"日本人に戻れた父、戻れなかった娘" 第7話
父と母。
自分。
もう度と見ることはないとっていた景だった。
「まだ持ってたの?」
宗郎はく答えた。
「ああ」
美津子は写真から目をさなかった。
「捨てたとってた」
「捨てられるわけないだろ」
その言葉を聞いた瞬、美津子の胸の奥が痛んだ。
自分に写真を置いていけと言った父が、別の写真を隠して持ち帰っていた。
責めようとえば責められた。
だが父の顔を見ると、何も言えなかった。
宗郎もまた、あの所を失っただったのだ。
美津子は枚ずつ見た。
学の。
所の子ども。
庭。
母が使っていた自転。
そして昔んでいた。
写真のにあるものは、今はもう自分のの届かない所だった。
「お父さん」
「うん」
美津子はの写真を見ながら聞いた。
「帰りたい?」
宗郎はすぐに答えなかった。
い沈黙があった。
やがて写真へ目を落としたまま、静かに言った。
「帰れない所を、故郷って言うこともあるのかもしれんな」
美津子は父を見た。
宗郎は続けた。
「俺はずっと、本が故郷だとわなきゃいけないとってた」
声はさかった。
「そうじゃないと、向こうで失ったものが全部無駄になる気がしてな」
美津子は黙って聞いた。
「もも、あそこで暮らしたも全部なくして本へ帰ってきた」
「だから、本へ帰れたんだからいいんだとおうとした」
広告
宗郎の指が、写真の端をそっと押さえた。
「でも」
父は幼い美津子が写っている枚を見た。
「おにまで同じことを言わせる必はなかった」
美津子の目に涙が浮かんだ。
宗郎は娘を見なかった。
「おは向こうでまれた」
「そこで育った」
「それまで消せなんて、言っていいことじゃなかった」
言葉の最がし掠れた。
宗郎は「すまなかった」とはっきり言わなかった。
だが美津子には、それが父の謝罪だと分かった。
何も、頬を叩いたこと。
本だけを故郷だと言わせようとしたこと。
娘の記憶より、自分の帰国のびを優先していたこと。
その全てを、父なりの言葉で認めようとしていた。
美津子は写真を持ったまま、しばらく泣いた。
宗郎も何も言わなかった。
ただ2で、失った町の写真を見続けた。
翌朝から、宗郎と美津子の関係が急に元通りになったわけではない。
い言えなかったことをにしたからこそ、互いにどう接すればいいのか分からないもあった。
それでも、それまでとは違った。
宗郎は「ここがおの故郷だ」と言わなくなった。
美津子も父の「本へ帰ってきた」という言葉を否定しなくなった。
2が経験したことは同じでも、そのは違っていた。
宗郎にとって、終戦の引き揚げは、失ったものを抱えながら祖国へ戻ることだった。
広告
美津子にとっては、まれ育ったから切りされ、初めて見る国で活を始めることだった。
同じに乗っていた。
同じ族だった。
けれど「帰った」と、「来た」がいた。
その違いを、父娘はようやく認め始めた。
修との結婚話も、しずつみ始めた。
では、志げがまだ迷いを抱えていた。
親戚の言葉も気にしていた。
だが修の父は、美津子本と話したことで考えが変わっていた。
「どこでまれたかだけで決めても仕方ない」
そう妻へ話した。
志げも、美津子を嫌っていたわけではない。
むしろ真面目に働き、修を切にしていることは分かっていた。
ただ、自分がく暮らしてきた町のから来たを、どう受け入れればよいのか分からなかった。
そのを「引揚げ」という言葉に置き換えていたのかもしれなかった。
美津子も、志げを悪いだとはわなかった。
だから何度かを訪ねた。
奉でのことを聞かれれば、必以に隠さず答えた。
「国語は話せるんですか」
志げが尋ねた、美津子は首を振った。
「し聞き覚えがある程度です」
「学は本の学だったの?」
「そうです」
「べ物は?」
その質問には、美津子もし笑った。
「では母が本の料理を作ることがかったです。でもでは向こうのべ物もたくさんありました」
志げはらない話を聞くように頷いた。
美津子は、自分が「説される側」ではなく、自分の言葉で話せることが嬉しかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第11話
この家は俺のものだ
昭和23年、信州の小さな温泉町で、古い旅館「松乃屋」の主人が亡くなった。 葬儀の後、長男の正一は当然のように言い放つ。 「この家は全部、俺が継ぐ」 長男が家を守り、嫁いだ娘は実家の財産に口を出さない。それが、この町では長い間“当たり前”だった。 しかし翌朝、妹の文江が町役場から一枚の紙を持ち帰る。そこに書かれていたのは、新しい民法によって家制度も家督相続も廃止されたという事実だった。 父が守れと言い残した旅館。長男として人生を縛られてきた兄。嫁ぎ先から戻る場所を失った妹。 「家」とは、誰のものなのか。 戦後の価値観が大きく揺れ始めた時代に、三人兄妹は父の残した松乃屋と向き合うことになる――。時代|昭和1.7万字5 70 -
完結第11話
帰ってきた長男に家はなかった
