"捨てられた妻の逆転人生" 第1話
夕暮れのが、台所のステンレスシンクに鈍いを落としていた。
美智子(歳)は、濡れた布巾で調理台の隅を丁寧に拭きげていた。、毎朝毎夕繰り返してきた作である。指先にはの仕事が刻み込んだ細かな皺があり、の差し指の付け根には、包丁の腹が当たり続けたさな胼胝(たこ)がくなっていた。
居の引き戸がき、夫の昭雄(歳)が入ってきた。半、く経営してきた精密械加会社『タツミ精』の代表取締役を息子のに譲り、引退したばかりだった。
昭雄はダイニングチェアを引くと、く腰掛けた。その作には、何と会社で社として君臨してきた男特の、周囲にかしずかれることを当然とする傲さが染みついている。
「美智子、茶だ」
美智子は拭き掃除のを止め、布巾を絞って流しの脇に置いた。 「はい、ただいま」
急須に茶葉を入れ、湯ましした湯を注ぐ。ちる湯気の向こうで、昭雄がテーブルのに枚のいを放りすのが見えた。が滑り、美智子の置いたコースターの端に当たって止まる。
湯呑みを盆に載せ、美智子はテーブルへと歩み寄った。夫のに茶を置く。そして、静かに線を落とした。
の最部には、太いゴシック体で『婚届』と印字されていた。
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夫の欄には、すでに昭雄の達な文字で署名と押印がなされている。
美智子は表を変えなかった。眉ひとつかさず、ただそのを見つめた。
「……これは、どういうことでしょうか」
昭雄は茶をすすり、わずかに眉をひそめた。茶の温度に文句があるわけではなさそうだった。ただ、目のの妻というそのものを値踏みするような、たい線だった。
「見ての通りだ。俺も会社をに譲って引退した。これから先の余は、煩わしい気遣いなしに自分のためにきたい」
「私のことが、煩わしいのですか」
「はっきり言おう」昭雄は湯呑みを乱暴にテーブルに置いた。さな衝突音が静かな部に響く。「おは、専業主婦として暮らしてきた。のことと子育てだけをやって、で銭も稼いだことがない。俺がでどれほどの血の汗を流してを稼いできたか、おには分からんだろう」
美智子は両をエプロンのでね、静かに夫を見つめ返した。
「俺は定をに、事代サービスを頼むことにした。飯も掃除もプロに頼めば済む話だ。おという『コストな政婦』を養い続ける義理は、もう俺にはないんだよ」
政婦――その言葉が、の歳を切り裂くように投げつけられた。
その、玄関のドアがく音が響いた。靴を脱ぐ音、そしてに居へと向かってくる革靴の音がなる。
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「父さん、母さん、ただいま戻りました」
現れたのは、息子の息子の(歳)だった。つ揃えのスーツを着こなし、には分いブリーフケースを持っている。父から会社を継いで半、経営者としての自信と、どこか父に似た傲さがその顔ちに浮かんでいた。
はテーブルのの婚届に目を留めると、驚くもなく、むしろ納得したようにため息をついた。
「父さん、本当に切りしたんですね」
美智子はに目を向けた。自分が痛みに耐えて産み、夜泣きに付きい、だらけのを洗い、をせば夜通し病して育てげた息子だった。
「……あなた、っていたの?」
は母の線を真っ向から受け止めると、徹なビジネスマンの調で言い放った。
「母さん。論は抜きにしましょう。父さんの言う通りです。母さんはこれまで、父さんが稼いできた会社ので何自由なく暮らしてきた。でも、母さん自は会社にも、このの経済にも、何の価値もみしてこなかった。売ゼロ、貢献度ゼロのが、父さんの退職や会社の資産を半分持っていくのは、経営な点から見てもおかしいんです」
、夫のために度の事をえ、酔した夫を介抱し、息子の教育のためにをげ、庭というを無言で守り続けてきた。
そのすべてが、こののでは「売ゼロの無価値」と切り捨てられた。
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