"焼け跡の花束" 第3話
空襲の翌朝、8歳だった健は、黒く焼けた町のを裸で歩いていた。履いていた駄は逃げる途で片方を失い、残った片方も川辺へ捨てていた。
空はれていたが、あちこちから煙ががり、昼になっても太陽はくかすんでいた。には壊れた荷や桶が転がり、昨までだった所から、茶碗や鍋が半分焼けた状態で見つかった。
「お母ちゃん」
何度呼んでも返事はなかった。母の澄が最に着ていた縞模様の着を捜したが、避難する々のも顔も煤で黒く汚れ、誰が誰なのか見分けられなかった。
健は3、母と妹を捜して歩いた。避難所でも名を呼び、病院代わりの寺にもったが、がかりはなかった。
炊きしの列へ並んでも、子供では押しのけられた。配られた芋を奪われたこともあり、それからはが勢いる所へづくことを恐れるようになった。
夜は焼け残った軒や倉庫で眠った。空腹で腹が痛み、川のをむと、さらに体調を崩した。それでも母が戻ってくるかもしれないとい、のくかられられなかった。
その所で健へ声をかけたのが、子だった。齢は35歳ほどで、髪をろに束ね、のもんぺを履いていた。
「坊や、なの?」
健は返事をせずに逃げようとした。に捕まれば、らないへ連れていかれるとったからだった。
広告
しかし数歩ったところで、力が抜けて面へ座り込んだ。子は無理にづかず、しれた所へ腰をろした。
「私もなの。だから、あなたをどこかへ連れていくはいないわ」
子は布袋から黒パンを取りした。のひらほどのきさしかなく、何も置いたようにかった。
半分に割り、その方を健のへ置いた。健はパンと子の顔を交互に見た。
「毒なんて入っていないわよ。私も同じものをべるから」
子は自分の分をかじった。健はゆっくりパンへを伸ばし、度にみ込まないようしずつ噛んだ。
く、わずかに酸っぱいがした。それでも健にとっては、今までべた何よりも温かくじられた。
「あなたの名は?」
「健」
「私は子。お母さんは?」
「捜してる」
子は、母親はもういないと言わなかった。「ではも緒に捜しましょう」と答えた。
子も空襲でを失っていた。夫は戦から戻らず、7歳の息子・正は避難にくなった。遺されたものは、息子が持っていたさなお守りと、焼け焦げた族写真だけだった。
自分の料さえりない、子は瓦礫ので暮らす子供たちへしずつべ物を分けていた。配でもらったパンや芋を細かく切り分け、「で全部べてはだめよ」と笑った。
健は子と共に母を捜しながら、焼け跡から使える鍋、釘、材を集めた。
広告
子は拾った布で子供たちのを繕い、空きにをしのぐを作った。
そこには健のほか、族とれた5の子供が集まっていた。12歳の達夫、11歳の信、6歳の勇、4歳の子、齢の分からない幼い次郎だった。
子は全員の母親になろうとはしなかった。失った母親の代わりになれるとはっていなかったからだ。
「泣きたいは、お母さんの名を呼んでいいのよ。忘れなくても、これからきていけるから」
夜、母をいして泣く健へ、子はそう話した。健は子の膝へ寄りかからず、しれて座ったまま泣いた。子も息子のお守りを握り、声を押さえて泣いていた。
2は互いのしみを消せなかった。しかし同じ所で泣くことによって、だけ取り残されたのではないとった。
レンガ壁は、子と子供たちが暮らしたのすぐ隣にあった。元の品の壁がよけになり、のには軒の残骸へ布を張った。
になると、焼け跡の隙から黄いレンギョウが咲いた。子はそのを枝折り、空き瓶へ挿した。
「焼けたからでも、はてくるのね」
健は、その言葉をく覚えていた。
終戦を迎えた昭208、町では兵士の帰還を待つ族と、帰る所を失った々が同じ列へ並んで配を受けていた。戦争が終わったと聞いても、健たちの空腹がすぐに消えることはなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
集団就職で東京へ出た姉は、名前を奪われた
