"日本人に戻れた父、戻れなかった娘" 第8話
以なら、奉について聞かれるだけで構えていた。
また珍しいものを見る目で見られるのではないか。
また「普通の本ではない」とわれるのではないか。
そんなが先にっていた。
だが修に「美津子が育った町」と言われてから、しずつ考え方が変わっていた。
奉の話をすることは、自分が本ではないと認めることではない。
向こうできたも、今ここできるも、同じののにある。
それでいいのだとえるようになっていた。
宗郎も、娘の縁談について以のようにを張らなくなった。
志げが最初にへ来た、
「娘を気に入らないなら結構です」
と突っぱねたことについて、何も言わなかった。
しかし母にだけ、
「俺もに血がってた」
と漏らした。
母はさく笑った。
「あなたは昔からそうです」
「何がだ」
「事なことほど、って言うから」
宗郎は何も返さなかった。
そのの、美津子と修の結婚が正式に決まった。
豪華な式を挙げる余裕はなかった。
両の親族を集め、町の料理でさな祝言をすることになった。
話がまとまった夜、宗郎は娘へ言った。
「よかったな」
美津子は頷いた。
「うん」
「ので何かあったら、いつでも帰ってこい」
美津子は笑った。
「どこに?」
宗郎は瞬、言葉を詰まらせた。
広告
美津子が笑っているのを見て、ようやく冗談だと気づいた。
「ここに決まってるだろ」
「ここも故郷?」
宗郎は娘を見た。
以なら、迷わず「そうだ」と言ったはずだった。
だが今度はし考えた。
「故郷かどうかは、おが決めろ」
美津子は静かに笑った。
父のその言葉が、何より嬉しかった。
。
美津子と修は結婚した。
料理のに両の親族が集まり、ささやかな祝言がわれた。
美津子は華やかな式を望んでいなかった。
族と親しいに見守られ、修と並んで座れれば分だとっていた。
それでも当は緊張した。
には、美津子がまだ顔も覚えていない親戚が何もいた。
側も、宗郎の兄夫婦をはじめ、ないながら親族が集まった。
席が始まると、最初のうちは穏やかだった。
料理が運ばれ、酒が注がれ、修は何もの親戚へをげた。
美津子もその隣で挨拶をした。
途、配の親戚のが何気ない調子で尋ねた。
「美津子さんは、向こうのおまれだそうですね」
瞬、周囲の会話がし静かになった。
以の美津子なら、俯いていたかもしれない。
「父は岡です」
と話をずらしていたかもしれない。
だが今は違った。
「はい。奉でまれました」
はっきり答えた。
「13歳まで暮らしていました」
相はし驚いた顔をした。
美津子は続けなかった。
広告
必以に弁解もしなかった。
修が隣で、いつもと変わらない顔をしていた。
しれた席では、宗郎もそのやり取りを聞いていた。
父は何も言わなかった。
ただ杯を持ったまま、娘を見ていた。
その表にりはなかった。
むしろ、どこかしたように見えた。
美津子はその瞬、自分がようやく過を隠さなくてよくなったのだとった。
結婚、美津子はでの活を始めた。
もちろん、全てが順調だったわけではない。
志げとは活のやり方が違った。
美津子が気を遣いすぎることもあれば、志げの何気ない言が胸に刺さることもあった。
それでも以と違うのは、美津子が黙って抱え込まなくなったことだった。
分からないことは聞いた。
嫌なことは、できるだけ言葉にした。
志げも、美津子が何でもする嫁ではないとしずつ理解した。
修の父が言った通り、親戚付きいの方がよほど面倒なこともあった。
美津子はそのたびにった。
まれた所より、今目のにいる同士がどう暮らすかの方が、ずっと難しい。
修は業を伝いながら、変わらず美津子の話を聞いた。
ある夜、美津子が古い写真を持ってきた。
父から受け取った奉の写真だった。
修は枚ずつ見た。
「これが?」
「うん」
「お父さん、若いな」
「当たりでしょ」
「美津子もさい」
「子どもだから」
修は笑った。
写真のには、美津子が今の町で見せたことのない表があった。
幼い頃の無邪気な笑顔。
広告
おすすめ作品
-
完結第11話
この家は俺のものだ
昭和23年、信州の小さな温泉町で、古い旅館「松乃屋」の主人が亡くなった。 葬儀の後、長男の正一は当然のように言い放つ。 「この家は全部、俺が継ぐ」 長男が家を守り、嫁いだ娘は実家の財産に口を出さない。それが、この町では長い間“当たり前”だった。 しかし翌朝、妹の文江が町役場から一枚の紙を持ち帰る。そこに書かれていたのは、新しい民法によって家制度も家督相続も廃止されたという事実だった。 父が守れと言い残した旅館。長男として人生を縛られてきた兄。嫁ぎ先から戻る場所を失った妹。 「家」とは、誰のものなのか。 戦後の価値観が大きく揺れ始めた時代に、三人兄妹は父の残した松乃屋と向き合うことになる――。時代|昭和1.7万字5 66 -
完結第11話
帰ってきた長男に家はなかった
