"昭和31年、給料日に消える父の秘密" 第9話
「お母さん、すごくってた」
「あれは怖かったな」
2で笑った。
正は続けた。
「でも今なら分かる」
「何が?」
「族に迷惑かけないっていうのは、族に何も言わないことじゃなかった」
恵美は黙って聞いた。
「あの、母さんが米櫃の底からしただろ」
「覚えてる」
「おも菓子缶持ってきた」
「浩司なんて何円だったよ」
「そうそう」
父は声をして笑った。
「俺な、あの初めてったんだよ」
「何を?」
「貧乏って、で隠してるが番怖いんだなって」
恵美はその言葉を忘れなかった。
翌。
結婚式を終えた恵美が実をる、父はさな包みを渡した。
「何?」
「けてみろ」
には万が入っていた。
黒い軸。
品ではない。
「古物で買った」
恵美は驚いた。
「まさか、あのの?」
父は首を振った。
「違うよ。あれはもう誰かが買ってた」
「じゃあどうして」
「似てたから」
正はし照れくさそうに言った。
「お、昔ついてきただろ。古物まで」
「ごめん」
「今さららんよ」
父は万を恵美へ渡した。
「何か困った、旦に黙るなよ」
恵美は笑った。
「お父さんに言われたくない」
「だから俺が言うんだ」
母が横からを挟んだ。
「この、自分の失敗を全部教訓にするからね」
「うるさい」
族が笑った。
恵美は万を握った。
父が売った物は、結局ほとんど戻ってこなかった。
計も。
コートも。
革鞄も。
釣竿も。
けれど恵美は、失われた物を惜しいとはわなくなっていた。
広告
あの頃、川が失いかけていたものは、物ではなかったからだ。
「困っている」と言えること。
「りない」と言えること。
「助けてほしい」と言えること。
そして、それを言っても族からされないとえること。
それが度壊れかけて、
あの料の夜から、しずつ戻ってきた。
それからさらにが流れた。
昭31から20以が過ぎ、正は60歳を迎えた。
く勤めた械修理会社を退職する。
会社では簡単な送別会がかれた。
社から記品を渡され、若い職たちがをげた。
「川さんには随分教えてもらいました」
「俺はってばっかりだったろ」
「それが勉になりました」
正は照れくさそうに笑った。
最の料と退職は、もう昔のような茶い封筒ではなかった。
座への振込みになっていた。
正はそのことをし寂しくった。
帰り。
昔、精があった辺りを通った。
はもうない。
跡には倉庫が建っていた。
福田古物もなくなっていた。
さなビルになっている。
正は端でち止まった。
腕には、しい計があった。
定祝いに、文子と子どもたちが贈ったものだった。
「何見てるの?」
隣にいた文子が聞いた。
「いや」
正は計を触った。
「昔、この辺でいろいろ売ったなとって」
文子は笑った。
「まだ覚えてるの」
「忘れられるか」
広告
「計、コート、鞄、具、カメラ、釣竿、万」
「よく覚えてるな」
「私の方が覚えてるわよ」
文子はし歩き、昔の商があった方向を見た。
「でもね」
「何だ」
「あの、あなたが物を売ってたことより、何も言ってくれなかったことの方がずっと嫌だった」
正は頷いた。
「分かってる」
「本当に?」
「20言われ続けた」
文子が笑った。
正も笑った。
そのの夜。
恵美と浩司、それぞれの族も集まり、ささやかな退職祝いをした。
卓には刺、煮物、赤飯が並んだ。
孫たちが騒いでいる。
昔なら考えられないほど賑やかな卓だった。
「お父さん」
恵美が言った。
「今、最の料だったんでしょう?」
「そうだな」
「寄りした?」
正は瞬きょとんとした。
やがてをいし、声をして笑った。
「してないよ」
「本当に?」
「しつこいな、おは」
文子が言った。
「この、あれから料に度も遅く帰ってこなかったわよ」
浩司が驚いた。
「そうなの?」
「らなかったの?」
「俺、さかったから」
正は湯呑みを持ちげた。
「もう勘弁してくれ」
恵美は笑いながら父のを見た。
しい腕計がっている。
昔の計とは違う。
けれど、その向こうに、あの昭31の夜がなって見えた。
