"三十年目の指輪" 第5話
夫がまだ若かった頃、仕事のことで悩んでいた期がありました。帰りが遅くなって、事もほとんど取らなくなって、顔つきも変わっていました。
その、夫は何度か何かを話そうとしていました。
でも私は、いつもこう言っていました。
「丈夫でしょ? 頑張ってるんだから」
励ましているつもりでした。
でも今えば、あのの話をちゃんと聞いてはいませんでした。
何に悩んでいたのか。
何を怖がっていたのか。
私はろうとしていなかったのかもしれません。
ただを回すことに必で、それで分だとっていました。
その積みねが、今につながっているのだとしたら。
そう考えると、責めることも、責められることも、簡単にはできない気がしました。
数、夫が1枚のを持ってきました。
婚届でした。
テーブルのに、静かに置かれました。
ペンも緒でした。
「急がなくていいけど」
そう言って、夫はしだけ線をそらしました。
私はそのを見つめました。
自分の名が、そこに印刷されていました。
見慣れているはずなのに、どこか違うもののように見えました。
「分かった」
私はそう言いました。
それ以、何も言いませんでした。
夫も、何も言いませんでした。
その夜、私は1でそのを何度も見ました。
くか、かないかで迷っているわけではありませんでした。
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ただ、30というがその1枚に収まっているようで、すぐにはがかなかったのです。
ペンを持って、しばらく止まる。
また置く。
それを何度も繰り返しました。
そして最に、ゆっくりと名をきました。
その瞬、何かが音もなく終わった気がしました。
でも同に、どこかで静かに始まったものもあったのかもしれません。
類をしたから、のの空気はさらに軽くなった気がしました。
楽になったというより、何もなくなったようなじでした。
夫は必なものだけをまとめ始めました。
スーツ。
シャツ。
いくつかの本。
30分のはずなのに、持っていくものはったよりなく見えました。
私はその様子を、しれたところから見ていました。伝おうとはいませんでした。伝ってしまったら、本当に終わる気がしたからです。
ある箱のから、古いネクタイがてきました。
私が昔、初めての料で買ったものでした。しあせていました。
夫はそれをに取り、しだけ見つめてから箱に戻しました。
持っていくことはしませんでした。
その仕が、なぜかに残りました。
夫がていくになりました。
朝は、いつもと同じように始まりました。特別な言葉も、特別な準備もありませんでした。ただ、いつもより静かでした。
夫は鞄を持って玄関にちました。
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靴を履きながら、1度だけを止めました。何かを言おうとしているようでした。でも結局、何も言いませんでした。
私も何も言いませんでした。
言葉にしたら、何かが変わってしまいそうで怖かったのです。
「じゃあ」
夫がそう言いました。
それだけでした。
「うん」
私もそれだけ返しました。
ドアが閉まる音がして、のが完全に1のものになりました。
その音は、っていたよりも軽くて、でもどこかくに響きました。
しばらく玄関のにっていました。
けませんでした。
が止まっているようでした。
やがて、ゆっくりと振り返ってリビングに戻りました。テーブルのには、昨と同じように何もない空が広がっていました。
子が1つ、空いていました。
それを見ても、涙はませんでした。
ただ、静かだなといました。
それからの活は、っていたよりもすぐに形になりました。
朝起きて、1分のコーヒーを入れる。
洗濯も料理もなくなりました。
がしだけ余るようになりました。
最初は、そのの使い方が分かりませんでした。
何をすればいいのか。
誰のためにけばいいのか。
そんなことを、いちいち考えてしまう自分がいました。
ある、昼過ぎにへました。
特に用事はありませんでした。ただ、のにいるのがしだけくじたのです。
歩いていると、見慣れたなのに、どこか違って見えました。
今までは通り過ぎるだけだった。
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