"3年間隠していた清掃員の母に、院長が頭を下げた" 第4話
消されたひと言
患者がい会話をできるまでに回復したのは、術から数だった。厳な管理は続いていたが、通訳を介して痛みや苦しさを尋ねると、本の言葉で返事が戻ってくるようになった。
そのの午、俺は病棟の端末で、黒瀬から届いた経過説の稿をいた。患者側への説に先ち、担当チームで内容を確認するためのものだった。
読みめて、診断の経緯のところでが止まった。
『急変直、私が既往歴から血管再建部の異常を疑い、血管科への相談を主導した』
母の指摘は、どこにもなかった。それだけではない。瑞希が伝えた症状の変化も、俺が専科へ連絡した経緯も、黒瀬自の判断としてまとめられていた。
俺は初稿の該当箇所にコメントを付け、そのまま黒瀬の席へ向かった。
「ここは直してください。実際の経過と違います」
黒瀬はコップを置き、俺が示した画面を瞥した。
「細かい発言を全部並べたら、説が散漫になるだろう」
「省略と、誰が何をしたかを変えることは違います。腹部の血を疑うきっかけは、母の指摘です」
「だから、お母さんの名を入れろと?」
その言い方に、今朝まで抑えていた疲れがなった。俺は机に置いた指を度き、声を落とした。
「俺の母でなくても、同じことを言います」
黒瀬は子を引いて、こちらへ体を向けた。
広告
「今の所属は清掃会社だろう。治療の責任を負ったのは医師だ。経過の説は、責任者がまとめればいい」
「責任を負うことと、の判断を自分のものとしてくことは別です」
「この症例は国際会議への報告も検討されているんだ。族の話を持ち込んで、ややこしくしないでくれ」
黒瀬は画面を閉じようとした。俺はそのに、修正を求める箇所が担当チームに共されるよう、コメントを送信した。
そこへ、交代の申し送りを終えた瑞希が来た。話の半を聞いていたらしく、俺に記録を確認するよう促した。
「あのときの症状と、原田先が血管科へ連絡した流れは残してあります。お母様の発言も、そのきっかけとしてきました」
確認すると、急変の記録に、母から旧術部位の血を懸する発言があったこと、その報が医師へ伝わったことが記されていた。
瑞希は俺のために、今になって証拠を作ったのではなかった。あの慌ただしい病で、必なことを必な順に残していた。
「私だけじゃありません。血管科の先も、最初に聞いた内容を覚えているといます」
黒瀬は返事をせず、コップを持ってちがった。
俺は稿を再びいた。訂正を求めた部分が、画面のではまださな印にしか見えなかった。このまま黙れば、あの夜の母の声は、この印ごと消えていくのだとった。
広告
夕方、清掃を終えた母と休憩スペースで会った。術の翌からまた勤務していることを、俺は瑞希に聞いてったばかりだった。
母は俺の顔を見ると、先に尋ねた。
「患者さん、今はいかが?」
「話せるようになったよ。母さんのことも、きちんと伝えたいんだけど」
「助かったのなら、私はそれで……」
母はそこで言葉を止めた。俺がうまく笑えなかったからかもしれない。
「何か、あったのね」
返事をしようとしたとき、病棟から呼びしが入った。患者が、そばにいた清掃員について話したがっているという。
病へ戻ると、ベッドをし起こしたベルナールさんが、通訳を待たずにさな声で言った。
「ドクター・スミエ?」
俺はを止めた。その名の響きを、彼は確かめるようにもう度繰り返した。
通訳が本の言葉を聞き取り、こちらへ向き直った。
「昔の術の資料と写真を、事務所から取り寄せてほしいそうです。先方に見せて構わないと」
広告
おすすめ作品
-
完結第14話
役立たずの僕が、上司を救った夜
入社4か月の工藤健太は、コピー機さえ満足に使えない「役立たず」。誰にも期待されない毎日は、過去の救援で人を失い、自分の力を恐れる彼にとって都合がよかった。 ただ一人、厳しい上司の白鳥凛花だけは、失敗を叱っても、彼の働きまで否定しなかった。 ある夜、健太は男3人に囲まれた凛花を助ける。制圧まで、わずか10秒。隠していた力が露わになったその夜から、二人の日常は変わり始める。 男たちが口にした亡父の名。25年前の恩と、病室で交わされた約束。そして、救出現場を切り取った写真が、凛花を会社から追い出す証拠として出回る。 再び誰かを失うことを恐れる健太は、今度こそ、彼女の隣に立てるのか。職場逆転1.8万字5 140 -
完結第20話
同窓会で頭取の娘に脅された俺、300億を全額解約
卒業から24年、150人が集まる同窓会に出席した堀口弘樹。質素なスーツ姿を見た銀行頭取の娘・久我エリは、高校時代と同じように彼を見下し、「パパに頼んで取引を打ち切ってもらう」と脅してきた。 しかし、弘樹の正体は年商2100億円の物流グループを率いる創業社長。東王銀行には300億円を超える預金があった。 「じゃあ、全部解約で」 翌日、銀行から100件もの電話が殺到する。だが、弘樹と頭取の間には、20年前の知られざる恩義があった。彼が最後に下す決断とは――。職場逆転|因果応報|第二の人生2.7万字5 3841 -
