"夫を亡くした翌日、社宅を追われました" 第12話
本当は違った。
夫の会社。
夫の料。
夫の名。
それらつに暮らしのほとんどを預けていたから、それがなくなった瞬に全てが崩れた。
かけて、藤田は暮らしを組み直した。
正は父親の代わりではない。
トメは誰かに置いてもらうだけの老ではない。
子も浩も、族の幸のために自分の活を諦める必はない。
そして紀子も、
《藤田修の妻》
という肩だけではなくなった。
翌朝。
正が作業を着て玄関にった。
「ってきます」
子も鞄を持つ。
浩は片方の靴を探している。
トメが奥から鳴る。
「浩、昨脱いだところ見な!」
「ない!」
「あるよ!」
いつもの朝だった。
ずつ戸をけてていく。
最に静かになったので、紀子は窓をけた。
のが入る。
いカーテンが揺れた。
しい柱には、まだ分しか線がない。
修が作った棚もない。
社宅の台所にあった傷もない。
けれど、それでよかった。
いはこれから増やせばいい。
紀子はい割烹着を鞄へ入れ、玄関へ向かった。
戸を閉めるに、度だけ部を振り返る。
そして言った。
「ってきます」
誰もいない部から、返事はない。
それでもとは違う。
このは、夫が会社から借りたではない。
誰かがんだらでなければならないでもない。
賃を払い続ける限り、自分たちが戻ってこられる所だ。
紀子は鍵をかけた。
鍵には、さな札がついている。
正が学の実習で作ったものだった。
裏には器用な字で、
《藤田》
と刻まれている。
紀子はその字を指で度なぞった。
そして仕事へ向かって歩きした。
夫の葬儀の翌、
会社からでてくださいと言われた女は、
ようやく、
自分の名でへ帰れるようになっていた。
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