"昭和31年、給料日に消える父の秘密" 第8話
へ向き、かなくなった旋盤やプレスの原因を探す。
配線。
ベルト。
軸受け。
油切れ。
部品の摩耗。
自分が使うだけなら覚で分かったことも、「なぜ壊れたのか」を説しなければならない。
最初の1かは、毎くたくたになって帰ってきた。
それでも帰宅は以ときく変わらなかった。
6半。
7。
遅いは8。
そして何より、料だからと帰りが遅くなることはなくなった。
1125。
しい会社で初めての料。
恵美は学から帰ると、何となくそわそわしていた。
6。
620分。
玄関のを見る。
まだいない。
「何やってるの」
母が笑った。
「別に」
「お父さん待ってるんでしょう」
「違うよ」
645分。
ガラガラ。
玄関がいた。
「ただいま」
恵美はわずった。
「お父さん!」
「何だよ」
「今、料でしょう?」
「ああ」
「寄りしなかった?」
正が呆れた顔をした。
「してないよ」
「古物にも?」
「しつこいな」
母も笑っていた。
卓へ座る。
正は懐から茶い料袋をした。
以の会社よりしい。
文子へ渡す。
母はを数えた。
正は落ち着かない様子で煙へを伸ばした。
「どうだ」
「何が」
「りる?」
「りないわね」
正のが止まった。
文子は帳面をいた。
「でも分かってたから」
「うん」
「今はこれで暮らしましょう」
父はし困ったように笑った。
「りないだろ」
「りないわよ」
「じゃあ」
「だから?」
正が言葉を失った。
広告
母は笑った。
「りないなら、りない分で暮らす。にも言ったでしょう」
恵美も笑った。
浩司はがよく分からないまま笑った。
正は族の顔を順番に見た。
そして突然、
「ただいま」
ともう度言った。
母が吹きした。
「さっき聞いたわよ」
「いや」
正はを掻いた。
「何となく言いたくなった」
「じゃあ」
文子が笑った。
「お帰りなさい」
恵美はそののことを、く忘れなかった。
父が毎言っていた「ただいま」。
それまでと同じ言葉なのに、
その夜だけは、
本当にへ帰ってきたように聞こえた。
それから何も経った。
本の暮らしはしずつ変わった。
所にもテレビが増え、洗濯を買うも珍しくなくなった。
舗装されていなかったにはアスファルトが敷かれ、商にはるい板が増えた。
恵美はへ学した。
父は最初、
「本当にくのか」
と何度も聞いた。
「きたい」
恵美が答えると、
「分かった」
と言った。
学費は簡単ではなかった。
母は内職を始めた。
正は曜に修理の仕事を引き受けた。
恵美自も休みにりいのを伝った。
それでも誰も、
「私だけで何とかする」
とは言わなかった。
その頃になると、父は械修理の仕事にも慣れていた。
古い具箱はしい職でますますなものになった。
りない具はしずつ買いした。
広告
以売ってしまった物と似た具が、また箱のへ増えていった。
腕計だけはい買わなかった。
「必ないの?」
恵美が聞くと、
「に計あるから」
と答えた。
けれど本当は、売った計をいすのが嫌なのではないかと恵美はっていた。
昭38。
恵美は20歳になった。
職でりった男性との結婚が決まった。
結婚式の夜。
正は押し入れから古い具箱をしていた。
「何してるの?」
「ちょっと入れ」
「、娘の結婚式なのに?」
「だからだよ」
が分からず、恵美は父の隣へ座った。
具箱のには、使い込まれた具がきれいに並んでいた。
柄に傷がついた槌。
何度も研いだドライバー。
さなスパナ。
そして空いた所は、ほとんどなくなっていた。
「これ、まだ持ってたんだね」
「ああ」
「売ろうとしてたのに」
正が笑った。
「母さんに止められた」
「計も残しておけばよかったのに」
父のが止まった。
しして、笑った。
「計はまた買える」
「買ってないじゃない」
「そうだな」
父は具箱の縁を撫でた。
「でもな」
「うん」
「あの、これまで売ってたら、俺は分ずっと何も言えないままだったとう」
恵美は父を見た。
正はくを見るような目をしていた。
「あの頃、族をわせるのは俺の仕事だとってた」
「そうだったね」
「がりないなんて言ったら、父親失格だとってた」
「うん」
「だから計売って、コート売って、何でも売ればいいとってた」
父は苦笑した。
「俺の物なんだから、誰にも迷惑かけてないって」
広告
おすすめ作品
-
完結第18話
昭和27年、戦争未亡人が開いた小さな店の50年
昭和27年の春。戦争で夫を亡くした三十歳の女性は、八歳の息子を育てるため、自宅の一角に小さなたばこ屋を開いた。初めて売れた一箱のピース。窓の横で宿題をする息子。毎朝やってくる常連客。決して楽な暮らしではなかったが、小さな窓の向こうには、いつも誰かの声があった。やがて息子は成長し、町には自動販売機が増え、馴染みの客も一人、また一人と姿を消していく。そして開店から五十年、彼女は店を閉める決心をする。時代|歴史|昭和|夫婦3.7万字5 192 -
完結第10話
受話器の向こうの春
昭和19年、神戸。幼いころに母と弟妹を亡くし、親戚の家を転々としてきた15歳のハルは、自分の力で生きるため、電話交換手を目指す。厳しい試験と訓練を乗り越え、ようやく手にした仕事。失敗ばかりの日々も、優しい先輩や仲間たちに支えられ、ハルは初めて自分の居場所を見つけていく。受話器の向こうには、家族を思う声、助けを求める声、遠い街で働く仲間の声があった。しかし戦況が悪化するにつれ、つながらない回線が増え始める。戦火が迫る神戸で、少女が守ろうとしたものとは――。時代|歴史|昭和1.5万字5 140 -
完結第20話
大正、子守奉公の少女
大正時代、貧しい農家に生まれた十一歳の少女は、「三度の飯」を条件に子守奉公へ出された。赤ん坊を背負う毎日から工場近くの家、東京の屋敷へ。三年分の奉公賃は家族に渡され、働く場所も自分では決められなかった。やがて海を越えて旅順へ渡った彼女は、子どもたちの世話をしながら、文字を覚え、針仕事を学び、少しずつ自分の世界を広げていく。誰かのために働くことしか知らなかった少女は、いつか自分の人生を選べるようになるのだろうか。時代|歴史|真相2.8万字5 366 -
完結第20話
昭和62年、国鉄最後の日に駅弁を一つ売らなかった理由
昭和62年3月31日、国鉄最後の日。森渡駅で三十年以上、鶏めし弁当を売り続けてきた宮原澄江は、最後の一個を売らずに残した。翌日から駅の売場はなくなり、長年守ってきた商売も岐路に立たされる。新しい販売条件、息子が勧める国道沿いの店舗、従業員たちの生活。変わりゆく町で、澄江は初めて自分の仕事と向き合い始める。なぜ彼女は、最後の弁当を売らなかったのか。時代|歴史|昭和2.8万字5 169