"最後の上映会" 第10話
ののへ「座」の文字ががると、若い清治と文子が並んで見げた。
最の面で、文子が、客席の央へった。正のカメラに向かって何かを話し、を振った。
唇のきはゆっくりで、清治には言葉が分かった。
〈清治さん、これからもよろしくね〉
映像はく揺れ、終わった。フィルムがリールの最までみ、映写から乾いた音が聞こえた。
清治は械を止めることを忘れ、スクリーンを見つめ続けた。隣にいた正夫が静かにスイッチを切ると、映写は暗くなった。
客席から拍が起きた。最初はまばらだったが、やがて館全体を震わせるほどきくなった。
清治は階段をり、スクリーンのへった。何かを話そうとしたが、声がなかった。客席の番には、文子の妹と子が座り、涙を拭きながら笑っていた。
「私は、ずっとの映画を映してきたとっていました」
清治はをかけて言葉を絞りした。
「でも、ここには私たちのも残っていました。文子が、私のらないところで残してくれていた。今まで見ることができなかったのは、きっと今見るためだったのだといます」
清治はくをげた。客席の拍は、いやまなかった。
最終映会の翌、清治はで座の客席を歩いた。には映会で配ったコップや入券の切れ端が落ちており、昨夜までがいた温かさがわずかに残っていた。
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以の閉館には、空になった館を見てすべてが終わったとじた。しかし今度は違った。建物がなくなることへの寂しさはあっても、ここで過ごしたまで消えるとはわなかった。
42、取り壊し作業が始まった。作業員たちは最初にのと板を丁寧に取りし、清治へ渡した。清治は傷の付いたを両腕で抱え、い、言葉を発することができなかった。
町の々も解体を見守った。壁がされると、赤い客席がの差しのへ現れた。暗にあるのが当たりだった座席が青空のに並ぶ景は、議なほどるく見えた。
柴田は座席を2脚引き取り、の奥へ置いた。も弟と座った番号にい子をつ譲り受けた。残りの数脚は、商の空き舗に作られた「座映像」へ運ばれた。
映像はきな施設ではなかった。古い履物の階を改装し、壁へのと板を掲げ、棚に複製したフィルムと記録帳を並べただけのさな部だった。
それでも、温度と湿度を管理する保管箱が用され、公の同が得られた映像は予約すれば誰でも見られるようになった。物名、撮、所を記した台帳も作られ、から判した報を追加できる余が残された。
正の願いどおり、フィルムは誰かの所物ではなく、町の々が共する記録になった。
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町役も放送局の評価を受け、保費用の部を文化資料事業から支援することを決めた。
清治は週に3、映像へ通った。映画館主ではなく記録理の世話役として、訪れたの話を聞き、らない物の名を台帳へき加えた。
ある、京からの老が映像を訪れた。70歳をし過ぎた柄な男性で、座の板を見げたまま、なかなかへ入ろうとしなかった。
清治が声をかけると、老は枚の写真を差しした。が2並んでつ、あせた写真だった。
「正さんの映像が、ここにあると聞きました」
老は正雄と名乗った。正が半をかけて捜し続けた弟だった。
昭25、正雄はをたのではなく、親戚のに連れられてい町へ移っていた。族には正雄が自分でていったと伝えられ、正雄には兄たちが迎えを拒んだと教えられていた。
幼かった正雄はその言葉を信じ、しいで別の姓を名乗って育った。になって養父母の遺品から古い戸籍の写しを見つけ、自分の族を調べ始めたという。
聞に掲載された座映像の記事で、正の名を見つけた。しかし連絡を取ったには、正がくなってから半が過ぎていた。
清治は恵子へ話をかけた。翌週、彼女は父親のノートと写真を持って町へ来た。
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