「明日、全部話す。冬子たちは絶対にこの工場へ来ちゃ駄目」 昭和45年12月、東京の部品工場で働く姉・春江は、そう電話をかけてきた。 翌朝、姉は女子寮から姿を消した。 作業服も保険証も残したまま、編みかけの赤いマフラーには針が刺さっていた。 会社は、姉が貯蓄会の四十二万円を持ち出し、映写技師の男と逃げたと発表した。 父は姉から届いた手紙をすべて焼き、警察にも届けなかった。 冬子が灰の中から拾えたのは、最後の一行だけ。 《会社は、私たちの給料だけでなく、名前まで預かっている》 それから二十六年後、社会保険事務所から一通の照会状が届く。 亡くなった別の女性の年金記録に、姉と同じ指紋が使われていたのだ。 さらに死亡診断書には、その女性にはなかった身体的特徴が記されていた。 《右手人差し指、第一関節より欠損》 その傷を持っていたのは、失踪前の事故で指先を失った春江だった。時代|歴史|昭和2.3万字5 153 -
完結第14話
昭和29年、夫を亡くした私から船が奪われた
夫を海難事故で失った翌朝、志津は3人の子どもを養うため、残された船で海へ出ようとした。だが漁協は鍵を取り上げ、義兄は告げる。 「船を使いたければ、長男をうちへ寄こせ」 女には魚を売らせない。船も網も夫名義。さらに借りた伝馬船まで奪われた志津は、自ら町を歩き、獲れた魚を一軒ずつ売り始める。 やがて見つかった古い領収控えには、船の手付金を払った志津の名前があった。しかし同時に、義兄が残金を貸していた事実も判明する。 船をめぐる権利と借金、そして11歳の息子の人生。何も持たないと見下された志津は、海ではなく「魚を売る場所」から、自分たちの暮らしを取り戻していく。時代|歴史|昭和2.1万字5 23 -
完結第14話
母の葬儀から戻ると、私の寝台はもうなかった
母の葬儀を終え、約束より1日遅れて工場へ戻った18歳の女工・春江。だが門前には私物の入った段ボール箱が置かれ、寮母は冷たく告げた。 「あなたの寝台は、もう別の子に渡しました」 無断欠勤を理由に自己都合退職を迫られ、給料まで大幅に差し引かれた春江。しかし明細には、故郷にいたはずの3日間、彼女が残業した記録が残っていた。 さらに、春江の寝台を与えられた15歳の少女は、彼女と同じ勤務番号で働かされていた。時代|歴史|昭和2.1万字5 34 -
完結第13話
父が開けた祝儀袋
昭和35年、結婚披露宴の最中、恭子は父が祝儀袋を次々と開けている姿を目撃する。豪華な宴も嫁入り道具も、すべて借金で用意されていたのだ。しかも婚家からは、「あなたの結婚のための借金」と返済まで迫られてしまう。 誰が望み、誰が支払うべき金だったのか。恭子が費用を一つずつ調べると、借入額には披露宴だけでは説明できない差額が見つかる。やがて明らかになったのは、父が娘の結婚と祝儀を利用して隠そうとした、もう一つの借金だった。 「家族のため」という言葉の陰で、誰かの人生や金を勝手に使ってよいのか。見栄と古い家族観に抗い、自分たちの暮らしを取り戻そうとする一人の女性の物語。時代|歴史|昭和|親子関係1.9万字5 174 -
完結第10話
昭和51年、閉山した炭鉱町から消えた父
昭和51年、炭鉱が閉山した3日後、保安係だった父・修一が姿を消した。玄関には泥のついた長靴と作業帽が残され、母は「探さなくていい」と口を閉ざす。だが娘が父の作業着から見つけた紙片には、閉鎖された坑道の名と、謎の時刻が記されていた。 調べるほどに浮かび上がる、改ざんされた保安記録、帳簿から消された作業員、そして会社が隠そうとする閉山直前の事故。やがて坑道に残された録音から、父が誰かを救おうとしていた事実が明らかになる。しかし数十年後に届いた父の名札には、さらに不可解な言葉が刻まれていた。 「北の出口から出た。家へは戻れない」 父はなぜ、生きて坑内を出ながら家族のもとへ帰らなかったのか――。時代|歴史|昭和|ミステリー|真相1.5万字5 216 -
完結第14話
震災から半年ぶりに帰った家には、知らない家族が住んでいた
昭和45年、母は20年以上もの間、同じ古い着物を大切に着続けていた。 娘の美紀は、母がただ節約のために我慢しているだけだと思っていた。正月の日も、特別な日も、新しい服を選ばず、何度も繕われた一枚の着物を身につける母の姿を、少し寂しく感じていた。 しかし、母が亡くなった後、その古い着物の中から見つかった小さな刺繍が、美紀の知らなかった母の過去を呼び起こす。 戦後の苦しい時代を生き抜いた一人の女性が、なぜその着物だけを手放さなかったのか。 長い年月の中に隠されていた家族の記憶と、母が守り続けた想いが、少しずつ明らかになっていく――。時代|歴史|昭和2.1万字5 215 -
