"昭和27年、父は町長へ戻らなかった" 第2話
宗郎は黙っていた。
「だから戻ればいいんだよ。もう度町になって、父さんは何も違ってなかったって見せてやればいい」
しばらく、薪が崩れる乾いた音だけがした。
やがて宗郎が振り返った。
「正」
「何だよ」
「を見返すために町になろうとする奴が、番町になっちゃいかん」
正は言葉を失った。
宗郎はそれ以説せず、再び斧をにした。鋭い音とともに薪がつに割れ、会話が終わったことを告げるようだった。
だが、その3から、には再びが訪れ始めた。
最初に来たのは、父が町だった頃から町議を務めていた古川という老だった。続いて商組の役員、農協の幹部、消防団の古参までやって来た。正は襖の向こうでを澄ませ、彼らが皆、同じ話をしていることをった。
「さん、次の町選にてもらえませんか」
「昔からあなたを待っていたがいます」
「これは名誉回復ですよ」
その言葉を聞いた瞬、正は膝ので拳を握った。
そうだ。
名誉回復。
自分が父にしてほしかったのは、それだった。
ところが宗郎は、目にも目にも目にも同じ返事をした。
「ありがたい話ですが、ません」
最に古川が苛ったように言った。
「さん。あなたが戻れば、昔のことは違いだったと証できるんですよ」
広告
宗郎は湯呑みを置いた。
「古川さん」
「はい」
「名誉というのは、選挙で返してもらうものなんでしょうか」
老は何も答えなかった。
その晩、客が帰ったも正の腹ちは収まらなかった。父へってかかると、宗郎はしばらく息子の顔を見てから、逆につだけ質問した。
「お、俺が町だった頃のことを、どれくらい覚えてる」
「覚えてるよ」
「何をした町だった?」
正は答えようとして、を閉じた。
父がくのから「町さん」と呼ばれていたことは覚えている。
けれど、その町が実際に何を決めていたのか。
正は、何つらなかった。
宗郎は席をち、押し入れの奥から古びた黒い帳面を取りした。それを正へ渡すことはせず、しばらくので見つめてから、また元の所へ戻した。
表には、父の字でくかれていた。
「忘れてはいけない」
そのを尋ねても、宗郎は答えなかった。
そして正は、その帳面のに父が度と町へ戻らなかった本当の理由が記されていることを、まだらなかった。
翌週になると、宗郎の馬を求める声はさらに増えた。追放に父を支えていた町議たちは「昔の仲を集める」と言い、農協関係者は「農部なら票がまとまる」と具体な計算まで始めていた。宗郎本が何度断っても、彼らは「今は慎になっているだけだ」
広告
と都よく解釈し、正にも「君から父を説得してくれ」と頼んだ。
正にとっては悪い気がしなかった。父を見捨てたとっていた町に、これほどくのがまだ父を必としている。その事実だけで、幼い頃から胸の底に溜め込んできた屈辱がしずつれていくようにじられた。
ある夕方、古川元町議が正だけを呼び止めた。
「君のお父さんは頑固だからな」
「昔からです」
「だが、この町にはさんが必なんだ。今の町は悪いではないが、戦の混乱をまとめる力がい」
古川は周囲を確認してから声を落とした。
「それに、追放されたが戻ることにはがある。町の者だって、あの代に何が起きたのか忘れてはいけない」
正はその言葉をそのまま信じた。
「俺もそういます」
「そうだろう」
老は笑った。
「の名誉を取り戻すんだ」
。
その言葉が正のをく揺らした。
その夜、卓でも正は父を説得した。古川たちが具体にいていること、商にも支持者がいること、以の父をる農も戻ってきてほしいと言っていることを並べたが、宗郎は漬物を噛みながら黙って聞いているだけだった。
「父さんは悔しくないのかよ」
「何が」
「自分だけ悪者みたいに扱われたことだよ」
宗郎は噌汁をんだ。
「俺が追放されたことと、俺が正しかったかどうかは別の話だ」
「またそれかよ」
「正」
母のが静かにたしなめたが、正は止まらなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第18話
昭和27年、戦争未亡人が開いた小さな店の50年
昭和27年の春。戦争で夫を亡くした三十歳の女性は、八歳の息子を育てるため、自宅の一角に小さなたばこ屋を開いた。初めて売れた一箱のピース。窓の横で宿題をする息子。毎朝やってくる常連客。決して楽な暮らしではなかったが、小さな窓の向こうには、いつも誰かの声があった。やがて息子は成長し、町には自動販売機が増え、馴染みの客も一人、また一人と姿を消していく。そして開店から五十年、彼女は店を閉める決心をする。時代|歴史|昭和|夫婦3.7万字5 190 -
完結第10話
受話器の向こうの春
昭和19年、神戸。幼いころに母と弟妹を亡くし、親戚の家を転々としてきた15歳のハルは、自分の力で生きるため、電話交換手を目指す。厳しい試験と訓練を乗り越え、ようやく手にした仕事。失敗ばかりの日々も、優しい先輩や仲間たちに支えられ、ハルは初めて自分の居場所を見つけていく。受話器の向こうには、家族を思う声、助けを求める声、遠い街で働く仲間の声があった。しかし戦況が悪化するにつれ、つながらない回線が増え始める。戦火が迫る神戸で、少女が守ろうとしたものとは――。時代|歴史|昭和1.5万字5 140 -
完結第20話
大正、子守奉公の少女
大正時代、貧しい農家に生まれた十一歳の少女は、「三度の飯」を条件に子守奉公へ出された。赤ん坊を背負う毎日から工場近くの家、東京の屋敷へ。三年分の奉公賃は家族に渡され、働く場所も自分では決められなかった。やがて海を越えて旅順へ渡った彼女は、子どもたちの世話をしながら、文字を覚え、針仕事を学び、少しずつ自分の世界を広げていく。誰かのために働くことしか知らなかった少女は、いつか自分の人生を選べるようになるのだろうか。時代|歴史|真相2.8万字5 366 -
完結第20話
昭和62年、国鉄最後の日に駅弁を一つ売らなかった理由
昭和62年3月31日、国鉄最後の日。森渡駅で三十年以上、鶏めし弁当を売り続けてきた宮原澄江は、最後の一個を売らずに残した。翌日から駅の売場はなくなり、長年守ってきた商売も岐路に立たされる。新しい販売条件、息子が勧める国道沿いの店舗、従業員たちの生活。変わりゆく町で、澄江は初めて自分の仕事と向き合い始める。なぜ彼女は、最後の弁当を売らなかったのか。時代|歴史|昭和2.8万字5 169