完結第10話
「中卒女に現場は無理」職人10人が辞めた結果
中学卒業後、十五歳で職人の世界に飛び込んだ堀江千夏。三十二歳で工務店の現場責任者に抜擢されるが、古参の職人頭・岩木は「中卒の女に現場が回せるか」と嘲笑う。やがて岩木を含む十人が一斉に退職。大型介護施設の改修工事は納期目前なのに、残された職人はわずか三人だった。しかし千夏には、十七年間積み重ねてきた技術と、二十冊を超える黒い手帳があった。仲間とともに現場の立て直しに挑む千夏。その一方で、手帳に記された資材の数字が、会社に隠された不審な事実を浮かび上がらせていく。職場逆転|因果応報|人生逆転|修羅場1.3万字5 56 -
完結第10話
こぼされた定食の代償
社員食堂で働く43歳の松尾順子は、料理を通して社員たちを支えることに誇りを持っていた。ところが、営業部の神崎と宮下は、食堂のスタッフを見下し、暴言を繰り返していた。ついには大勢の前で定食を床にぶちまけ、順子たちを笑いものにする始末。さらに職場では不審な情報漏洩も発覚する。そんなある日、専務が食堂を訪れると、二人の態度は一変。順子を知らない二人は、そこで思いもよらない事実を知ることになる。職場逆転|人生逆転|修羅場1.5万字5 491 -
完結第11話
倒産寸前の事務所が雇った、子連れ清掃員の正体
倒産寸前の「桐生デザイン事務所」に、五歳の娘を連れた清掃員志望の女性・高瀬さち子が現れた。履歴書には、東大大学院修了、一級建築士、大手設計事務所の元チーフという驚くべき経歴。しかし彼女は、二度と設計の仕事には戻らないと言い張る。娘の何気ない一言をきっかけに、事務所に小さな転機が訪れるが、さち子は図面に触れることさえ恐れていた。彼女が三年前に失ったものとは何なのか。そして、過去の事故に隠された真実とは。再起をかけた小さな事務所の逆転劇が始まる。職場逆転|人生逆転|第二の人生1.6万字5 293 -
完結第14話
50人ドタキャンで廃業寸前、そこへ現れた意外な客
父から受け継いだ居酒屋「二鉄」を守るため、会社を辞めた32歳のテツ。廃業寸前の店に舞い込んだのは、元同僚・真治からの50人貸切予約だった。ところが宴会開始30分前、真治は突然の全員キャンセルを告げ、支払いまで拒否する。大量の料理を前に途方に暮れるテツ。そのとき、「今から50人入れますか?」と一人の青年が駆け込んできた。職場逆転|裡切られた|怒り|金銭問題|修羅場1.7万字5 1768 -
完結第18話
時給1111円で高齢者5人を雇った結果
父から受け継いだラーメン店が、大手チェーンに客を奪われ閉店寸前。店主の赤坂明のもとへ、職を失った高齢者五人が「働かせてくれないか」と訪ねてきた。明は時給1111円で全員を採用する。すると、元工場勤務、教師、タクシー運転手など、五人が長年培ってきた経験が思いがけない力を発揮し、店は少しずつ活気を取り戻していく。しかし、その変化を面白く思わない競合店の店長が、次々と妨害を仕掛け始める。感動|職場逆転|人生逆転|金銭問題2.1万字5 1232 -
完結第10話
拾った財布で泥棒扱い――5万円の濡れ衣と反撃
九歳の娘を育てながら、商社の経理部で働く森田咲。ある朝、会社のロビーで財布を拾い、管理員立ち会いのもと持ち主の女性主任へ返却した。 ところが直後、主任が突然押しかけてきた。 「財布に入っていた五万円がない! あなたが盗んだんでしょう!」 同僚の前で泥棒扱いされ、母子家庭であることまで侮辱された咲。しかし彼女は取り乱さず、一枚の受領書を取り出す。 証拠によって反撃を始めた咲だったが、会社はなぜか彼女を重要業務から外してしまう。やがて、財布の紛失騒動の裏に隠された別の疑惑が浮かび上がり――。職場逆転|裡切られた|裡の顔|金銭問題1.8万字5 1334 -
完結第23話
昭和53年、満員の始発を止めた運転手――その後、坂道で起きた悲劇
昭和53年7月30日。沖縄の交通が右側通行から左側通行へ切り替わった朝、55歳のバス運転手・新垣清徳は、32人の乗客を前に始発の発車を拒んだ。用意された旧型バスは、乗降口が車道側に開く危険な車両だったのだ。しかし欠便を恐れる主任は、若い運転手にその車を出すよう命じてしまう。やがて坂下から届いたのは、一人の少年が負傷したという知らせ。なぜ危険だと分かっていたバスが走ったのか。清徳は息子や同僚たちとともに、事故の責任と、誰も気づかなかった道路の危険に向き合っていく。職場逆転|時代|歴史|昭和|裡の顔3.0万字5 567 -
完結第10話
亡霊の専属運転手
かつて海外の特殊部隊で「ファントム」と恐れられた神代美央は、戦場を離れ、平穏な人生を求めて大企業の会長専属運転手に応募した。しかし最終面接で待っていたのは、「女に会長を守れるわけがない」と嘲笑する副社長と、十一人の屈強な男たち。美央だけが、彼らのスーツの下に隠された拳銃に気づいていた。やがて現れた鷹司会長は、美央の履歴書を見た途端、激しく震え始める。職場逆転|真実|真相|第二の人生1.5万字5 1003