"帰った家に、知らない親子がいた" 第3話
「配しすぎるな。今は皆、自分のするべきことをしなさい」
それだけだった。
だが、の顔は正直だった。
何かを隠しているの顔だった。
正は夜、着の内側に縫いつけられたい布を何度も触った。
名。
学名。
疎先。
京の所。
文字の輪郭を指で確かめる。
父が言った。
何があっても帰ってこられる。
所も覚えている。
だから自分のは、まだ京にある。
正はそう信じた。
昭203。
寺の空気が、朝からいつもと違っていた。
先たちが何度も集まり、廊の端で声で話している。子どもたちは何かあったと察していたが、誰も詳しいことを教えてくれなかった。
昼になって、ようやく全員が本堂へ集められた。
正は友達と並んで座った。
先はしばらく黙っていた。
「京が、きな空襲を受けた」
ざわめきが広がった。
「どこですか?」
誰かが叫んだ。
「うちの町は?」
「母ちゃんは?」
次々に声ががった。
先はをげて静かにさせようとしたが、子どもたちのは止まらなかった。
やがて京の図が広げられた。
焼けた範囲について分かっていることが読みげられた。
川。
本所。
浅。
本。
町の名がるたび、誰かが息を呑んだ。
「僕の、この辺です」
「うちもい」
「先、ここはどうなったんですか」
図の周囲に子どもたちが集まった。
正もへた。
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川。
自分の所。
見慣れた町名。
図のでは、はそこにあるはずだった。
しかし、現実に何が残っているのかは誰にも分からなかった。
の子が泣き始めた。
それにつられて、別の子も声をげた。
「母ちゃんがんだらどうするんだよ」
「そんなこと言うな!」
「でも、先何も教えてくれないじゃないか!」
本堂のが気に騒がしくなった。
正は泣かなかった。
泣いたら、本当に悪いことが起きた気がする。
そうった。
父は言った。
何があっても帰ってこられる。
母は言った。
戦争が終わったら、またここへ帰ってくる。
だから丈夫だ。
正は何度もので繰り返した。
そのから、母の葉は枚も届かなかった。
1週。
2週。
1か。
正は郵便が来るたび先の方を見るようになった。
「佐野正」
自分の名が呼ばれるのを待った。
しかし呼ばれない。
の子に葉が届けば、羨ましさとが入り混じった奇妙な気持ちになった。
「よかったな」
そう言いながら、その葉の裏に京のことがかれていないか気になった。
ある、同じ部の田に聞かれた。
「正、おんとこまだ来ないの?」
「郵便が遅れてるだけだよ」
「でも、もう1かだろ」
「だから何だよ」
「いや……」
田はそれ以言わなかった。
正は腹がった。
友達にではない。
誰にればいいのか分からなかった。
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京へ。
戦争へ。
葉を届けない郵便へ。
何も教えてくれないへ。
夜になると、母から届いた古い葉を何度も読み返した。
「の朝顔は今も咲きました」
その文を指でなぞった。
朝顔の鉢はどうなったのだろう。
玄関は。
父の靴は。
母の茶碗は。
自分の机は。
考え始めると眠れなくなった。
そんなは着のの布を触った。
所がある。
所が残っている限り、へ帰れる。
それだけを頼りにした。
が過ぎ、が来た。
子どもたちはにに痩せていった。
事はさらになくなり、芋の蔓や野まで卓にるようになった。
京の状況についても、断片な話しか届かなかった。
正は母へ葉をき続けた。
「元気です」
「配しないでください」
「く帰りたいです」
返事がないと分かっていてもいた。
いつかまとめて届くかもしれない。
母が読めば、自分がずっと元気だったと分かる。
そう考えていた。
昭208。
寺にいたたちが集まり、ラジオを囲んだ。
子どもたちも呼ばれた。
雑音混じりの放送を、正はほとんど理解できなかった。
ただ、終わったのだということだけは分かった。
「戦争が終わった」
誰かが言った。
「本は負けたんだ」
別のが呟いた。
負けた。
正には、その言葉のみが分からなかった。
勝ち負けなど、どうでもよかった。
正の胸に浮かんだのは、たった1つだった。
京へ帰れる。
父と母のところへ戻れる。
所を覚えている。
はそこにある。
正は、その夜久しぶりに笑った。
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