昭和21年の春、10歳の正一は母に手を引かれ、復員列車から降りてくる父を待っていた。 3年前に出征した父・慎太郎は、痩せ細った姿でようやく故郷へ戻ってきた。母は泣き崩れ、正一は家族が元に戻ると信じた。 しかし、呉服店の前に立った祖父は、帰ってきた父に向かって言った。 「お前は、この家には入れん」 父がいない間、店を守っていたのは弟の隆次だった。さらに父の後ろには、引き揚げの途中で出会った若い女性の姿があった。 待ち続けた妻、店を守った弟、帰る場所を失った女性、そして戻ったはずの家に居場所をなくした父。 戦争が終わっても、家族の時間は元には戻らない。 復員列車が運んできたのは、再会の喜びだけではなかった――。時代|歴史|昭和1.6万字5 1907 -
完結第11話
新幹線の日、父は駅弁を売らなかった
昭和39年10月1日。東海道新幹線が開業し、日本中が「夢の超特急」に沸いていた朝。 静岡の小さな駅で30年駅弁を売ってきた石田栄吉は、その日だけ木箱に弁当を詰めようとしなかった。 炊き上がったご飯も、煮物も、玉子焼きもある。駅前には祝賀の小旗が並び、息子の明夫は「今日こそ一番大事な日だ」と父を責める。 しかし栄吉は、古い腕時計を見つめたまま静かに言った。 「今日は売らない」 新幹線の時代を嫌ったのか。それとも、変わっていく世の中についていけなくなったのか。 だが昼前、明夫は家に残された古い時刻表を見つける。赤鉛筆で丸をつけられていたのは、もう二度と同じ形では来ない一本の普通列車だった。 父が本当に見送りたかったものは、列車だけではなかった――。時代|歴史|昭和1.6万字5 18 -
完結第10話
出征前、父が婚姻届を出した
昭和18年、戦局が悪化する中、法律を学んでいた大学生・藤原正一にも出征の知らせが届く。 長男として家を継ぐはずだった息子が、いつ戻るかも分からない戦地へ向かう。その現実を前に、父・宗吉は正一の婚約者・志津子を呼び、突然こう告げた。 「今すぐ、藤原家の嫁になれ」 息子に何かあった時、婚約者のままでは守れない。そう考えた父の決断だった。だが志津子は、家族全員の前で静かに首を振る。 「私は正一さんと結婚したいんです。藤原家を守るために嫁になるんじゃありません」 出征を前にした息子、家を守ろうとする父、そして自分の人生を他人に決められまいとする婚約者。 別れの日、駅のホームで父が取り出した一枚の婚姻届が、三人の運命を大きく変えていく――。時代|昭和1.5万字5 194 -
完結第11話
毎週木曜、つながらない番号へ
昭和34年の秋、山あいの小さな町で交換手として働く19歳の美代子は、毎週木曜の夜8時40分にかかってくる奇妙な電話に気づく。 駅前の赤電話から、決まって同じ女が頼む番号。 「三七二番をお願いします」 しかしその番号は、半年前に閉鎖された繊維工場の女子寄宿舎のものだった。もう誰もいないはずの場所へ、女は雨の日も風の日も、同じ時刻に電話をかけ続けていた。 やがて美代子は、古い接続記録の中に不自然な最後の通話を見つける。 昭和34年3月12日。 その夜を境に、寄宿舎からの電話は途絶えた。 そして11月最初の木曜日、今度は若い男の声が交換台に届く。 「妹を探しています」 半年間つながらなかった番号と、夜勤者名簿から赤い鉛筆で消された一人の少女。 閉ざされた寄宿舎で、あの夜いったい何が起きたのか――。歴史|昭和1.6万字5 137 -
完結第10話
銀行員の妻も列に並んだ日
昭和2年、大阪。 銀行の前には、通帳と印鑑を握りしめた人々の長い列ができていた。怒号が飛び交う中、銀行員の藤田清吉は何度も声を張り上げる。 「預金は安全です!」 しかし清吉自身、その言葉を心から信じてはいなかった。前夜、支店長室で告げられたのは、銀行がすでに危うい状態にあるという現実だった。 それでも行員として、人々を落ち着かせなければならない。 そう思って列の前に立った清吉の目に、ある人物の姿が飛び込んでくる。 通帳を握りしめ、預金を下ろす列に並んでいたのは、ほかでもない清吉の妻・春江だった。 銀行を守るのか、預金者を守るのか、それとも家族を守るのか。 昭和金融恐慌の混乱の中で、一人の銀行員が向き合ったのは、お金よりも重い「信用」の崩壊だった。時代|歴史|昭和1.5万字5 85 -
完結第10話
米蔵を開けた娘
大正7年、米の値段が日に日に上がり、人々の暮らしが追い詰められていた大阪の町。 長屋街で米屋「山城屋」を営む徳蔵の娘・千代は、店先で米を買えずに帰っていく母親たちの姿を見て、胸を痛めていた。けれど店の裏の蔵には、まだ何十俵もの米が積まれている。 なぜ父は、困っている人たちに米を売らないのか。 商売を守ろうとする父と、目の前の空腹を見過ごせない娘。ある日、父が店を離れた隙に、千代はついに蔵の鍵を手に取る。 しかし、善意で開けたはずの蔵の扉は、町の怒りを一気に呼び込んでしまう。 米を求める人々が押し寄せる中、父・徳蔵が向かった先は警察だった。 あの日、蔵の前で父と娘が見たものは、ただの米騒動ではなかった。 一杯の飯をめぐって、商売の責任と人の暮らしが激しくぶつかった夏の物語。時代|歴史1.4万字5 1924