"売らなかった紙" 第2話
しかし数秒もしないうちに、その戸惑いはりへ変わった。
「どういうことよ、あるんでしょう?」
「奥に積んであるの見えてるわよ!」
「こんなに売らないなんて、商売のすること?」
源蔵は帳からかなかった。何に問い詰められても、彼が返した言葉はつだけだった。
「今は売りません」
そのい返事が、客たちのりにさらにをつけた。
「になったらくして売るんでしょう?」
列の先にいた40代くらいの主婦が、の奥を覗き込みながら声をげた。その言葉に周囲のたちも「そうや、そうや」と頷き、誰かが「今のうちに隠して値段をげるんや」と言いした。源蔵が何を説しても聞いてもらえる雰囲気ではなく、そもそも彼自、説するつもりがないようだった。
「福田さん、うちにはもうつしかないんよ。つだけでええから売ってちょうだい」
顔馴染みの客に頼まれても、源蔵は首を横に振った。普段なら醤油本でも「たいやろ」と自転の籠まで運んでくれる男だけに、その頑なな態度は余計にを苛たせた。昨まで親しげに話していた客まで、「結局、こういうに性がるんやな」と聞こえるように言った。
澄はの奥で昆布の箱を理するふりをしながら、胃が縮むようないでやり取りを聞いていた。丸福商は型ではなく、所の常連客に支えられてきたさなである。
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今のことで「あそこは品物を隠すだ」と噂されれば、騒ぎが収まったまで客に響くかもしれなかった。
源蔵は商売がな男ではなかった。笑いも苦で、売りの派な札をすのも嫌いだったが、客を騙したことだけは度もない。戦の物のない代をっているため、量り売りの噌をほんのしめに入れ、子どもが銭を握って菓子を買いに来れば、つ余分に飴を入れるようなだった。
だからこそ、澄には今の夫の態度が分からなかった。
午5半を回っても、は減らなかった。むしろ仕事帰りのが噂を聞いてち寄り、「本当に売らないのか」と確認するためだけにへ入ってくる。源蔵が「今は売りません」と繰り返すたび、の空気はくなっていった。
「こんな、度と来ませんから!」
の女性がそう吐き捨て、勢いよく引き戸をけてていった。澄の胸が痛んだが、源蔵は呼び止めることも謝ることもせず、黙ってその背を見送った。
午6、古い柱計がい音を6回鳴らした。そのにも黒話は何度となく鳴り、「箱取っておいてくれませんか」「の朝番にくから置いといてください」といった話が続いた。源蔵は相がの常連であっても、すべて「取り置きはできません」
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と断った。
「お父さん、本当にこれでええの?」
ようやく客が途切れた隙に、澄は帳の横までった。源蔵はレジの引きしを閉じ、しばらく答えなかった。
「みんなってるよ。本さんなんて、もう来ないって言ってたやないの」
「聞こえてた」
「だったら、どうして?」
源蔵は腕計を見た。
「もうちょっとや」
「何が?」
澄が尋ねても、源蔵は答えず、入のへ線を向けた。商は夕方の買い物客が減り始め、向かいの百では主が売れ残った野菜を箱へ戻している。魚の裸球のでは、主が濡れたへを流していた。
やがて午7を過ぎると、丸福商のにいたもほとんどいなくなった。最まで残っていた女性が、「は売るんでしょうね」とを押すと、源蔵は「のことはや」と曖昧に答えた。
「本当に変わったやわ」
女性は呆れたように言い残して帰った。
源蔵はそれを見届けると、いつもより1くのシャッターをろした。ガラガラという属音が商に響き、澄はますますになった。
「まさか本当に値段げるつもりやないでしょうね」
その言葉を聞いた源蔵は、初めてし険しい顔をした。
「澄まで何言うてんねん」
「だって何にも説してくれへんからやないの」
「説したら、がまた集まる」
源蔵は掛けをしながら、の奥に積まれた段ボール箱へ向かった。
それから番の箱をへろし、紐を切って蓋をけた。
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