"米はあるのに、田を売った" 第5話
「世のが変わったんだ」
庄吉は父を見た。
「はな、米が取れればそれでよかった。たくさん取れれば、今はえるとべた」
源蔵は膝のでを組んだ。
「今は違う。取れた米がいくらになるかをらなきゃ、百姓もできない」
庄吉は、数に父が言った言葉をいした。
米を作るだけじゃ駄目な世のになった。
あのよりも今の方が、がよく分かった。
数、源蔵は田を売った。
面が作られ、川向こうの枚だけ券の名義が変わった。のではそれだけのことだったが、祖父の代から耕してきたの部が、そのを境にのになった。
売った翌朝も、源蔵は夜けに目を覚ました。何も体に染みついた習慣のまま鍬を持ち、をて、気づけば川向こうへ歩いていた。
田の畦まで来て、源蔵はようやくを止めた。
もう自分の田ではない。
それでもを見るだけで、どこにが詰まっているか分かる。畦の部が痩せているのを見れば、あと何杯をせば持つかまで像できた。
源蔵は鍬を面へ置き、そのにしゃがみ込んだ。
しれたから、庄吉がその姿を見ていた。
声をかけようとして、やめた。
父が顔を覆って泣いていたからである。
庄吉は、その初めてった。
父が守ろうとしていたのは、単なるではなかった。
広告
田を売ったことで、そのの税と太の薬代は何とか用できた。族がべる米も残り、の薪を買うも確保できたため、数字のでは源蔵の判断は違っていなかった。それでも茶のから川向こうの田が見えるたび、族の誰もがそこを識してしまった。
になると、お糸は本当に町へ働きにると言いした。には製糸の募集が何度か来ており、若い娘ならみ込みで働けて、も現でもらえるという話だった。労働が楽ではないという噂も聞いていたが、それでもお糸は考えを変えなかった。
源蔵は最まで反対した。
「でえないわけじゃない」
「べる話だけじゃないよ」
「町へて苦労する必がどこにある」
「ここにいたって、私はずっと誰かの娘で、そのうち誰かの嫁になるだけでしょう」
お糸は以よりはっきり物を言うようになっていた。
源蔵には、それが町へたいという娘のなのか、それとも自分がらないに世のそのものが変わっているのか判断できなかった。庄吉は妹を止めず、「嫌になったら帰ってくればいい」とだけ言った。
トヨは娘の荷物を黙って用した。替えの着物を畳み、拭いを入れ、針と糸をさな袋にまとめる。その作業をしている、母娘はほとんど言葉を交わさなかった。
広告
発の、源蔵は朝から嫌だった。駅まで送らないと言っていたくせに、お糸が荷物を背負おうとすると「そんな持ち方じゃ肩を痛める」と取りげ、自分で担いだ。庄吉はそれを見ても笑わず、しろを歩いた。
をるからは、の田が望できた。代掻きをにを入れた田が空を映し、くにはまだの残るが見えた。お糸は何度か振り返ったが、源蔵はだけを見て歩いた。
駅に着くと、同じから働きにる娘がほかにも3いた。見送りに来た親たちは皆、そうでありながら、現を稼げることへの期待も隠せない顔をしていた。しなら、娘を町へ働きにすことは貧しいの恥だと考える者もいたが、今ではむしろを助ける派な働きだと言うまでいた。
汽が来るし、源蔵はようやく娘へ荷物を返した。
「嫌になったら帰ってこい」
お糸は笑った。
「帰ってきてもいい所、残しておいてよ」
源蔵は返事をしなかった。
その言葉が、失った田のことを指しているのか、それとも族そのものを指しているのか分からなかったからである。
汽がきすと、お糸は窓から何度もを振った。源蔵は最までをげなかったが、汽が見えなくなってもしばらく線の向こうを見つめていた。帰り、庄吉が「本当は寂しいんだろ」
と言うと、源蔵は「余計なことを言うな」とだけ返した。
それから数か、お糸から初めてが届いた。製糸の仕事は朝がく、指が痛くなるほど糸を扱うため、最初の頃は毎晩泣きたくなったといてあった。
広告
おすすめ作品
-
完結第22話
大正十四年、卒業式で制服を脱いだ三十七人――母の署名に隠された秘密
大正十四年、信州の私立女学校。卒業を控えた小林操は、式服の代金を払えない七人の同級生が、記念写真から外されると知る。卒業式当日、三十七人の少女たちは一斉に紺色の上衣を脱ぎ、学校の決定に抗議した。しかし校長は卒業証書の交付を拒否。さらに、式服を仕立てた十二人の女性たちにも賃金が支払われていないことが明らかになる。しかも、学校の注文が取り消された場合の弁償書には、操の母の署名があった。友人を守るための行動が、なぜ母たちの暮らしを脅かすことになったのか。時代|歴史|昭和3.0万字5 83 -
完結第22話
消えた十一丁の鍬
昭和十七年、山形県の小さな山村。金属回収が進むなか、老鍛冶屋の徳兵衛は、村人から預かった二十七丁の鍬を納屋に隠し、「一丁も渡さん」と言い張った。父の頑固さに反発する息子・信一は、持ち主へ農具を返すため、一丁ずつ修理の予定を立て始める。ところが翌朝、十一丁の鍬から鉄の刃だけが消えていた。父が密かに作っていたのは、村の水門を守るための金具だった。しかし、その水門には誰も知らない危険が隠されていた。時代|歴史|昭和2.8万字5 101 -
完結第23話
昭和53年、満員の始発を止めた運転手――その後、坂道で起きた悲劇
昭和53年7月30日。沖縄の交通が右側通行から左側通行へ切り替わった朝、55歳のバス運転手・新垣清徳は、32人の乗客を前に始発の発車を拒んだ。用意された旧型バスは、乗降口が車道側に開く危険な車両だったのだ。しかし欠便を恐れる主任は、若い運転手にその車を出すよう命じてしまう。やがて坂下から届いたのは、一人の少年が負傷したという知らせ。なぜ危険だと分かっていたバスが走ったのか。清徳は息子や同僚たちとともに、事故の責任と、誰も気づかなかった道路の危険に向き合っていく。職場逆転|時代|歴史|昭和|裡の顔3.0万字5 174 -
完結第20話
昭和19年、三十二人が夕飯を拒んだ理由
昭和十九年、信州の寺に集団疎開した子どもたちが、ある晩、いっせいに箸を置いた。「一人だけ、まだ食べていません」。病に伏せる少女・妙子の食事を案じた十二歳の正雄は、食卓に並ぶ膳の数に奇妙な違和感を覚える。やがて納屋の柱に刻まれた米俵の数、届かない食糧、教師の印が押された受領書が浮かび上がる。さらに役場の名簿には、寺で暮らす八人の子どもが翌月から消されることになっていた。誰が、何のために食糧と子どもたちの名前を動かしているのか。時代|歴史|昭和|真実|真相2.8万字5 160 -
完結第22話
空の米びつと一合の嘘
昭和二十三年、大阪の小さな米屋で、女将のフミが配給米を一合ずつ少なく渡しているという噂が広まった。怒った住民たちが店へ押しかけ、米を隠しているはずの台所を調べると、そこにあったのは空っぽの米びつと薄い麦粥だけだった。なぜ客の米を減らしながら、自分の子どもにさえ白いご飯を食べさせられないのか。母の沈黙を不審に思った長男・勇一は、配給帳と運送記録を調べ始める。やがて浮かび上がったのは、途中で姿を消す米袋、受け取っていないのに押された印、そして二年前に亡くなった父の署名だった。時代|歴史|昭和|兄弟姉妹2.8万字5 170