昭和21年の春、10歳の正一は母に手を引かれ、復員列車から降りてくる父を待っていた。 3年前に出征した父・慎太郎は、痩せ細った姿でようやく故郷へ戻ってきた。母は泣き崩れ、正一は家族が元に戻ると信じた。 しかし、呉服店の前に立った祖父は、帰ってきた父に向かって言った。 「お前は、この家には入れん」 父がいない間、店を守っていたのは弟の隆次だった。さらに父の後ろには、引き揚げの途中で出会った若い女性の姿があった。 待ち続けた妻、店を守った弟、帰る場所を失った女性、そして戻ったはずの家に居場所をなくした父。 戦争が終わっても、家族の時間は元には戻らない。 復員列車が運んできたのは、再会の喜びだけではなかった――。時代|歴史|昭和1.6万字5 1908 -
完結第11話
新幹線の日、父は駅弁を売らなかった
昭和39年10月1日。東海道新幹線が開業し、日本中が「夢の超特急」に沸いていた朝。 静岡の小さな駅で30年駅弁を売ってきた石田栄吉は、その日だけ木箱に弁当を詰めようとしなかった。 炊き上がったご飯も、煮物も、玉子焼きもある。駅前には祝賀の小旗が並び、息子の明夫は「今日こそ一番大事な日だ」と父を責める。 しかし栄吉は、古い腕時計を見つめたまま静かに言った。 「今日は売らない」 新幹線の時代を嫌ったのか。それとも、変わっていく世の中についていけなくなったのか。 だが昼前、明夫は家に残された古い時刻表を見つける。赤鉛筆で丸をつけられていたのは、もう二度と同じ形では来ない一本の普通列車だった。 父が本当に見送りたかったものは、列車だけではなかった――。時代|歴史|昭和1.6万字5 19 -
完結第10話
出征前、父が婚姻届を出した
昭和18年、戦局が悪化する中、法律を学んでいた大学生・藤原正一にも出征の知らせが届く。 長男として家を継ぐはずだった息子が、いつ戻るかも分からない戦地へ向かう。その現実を前に、父・宗吉は正一の婚約者・志津子を呼び、突然こう告げた。 「今すぐ、藤原家の嫁になれ」 息子に何かあった時、婚約者のままでは守れない。そう考えた父の決断だった。だが志津子は、家族全員の前で静かに首を振る。 「私は正一さんと結婚したいんです。藤原家を守るために嫁になるんじゃありません」 出征を前にした息子、家を守ろうとする父、そして自分の人生を他人に決められまいとする婚約者。 別れの日、駅のホームで父が取り出した一枚の婚姻届が、三人の運命を大きく変えていく――。時代|昭和1.5万字5 196 -
完結第11話
毎週木曜、つながらない番号へ
昭和34年の秋、山あいの小さな町で交換手として働く19歳の美代子は、毎週木曜の夜8時40分にかかってくる奇妙な電話に気づく。 駅前の赤電話から、決まって同じ女が頼む番号。 「三七二番をお願いします」 しかしその番号は、半年前に閉鎖された繊維工場の女子寄宿舎のものだった。もう誰もいないはずの場所へ、女は雨の日も風の日も、同じ時刻に電話をかけ続けていた。 やがて美代子は、古い接続記録の中に不自然な最後の通話を見つける。 昭和34年3月12日。 その夜を境に、寄宿舎からの電話は途絶えた。 そして11月最初の木曜日、今度は若い男の声が交換台に届く。 「妹を探しています」 半年間つながらなかった番号と、夜勤者名簿から赤い鉛筆で消された一人の少女。 閉ざされた寄宿舎で、あの夜いったい何が起きたのか――。歴史|昭和1.6万字5 137 -
完結第10話
銀行員の妻も列に並んだ日
昭和2年、大阪。 銀行の前には、通帳と印鑑を握りしめた人々の長い列ができていた。怒号が飛び交う中、銀行員の藤田清吉は何度も声を張り上げる。 「預金は安全です!」 しかし清吉自身、その言葉を心から信じてはいなかった。前夜、支店長室で告げられたのは、銀行がすでに危うい状態にあるという現実だった。 それでも行員として、人々を落ち着かせなければならない。 そう思って列の前に立った清吉の目に、ある人物の姿が飛び込んでくる。 通帳を握りしめ、預金を下ろす列に並んでいたのは、ほかでもない清吉の妻・春江だった。 銀行を守るのか、預金者を守るのか、それとも家族を守るのか。 昭和金融恐慌の混乱の中で、一人の銀行員が向き合ったのは、お金よりも重い「信用」の崩壊だった。時代|歴史|昭和1.5万字5 85 -
完結第10話
米蔵を開けた娘
大正7年、米の値段が日に日に上がり、人々の暮らしが追い詰められていた大阪の町。 長屋街で米屋「山城屋」を営む徳蔵の娘・千代は、店先で米を買えずに帰っていく母親たちの姿を見て、胸を痛めていた。けれど店の裏の蔵には、まだ何十俵もの米が積まれている。 なぜ父は、困っている人たちに米を売らないのか。 商売を守ろうとする父と、目の前の空腹を見過ごせない娘。ある日、父が店を離れた隙に、千代はついに蔵の鍵を手に取る。 しかし、善意で開けたはずの蔵の扉は、町の怒りを一気に呼び込んでしまう。 米を求める人々が押し寄せる中、父・徳蔵が向かった先は警察だった。 あの日、蔵の前で父と娘が見たものは、ただの米騒動ではなかった。 一杯の飯をめぐって、商売の責任と人の暮らしが激しくぶつかった夏の物語。時代|歴史1.4万字5 1924