えたはずの岳司は、なぜ故郷の土俵の下にいたのか。 稽古場で何が起き、誰が12年間も真実を隠し続けたのか。 若き力士の失踪は、故郷の土の中から静かに動き出す――。ミステリー|行方不明2.2萬字5 0 -
完結第9話
50年目の沈黙の部屋
2021年、福井県の山あいにある閉鎖病院で、壁に塗り込められた小さな部屋が発見された。 窓もなく、扉もなく、外から完全に塞がれたその空間に残されていたのは、1人の男の骨と、古い観察記録だった。 記録の日付は、1973年。 そこに書かれていたのは、吉川明という30歳の患者の名前だった。だが不思議なことに、彼は病院の閉鎖後も、家族からも行政からも、誰からも探されていなかった。 なぜ彼は、誰にも知られず壁の中に残されたのか。 そして、最後の記録に残された「生命の兆候なし」という一文の後、病院では何が行われたのか。 50年近く沈黙していた廃病院の壁が、今、ひとりの男の消された人生を語り始める。ミステリー|行方不明1.4萬字5 0 -
完結第9話
中卒社員の逆転邸宅
中卒というだけで副社長に見下され、追い出し部屋へ異動させられた真司。 かつて父の会社を救うため進学を諦め、20年以上エンジニアとして働いてきた彼だったが、新しく就任した副社長は学歴だけで人を判断し、低学歴の社員たちを次々と窓際部署へ追いやっていく。 それでも真司は、妻の出産を控え、家族を守るために耐え続けていた。 やがて無事に子どもが生まれ、職場へ復帰した真司に、副社長はさらに残酷な言葉を投げつける。 「低学歴、低収入の子供がどんな顔してるのか見てみたいな」 その瞬間、真司は静かに微笑んだ。 「いいですよ。今週の土曜日、うちに来てください」 冷やかし半分で自宅へやって来た副社長たち。だが、案内された先で彼らが目にしたのは、想像もしなかった豪邸と、リビングで待っていた“ある人物”だった。 中卒と笑われ続けた男が、家族と仲間を守るために仕掛けた静かな反撃とは――。ミステリー|因果応報|人生逆転1.3萬字5 6 -
完結第20話
湖底の五本柱
1999年2月、記録的な豪雪に閉ざされたダム建設地・鏡谷で、3人の男が忽然と姿を消した。 彼らが乗っていた黒いセダンは、エンジンをかけたまま雪原に残されていた。ドアは開き、所持品もそのまま。だが、車の周囲には人が降りた足跡が一つもなかった。 やがて龍鳴寺の床下から見つかった1台のカメラが、事件を思わぬ方向へ動かしていく。そこに写っていたのは、消えた3人と作業員たちが、吹雪の中で何かを巡って激しく対立する姿だった。 さらに、ダムに沈むはずだった村からは、古い拳銃、止まった懐中時計、血に染まった作業車、そして「五つの柱」という不気味な言葉が浮かび上がる。 これは単なる失踪ではなかった。 ダムの底へ沈められようとしていたのは、村の風景だけではない。30年前に隠された罪と、ひとりの老人が命をかけて仕掛けた復讐だった。 雪の中で消えた男たちは、どこへ行ったのか。 そして、水没した地下から響く時計の音は、何を告げていたのか――。ミステリー|行方不明|金銭問題3.0萬字5 83 -
完結第10話
消えた弟と制服の父
1991年3月、群馬県の山間にある静かな村で、2歳の木島拓也が自宅の前庭から忽然と姿を消した。 父は警察官。母は家の中にいた。庭にはおもちゃのトラックだけが残され、足跡も、争った跡も、手がかりらしいものは何も見つからなかった。 大規模な捜索が行われても、拓也の行方は分からない。やがて事件は迷宮入りしかけるが、父・洋介の行動にはいくつもの小さな違和感が残っていた。 予定より長すぎたランニング。説明のつかないパトカーの走行距離。外したはずの銃弾。そして、父の後ろ姿を見ていた4歳の姉・香織の沈黙。 それから3年後。 成長した香織は、悪夢の中で何度も同じ光景を見るようになる。 「パパが、拓也を傷つけた」 幼い記憶の断片が少しずつつながった時、消えた2歳児をめぐる事件は、思いもよらない形で再び動き出す。 前庭から消えた子どもに、本当は何が起きたのか。 そして、家族が3年間口にできなかった“あの日の真実”とは――。ミステリー|行方不明1.5萬字5 151