"母が着続けた一枚の着物" 第4話
緒に笑い、緒に苦しい代を乗り越えた、切な族のようなだったのだ。
だから母は、毎正になると着物を着た。
くなった友をいすためではない。
今もどこかで緒にきているようにじるためだった。
美紀は、その夜遅くまで実に残った。
誰もいなくなったので、もう度あの着物を広げた。
昔は気づかなかった細かな修繕跡。
袖の内側に残るさな縫い目。
母が何度も何度もを入れながら、切にしてきた跡だった。
「こんなにい……」
美紀の目から涙がこぼれた。
母はしい着物を買えなかったのではない。
買わなかったのだ。
自分のために使えるおがあっても、その枚を守り続けた。
それは節約ではなく、約束だった。
数、美紀は母の古いアルバムを理していた。
すると、枚の写真が目に止まった。
昭25頃に撮られた古い写真だった。
若い頃の子が写っている。
そして、その隣には見らぬ女性がいた。
は笑顔で並んでいた。
写真の裏には、母の字でい言葉がかれていた。
「節子と最のお正」
美紀は、その文字を指でなぞった。
母は、この写真をずっと持っていたのだ。
何もの、誰にも見せずに。
その、美紀は初めて理解した。
母が守っていたものは、着物だけではなかった。
緒に過ごした。
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交わした言葉。
そして、もう会えないとの絆だった。
翌の正がづいた頃、美紀は再び実を訪れた。
には、あの紺の着物を持っていた。
母がくなってから、度も袖を通すことができなかった。
切すぎたからだ。
自分が着れば、何かを壊してしまうような気がしていた。
しかし、今は違った。
この着物に込められたをったからこそ、自分が受け継ぎたいとった。
美紀は所の仕てを訪ねた。
「この着物、し直してもらえますか?」
職の男性は、古い布をに取り、しばらく眺めた。
「ずいぶん事にされてきた着物ですね」
「分かりますか?」
「分かりますよ。布は嘘をつきませんから」
その言葉に、美紀は胸がくなった。
い、母が触れてきた着物。
何度も修繕された跡。
そこには、母のきたが残っていた。
仕て直された着物を受け取った、美紀はでゆっくり袖を通した。
鏡を見ると、そこに映った自分の姿は、昔の母とは違っていた。
けれど、議なほど温かい気持ちになった。
母のの部を、自分が受け取ったような気がした。
その、美紀は結婚式ののことをいした。
「お願いだから、その着物だけはやめて」
あの、自分が言った言葉。
母はどれほどしかっただろう。
20以切にしてきたものを、娘から否定されたのだから。
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しかし母はらなかった。
責めなかった。
ただ静かにしまった。
それは母が、自分より娘の幸せを優先したからだった。
美紀はその事実に気づき、涙を流した。
「お母さん、ごめんね」
誰もいない部で呟いた。
返事はなかった。
でも、着物を包む布の柔らかさが、まるで母ののようにじられた。
その、美紀は自分の子どもたちにも、この着物の話をするようになった。
ただ「古い着物」としてではなく、の女性のが詰まったものとして。
「昔、おばあちゃんには切な友達がいたの」
子どもたちは興そうに話を聞いた。
「そのがくれた着物を、おばあちゃんはずっと事にしていたんだよ」
美紀は初めて、母のいを次の世代へ伝えた。
物は古くなる。
形も変わる。
いつか壊れてしまうものもある。
でも、そこに込められた気持ちは、からへ受け継がれていく。
母が守ってきたものは、着物ではなかった。
を切にするだった。
昭から平成へ代が変わる頃、本の暮らしもきく変化していた。
しいが普及し、便利な物が次々とまれた。
古い物を捨て、しい物へ買い替えることが当たりになっていった。
美紀のでも、代とともに活は変わった。
具も変わった。
もしくなった。
昔使っていたものはしずつ減っていった。
しかし、あの紺の着物だけは残り続けた。
ある、娘が美紀に尋ねた。
「お母さん、その着物ってそんなに事なの?」
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