毎同じさになるようにえられた茶い料袋。
その裏でつずつ消えていった父の持ち物。
父は、族を守ることとは、自分が削れていくことだとっていた。
父親は音を吐かない。
料は毎同じように持ち帰る。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
昭和51年、帰宅目前で消えた25歳女性社員
「一人で静かに帰りたいので、大丈夫です」 昭和51年、25歳のみち子は飲み会のあと、一人でタクシーへ乗った。 運転手は、彼女を自宅からわずか50メートルの場所で降ろした。 「夜遅くにありがとうございました」 それが、みち子を見た最後の証言だった。 布団は朝まで誰にも使われず、通帳も着替えも部屋に残っていた。 上司と同僚には不自然な空白時間があったが、何も見つからなかった。 そして9年後。 亡くなった上司の娘が、遺品のアルバムを開いた。 失踪当夜の宴会写真の次に、見知らぬ和室を写した一枚が貼られていた。 机の上には、黒い女性用のハンドバッグ。 写真の裏には、みち子が消えた数日後の日付が押されていた。昭和|ミステリー|真相1.7万字5 155 -
完結第10話
昭和63年、消えたいちご農園主――3年後の古い倉庫
「分かった。じゃあ、2時頃に行く」 昭和63年4月5日、いちご農園主の夫は、一本の電話を受けて家を出た。 「夕飯までには戻る」 それが、家族が聞いた最後の言葉になった。 通帳も印鑑も着替えも、すべて家に残されていた。 夫の手帳には、乱れた字で二行だけ書かれていた。 《佐藤さんの件、今日で決める》 《2時 古い倉庫》 しかし名前の挙がった男は、電話も面会も否定した。 倉庫の持ち主も、最初は「会っていない」と証言した。 夫の行方が分からないまま、3年が過ぎた。 そして倉庫の取り壊し当日、周囲と色の違う床へ重機の刃が入った。昭和|ミステリー|真相1.5万字5 16 -
完結第12話
昭和27年、父は町長へ戻らなかった
「父さん、もう一度町長になれるんだよ」 昭和27年、公職追放の制限がなくなる知らせを見て、17歳の私は家へ走った。 かつて町長だった父は、追放後、米俵を運び、工事現場で働いていた。 これで失った名誉を取り戻せる。 そう信じた私に、父は言った。 「もう役場には戻らん」 その後、元町議や商店街の人々が次々と父を訪ねた。 それでも父は、町長選への出馬をすべて断った。 「見返してやればいい」と訴える私へ、父は静かに言った。 「そんな理由で町長になる奴が、一番町長になっちゃいかん」 数日後、町の米屋で、私は父が町長だった頃の“ある決定”について初めて聞かされた。時代|歴史|昭和1.7万字5 15 -
完結第10話
昭和21年、港で「娘ではない」と言った母
「兄さん。この子は、私の娘ではありません」 昭和21年、引揚船から降りた母は、港で突然そう言った。 右手には、11歳ほどの少女の手を握っていた。 少女は青ざめ、母の袖へしがみついた。 「お母さん……?」 母はその場にしゃがみ、少女の肩を抱いた。 「ごめんね、春恵」 しかし日本へ届いた葉書には、母が連れ帰るのは《娘の文子》だと書かれていた。 では、文子はどこへ消えたのか。 その夜、母は兄夫婦の前で、引揚げ途中に起きたことを語り始めた。 「暗闇で一度だけ、娘の手を離してしまったの」時代|歴史|昭和1.5万字5 31 -
完結第10話
昭和33年、父が隠した高校合格通知
「父ちゃん、今日も合格通知、来てない?」 正吉は新聞から目を上げず、「来てない」と答えた。 修一は、自分は落ちたのだと思った。 ところが翌朝、母が仏壇の引き出しから見慣れない封筒を見つけた。 宛名は修一。 差出人は、受験した県立高校だった。 震える手で封を切ると、そこには《合格》の二文字。 しかも消印は、三日前だった。 その日の夕方、修一は通知を食卓へ置いた。 「父ちゃん、これ知ってた?」 父はしばらく黙ったあと、低い声で答えた。 「ああ。俺が隠した」時代|歴史|昭和1.5万字5 40