"新幹線の日、父は駅弁を売らなかった" 第6話
夫は黙った。
自分にとって当たりだった。
で毎並んでいた弁当。
それが父と母のの続きだったことを、今まで考えたことがなかった。
幹線がる。
刻表が変わる。
売り方も変えなければならない。
夫はずっと仕事の未来ばかり考えていた。
だが父にとって駅弁は、単なる商売ではなかった。
毎同じホームにち続けたからこそ、母と会えた。
あの列が毎週同じ刻にやって来たからこそ、2はしずつ言葉をねることができた。
夫は古い刻表を見ろした。
1112分。
ただの数字ではなかった。
がくなったのは、6だった。
病気が分かってからも、は来る限りの仕事を続けた。
朝起きるのがつらくなっても、
「付けだけ見る」
と言って台所へった。
夫が、
「休んでていいよ」
と言っても、
「お父さんに任せたら煮物が濃くなるから」
と笑った。
栄吉はそのたび、
「余計なこと言うな」
と嫌そうに返した。
だがが部へ戻ったには、必ずをめ、鍋を何度も確かめた。
「母さんがくなったも、親父はすぐ駅へ戻ったよな」
夫が言った。
栄吉は頷いた。
「にいても仕方なかったからな」
葬儀の、数はを閉めた。
それでも栄吉はく休まなかった。
夫は当、それを父のさだとっていた。
妻を失っても、仕事へ戻る。
広告
泣き言を言わず、これまで通りホームへつ。
しかし今になって考えると、逆だったのかもしれない。
にいる方がつらかったのだ。
台所を見ればをいす。
帳面をけばの字がある。
玉子焼きの鍋にも、湯みにも、箪笥にも、のあらゆるところに妻の気配が残っていた。
だから栄吉は駅へった。
そこにもの記憶はあったが、仕事をしているは声をさなければならない。
列が来ればかなければならない。
「弁当、お弁当です――」
声を張ることで、っていられた。
しかも毎、1112分にはあの列がやって来た。
若いが初めて弁当を買った列。
めたいなり寿司を半分にしてくれた列。
最の、来たての弁当を渡した列。
妻がくなったも、その列だけは変わらずホームへ入ってきた。
「だから毎見てたの?」
夫が尋ねた。
栄吉はし考えてから答えた。
「毎じゃない。仕事だからな」
「でも気にはしてたんだろ」
「まあな」
列が来る。
客がりる。
客が乗る。
そしてっていく。
その繰り返しので、栄吉は妻を失ったの6を過ごした。
はいない。
だが、と会った刻だけは毎やって来る。
夫はようやく、今朝の父の姿をいした。
古い腕計を何度も見ていた。
父は幹線の発刻を気にしていたのではない。
広告
1112分を待っていたのだ。
「今で終わるんだ」
栄吉が静かに言った。
夫は父を見た。
「列がなくなるわけじゃないんだろ」
「ああ」
「線だって残る。駅もなくならない」
「分かってる」
栄吉は頷いた。
「でも、“あの列”は今で終わりだ」
同じ両が別の刻をるかもしれない。
似たような普通列がもホームへ来る。
けれど、1112分にやって来たその列は、ダイヤ改正によって役目を終える。
「俺がを待ってたも、これで本当に終わる気がしてな」
その言葉を聞いて、夫は何も言えなかった。
母がくなって6。
父のでは、まだどこかに続いていたのだ。
若いがあの列の窓際から、
「1つください」
と声をかけるが。
夫はの奥がしくなった。
「……そんなことなら、朝から言えばよかったじゃないか」
栄吉は苦笑した。
「言ったって、おには分からんとった」
「勝に決めるなよ」
「朝のおなら、どうせ『そんな昔の列より幹線だ』って言っただろ」
夫は言い返せなかった。
実際、その通りだった。
古い列が1本なくなる。
それだけで仕事を休むなんて馬鹿げている。
朝ならきっとそう言った。
「今だって全部分かったわけじゃないよ」
夫は正直に言った。
栄吉がこちらを見る。
「でも、親父が今ここにちたかった理由くらいは分かる」
父はしばらく夫を見た。
その目はし赤かった。
泣いているわけではなかった。
ただ、いをつ見送ったの目だった。
広告
おすすめ作品
-
完結第11話
この家は俺のものだ
