"焼け跡の花束" 第4話
子は焼け跡のをしずつ直し、所から「子供の」と呼ばれるようになった。正式な施設でもなければ、国や町から援助を受けているわけでもない。ただ、きのない子供たちが夜を越せる所だった。
朝になると、子は子供たちへ仕事を分けた。をくむ者、薪を拾う者、べられる野を探す者、幼い子の面倒を見る者。何かを得るためにはと交渉し、できる仕事を探さなければならなかった。
健は朝倉商へき、源蔵の荷運びを伝ったこともあった。当の源蔵は妻の佳代とを再建することに必で、健が子と暮らしている子供だとはらなかった。
「荷物を運んでくれたら、折れた乾麺をやる」
源蔵が言うと、健は米軍払いげの箱を何度も運んだ。受け取った乾麺は自分でべず、子のへ持ち帰った。
子は麺を細かく折り、野と緒に煮た。7で分ければ分はわずかだったが、温かい汁が腹に入ると、子供たちは久しぶりに眠ることができた。
それでも、焼け跡で暮らす子供たちを見る町の目は温かいものばかりではなかった。盗みを疑われ、のから追い払われることもあった。
実際、達夫は空腹に耐えられず、から芋を盗んだ。主に捕まり殴られた達夫を、子は自分の持っていた配券を差しして助けた。
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へ戻ると、子は達夫を鳴らなかった。頬の傷をで洗いながら、静かに話した。
「盗んではいけないと言うのは簡単よ。でも、お腹が空いて何も考えられなくなることもある。だから、盗まなくてすむ方法を皆で考えましょう」
翌から子は、町のを軒ずつ回った。掃除、荷運び、子守りなど、子供にもできる仕事と引き換えに、売り物にならない材を分けてほしいと頼んだ。
最初は断るもかった。しかし豆腐からおから、百から傷んだ野菜、米から袋の底に残った米粒が集まるようになった。
子は、もらった料を子供たちので必ず数えた。誰かがくべたり、者が幼い子の分を奪ったりしないよう、分け方を全員で決めた。
「さい子がしいのは、ずるじゃない。体を作るためよ。働けるは、またべ物を探せるでしょう」
健は、その言葉を聞いて自分の分を子へ分けた。子は褒めず、代わりに翌は健の器へしく汁を注いだ。
「自分まで倒れたら、誰も助けられないのよ」
健は、優しさとは自分のすべてを差しすことではないと、子からしずつ学んだ。自分がき続けられる分を残し、そので隣の者へを伸ばすことが切なのだ。
昭21の、健の叔父がようやく彼を見つけた。役所の名簿をたどり、父方の親戚へ健の所が伝わったのである。
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「これで族と暮らせるね」
子は笑ったが、健は首を横に振った。叔父夫婦とはほとんど会ったことがなく、子や子供たちとれるのが怖かった。
「ここがだ」
健が言うと、子はの肩へを置いた。
「ここは、次のへくまで休む所よ。健には、学へ通って、布団で眠れるが必なの」
「子さんも緒に来ればいい」
「私はここで、まだ来るかもしれない子を待つの」
別れの、子はさな布袋を健へ渡した。にはレンギョウのを押したと、切れの乾いたパンが入っていた。
「パンはべていい。でも、は取っておきなさい。苦しくなった、焼け跡からもが咲いたことをいせるように」
健は袋を胸へ抱いた。泣かないよう奥歯をかみしめたが、子の姿が見えなくなるまで何度も振り返った。
「元気にになったら、たまにこの所をいしてね」
それが、子と交わした約束だった。
叔父のへ移った健は、くの学へ編入した。名簿へ自分の名がかれ、教科を冊ずつ渡された、初めて戦争が終わったのだとじた。
しかし学へ通えるようになっても、活は楽ではなかった。叔父は雇い仕事を続け、叔母は縫い物の内職をしていた。族全員が部で眠り、事は麦や芋を混ぜたい粥だった。
健は学が終わると薪を拾い、朝倉商の荷運びや掃除を伝った。
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