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"ATM扱いされた父の正体" 第11話

息子に何と言われても、それは変わらない。誰かの価値は、子供が認めるかどうかでも、料がいかどうかでも、価なプレゼントを買えるかどうかでも決まらないのだ。

裕介がそれに気づくまで。

ずいぶん回りをした。

そして私たちも。

子供から必とされることだけを、自分たちの価値だとい込んでいた。

夜、博でワインをけた。クリスマスイブには苦しい沈黙ので持ち帰ったプレゼントが置かれていたテーブルに、今は旅のパンフレットと介護施設からの寄せきが並んでいる。窓のではの夜に桜の枝が揺れていた。

子」

「何?」

「これからも、俺と遊んでくれるか」

40緒にいるが、し照れた顔でそんなことを言った。私は笑しくなって笑いながら、グラスを夫のグラスへ軽くわせた。

「もちろん。まだまだいんだから」

あのクリスマスイブ。

息子夫婦は。

私たちを「価値のない老」と呼んだ。

けれど本当に失われかけていたのは。

でも。

きでも。

親子という名でもなかった。

自分自切にする覚だったのだとう。

親だから。

族だから。

孫がかわいいから。

そう言い聞かせながら、傷つけられてもし続ければ、いつか相だけではなく自分自まで「これくらい耐えるのが当然」とうようになる。

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私たちがあの取り戻したものは、息子への支配力ではなく、誰かに粗末に扱われたには「それは違う」と言っていいという、ごく当たりの尊厳だった。

は確かに、私がらないきな資産と脈を持っていた。

息子の会社をで支えるほどの力もあった。

だが。

私が最に誇らしくったのは。

夫がその力で息子を潰さなかったことだった。

支援をやめ。

庇うことをやめ。

として結果を引き受けさせた。

それだけだった。

そして裕介は初めて。

父親の正体以に。

自分がこれまで何に支えられてきてきたのかをった。

の玄関で。

「もう族じゃない」

と言った息子。

その言葉は。

度、私たちをく傷つけた。

けれどが経って振り返れば。

あれは親子の縁が終わったではなかったのかもしれない。

何でもしてあげる親と。

何でもしてもらえる子供。

そんな歪んだ関係が終わっただった。

そして。

62歳と67歳になった私たちが。

ようやく自分たちのへ戻ったでもあった。

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