昭和23年、信州の小さな温泉町で、古い旅館「松乃屋」の主人が亡くなった。 葬儀の後、長男の正一は当然のように言い放つ。 「この家は全部、俺が継ぐ」 長男が家を守り、嫁いだ娘は実家の財産に口を出さない。それが、この町では長い間“当たり前”だった。 しかし翌朝、妹の文江が町役場から一枚の紙を持ち帰る。そこに書かれていたのは、新しい民法によって家制度も家督相続も廃止されたという事実だった。 父が守れと言い残した旅館。長男として人生を縛られてきた兄。嫁ぎ先から戻る場所を失った妹。 「家」とは、誰のものなのか。 戦後の価値観が大きく揺れ始めた時代に、三人兄妹は父の残した松乃屋と向き合うことになる――。時代|昭和1.7万字5 66 -
完結第11話
帰ってきた長男に家はなかった
昭和21年の春、10歳の正一は母に手を引かれ、復員列車から降りてくる父を待っていた。 3年前に出征した父・慎太郎は、痩せ細った姿でようやく故郷へ戻ってきた。母は泣き崩れ、正一は家族が元に戻ると信じた。 しかし、呉服店の前に立った祖父は、帰ってきた父に向かって言った。 「お前は、この家には入れん」 父がいない間、店を守っていたのは弟の隆次だった。さらに父の後ろには、引き揚げの途中で出会った若い女性の姿があった。 待ち続けた妻、店を守った弟、帰る場所を失った女性、そして戻ったはずの家に居場所をなくした父。 戦争が終わっても、家族の時間は元には戻らない。 復員列車が運んできたのは、再会の喜びだけではなかった――。時代|歴史|昭和1.6万字5 1907 -
完結第10話
出征前、父が婚姻届を出した
昭和18年、戦局が悪化する中、法律を学んでいた大学生・藤原正一にも出征の知らせが届く。 長男として家を継ぐはずだった息子が、いつ戻るかも分からない戦地へ向かう。その現実を前に、父・宗吉は正一の婚約者・志津子を呼び、突然こう告げた。 「今すぐ、藤原家の嫁になれ」 息子に何かあった時、婚約者のままでは守れない。そう考えた父の決断だった。だが志津子は、家族全員の前で静かに首を振る。 「私は正一さんと結婚したいんです。藤原家を守るために嫁になるんじゃありません」 出征を前にした息子、家を守ろうとする父、そして自分の人生を他人に決められまいとする婚約者。 別れの日、駅のホームで父が取り出した一枚の婚姻届が、三人の運命を大きく変えていく――。時代|昭和1.5万字5 194 -
完結第11話
日本人に戻れた父、戻れなかった娘
昭和27年4月28日。講和条約が発効し、日本が再び独立国として歩み始めた日、父はラジオの前で静かに喜んだ。 「これで俺たちも、ようやく日本人に戻れたようなもんだ」 しかし、20歳の娘・美津子だけは笑わなかった。 彼女は満州の奉天で生まれ、13歳までそこで暮らした。父にとって日本は「帰ってきた祖国」だったが、美津子にとって日本は、戦後に初めて足を踏み入れた知らない土地だった。 引き揚げ後の暮らし、周囲の視線、結婚を前に突きつけられる“向こう生まれ”という言葉。 「私の故郷は、誰が決めるの?」 講和の日に交わされた父と娘の一言は、長く黙ってきた家族の傷を静かに浮かび上がらせていく――。時代|歴史1.6万字5 19 -
完結第11話
毎週木曜、つながらない番号へ
昭和34年の秋、山あいの小さな町で交換手として働く19歳の美代子は、毎週木曜の夜8時40分にかかってくる奇妙な電話に気づく。 駅前の赤電話から、決まって同じ女が頼む番号。 「三七二番をお願いします」 しかしその番号は、半年前に閉鎖された繊維工場の女子寄宿舎のものだった。もう誰もいないはずの場所へ、女は雨の日も風の日も、同じ時刻に電話をかけ続けていた。 やがて美代子は、古い接続記録の中に不自然な最後の通話を見つける。 昭和34年3月12日。 その夜を境に、寄宿舎からの電話は途絶えた。 そして11月最初の木曜日、今度は若い男の声が交換台に届く。 「妹を探しています」 半年間つながらなかった番号と、夜勤者名簿から赤い鉛筆で消された一人の少女。 閉ざされた寄宿舎で、あの夜いったい何が起きたのか――。歴史|昭和1.6万字5 137