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"臨月の私を追い出し、新居を売ろうとした義母" 第13話

面会の、美代子は贈り物を持ってこなかった。音を抱かせてほしいとも言わず、のマットに座って娘を見ていた。帰り際、私へ「を売ろうとして悪かった」と言った。

私は、だけではないと答えた。里帰りを決め、私の署名をき、病院の連絡先を変え、音の座を作ろうとした。私たちの活を、自分の判断でかせるとっていたことが問題だと伝えた。

美代子はく黙ったあと、「族なら助けうものだとった」と言った。

「助けてと言われるに、相を売ることは助けではありません」

義母は反論しなかったが、納得したかどうかは分からない。20分が終わると、決められたとおり帰った。それだけでも以とは違った。

、私たちはを売らず、階段へすりを付け、階のを将来寝にできるよう改修した。サロンの傷が残っていた壁は、淡い緑へ塗り替えた。

塗装が乾いた、理恵から最の美容器ローンを理したという連絡が来た。

その文面の末尾には、《母とは別居することにしました》とかれていた。

理恵は、美代子のからで40分ほどれたさな賃貸宅へ移った。もともと別居していたが、サロン問題のあと美代子が毎のように計と返済へし、翔太との争いも増えたという。理恵は母へ頼ればまた責任を渡すことになると気づき、距を取った。

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翔太は関係の支を減らし、副業を始めた。夫婦関係が完全に良くなったわけではなく、借返済も数続く。ただ、私たちのや健太の収入を計画へ入れず、自分たちの数字だけで活を作り直している。

理恵からの分割支払いは、何度か遅れた。私はそのたびに責めず、した続きどおり連絡を求めた。子どもの学費用がなったは、資料を確認して翌へ調したが、免除にはしなかった。

美代子は暮らしになった。健太は話し、必なら病院や政サービスの報を伝える。ただし、鍵を再び渡すことはなく、音の写真も私たちが選んだ数枚だけ送っている。

義母は々、親戚へ自分は息子夫婦から切りされたと話した。私をたい嫁だとも残った。私は全員へ説文を送らなかった。自分の全に暮らすため、親戚全員の納得は必ない。

ある、美代子が自宅の玄関で転び、首を骨折した。親戚からは、これをに同居してはどうかという連絡が相次いだ。嫁としてがあるなら、幼い孫と暮らすことが番の薬だと言うまでいた。

健太は病院へき、退院活について域包括支援センターへ相談した。すりの設置、配、買い物支援、週回の見守り。私たちは必続きを伝ったが、美代子をへ引き取らなかった。

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義母は話で、「らないに入れるくらいなら、そっちのを使わせて」と言った。私たちが階のを将来の寝にできるよう直したことを、どこかで聞いたらしい。健太は、あの部は同居のために用したのではなく、自分たちの将来の選択肢として改修したのだと伝えた。

「私が怪をしても、優さんは許さないのね」

私は横で聞いていたが、話を代わらなかった。怪をしたへ支援を配することと、境界をなくすことは別だ。った瞬に過が消えるなら、く振るえるだけが責任を負うことになる。

美代子はしばらく配を拒み、健太へ毎晩話をかけた。だが、息子が仕事ず、決めた曜にだけ折り返すと分かると、しずつサービスを使い始めた。には所の齢者サロンへ通い、そこでったと病院へくようになった。

それを聞いても、私は義母が改したとは考えなかった。ただ、息子の妻を自分の活係にしなくても、は別のつながりを作れる。私たちが引き取らなかったことは見捨てたことではなく、美代子自の暮らしを、美代子へ返したことでもあった。

音が1歳になった、私たちはさな誕会をいた。招いたのは私の母と、夫婦共通の友だけ。美代子は別のに支援センターで会い、絵本を冊渡した。

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