完結第14話
旅館に残された姉
「修平の合格通知は、お父さんに見せてはいけない」 昭和43年、母は長男の大学合格を三日間隠し、私に命じた。 「あなたが弟を連れて、入学手続きを済ませてきて」 父に逆らってでも弟の未来を守ろうとする母を、私は初めて頼もしいと思った。 けれど、その夜。 母が父へ放った一言で、私の喜びは消えた。 「芳子が残れば、旅館は何とかなります」 私は十五歳から五年間、厨房、掃除、配膳、帳場まで無給で働いてきた。 それでも両親にとっては、すべてただの「家の手伝い」。 弟には外へ出る道を作り、私にはその穴を埋めさせるつもりだった。 私は自分が担ってきた仕事と、代わりの人を雇った場合の人件費を一枚の紙へ書き出した。 「家族だからって、私の仕事がただになるの?」 父はその紙を丸めて捨てた。 一か月後、私は旅館を出た。そして数年後、経営に行き詰まった父が私を迎えに来た時、同じ紙をもう一度差し出した。時代|歴史|昭和2.1万字5 132 -
完結第13話
昭和39年、空の給料袋を盗んだ女
「テレビの裏を――」 警察車両に乗せられる直前、母は窓越しにそう口を動かした。 昭和39年、東京五輪の開会式で社宅食堂が沸く中、停電が発生。 そのわずか十二分間に、工員二十四人分の給料袋が消えた。 予備鍵を持っていた母・静江は逮捕され、途中から犯行を認めた。 しかし、総額七十四万円は一円も見つからなかった。 娘の弘美は「泥棒の娘」と呼ばれ、母と離されたまま三十一年を生きる。 そして平成7年、取り壊される社宅の白黒テレビの裏から、油紙の包みが落ちた。 中にあったのは、空の給料袋二十四枚と、同じ人数分の給与明細。 そのうち七人は、事件の二年前に工場事故で亡くなっていた。 なぜ会社は、亡くなった工員へ給料を払い続けていたのか。 明細を見せられた父は青ざめ、弘美にこう告げた。 「これ以上調べたら、お前まで戸籍を失う」時代|歴史|昭和2.3万字5 157 -
完結第11話
名門野球部で、僕らは声を失った
「3年は神、2年は平民、1年は虫けらだ」 昭和60年、甲子園を夢見て名門野球部へ入った15歳の実は、入寮初日にそう告げられた。 笑顔も私語も禁止。 練習中に水を飲むことさえ許されない。 喉の渇きに耐えきれず、実は便所に置かれた清掃用の泥水をすすった。 それでも辞めなかった。 ここで耐え抜けば、甲子園へ行けると信じていたからだ。 ところがある深夜、食堂から一本のマヨネーズが見つかり、1年生全員が呼び出された。 犯人として名乗り出た同期の胸元から、一枚の手紙が落ちる。 そこには、寮内で繰り返されてきた暴力と、密かに処理された負傷者たちの名前が記されていた。 少年はその夜、「反省室」へ連れていかれた。 そして翌朝、学校は彼の退学を発表したが――部屋に残された履物だけは、誰の手にも触れられていなかった。時代|歴史|昭和1.7万字5 152 -
完結第13話
昭和天皇がマッカーサーに告げた「責任」
「天皇は、自分の命を助けてほしいと頼みに来る」 昭和20年9月、マッカーサーはそう確信していた。 敗戦国の元首が、処刑を免れるために勝者へ頭を下げる。 その“命乞い”を聞くつもりで、赤坂の公邸へ昭和天皇を呼びつけたのだ。 だが会見が始まり、天皇が口にしたのは、自らの処遇についてではなかった。 「すべての責任は、私一人にあります」 さらに続いた言葉を通訳が英語へ訳した瞬間、マッカーサーの手から煙草の灰が落ちた。 予定された会見時間は十五分。 しかし扉が開いたのは、三十五分後だった。 入室前には「ヒロヒトさん」と呼んでいたマッカーサーが、帰り際には自ら車の扉を開け、「陛下」と呼んで見送ったという。 ところがその直後、二人の会話を記録したはずの公式文書が、GHQの保管庫から忽然と消えていた。 そこには、敗戦後の日本の運命を変えかねない“ある発言”が記されていた。時代|歴史|昭和2.0万字5 121