"余ったパンの嘘" 第1話
昭43。京郊には、朝からの煙がい空へ流れていく町がいくつもあった。きなの周囲にはさな町やが並び、始業をらせる音が鳴る頃になると、作業着姿のたちが自転でき交った。
その町のれに、造2階建ての学があった。壁の塗装はところどころ剥げ、い廊を歩けば板がぎしぎしと鳴ったが、朝になると黄い子をかぶった子どもたちが次々とをくぐり、古い舎は気に賑やかになった。
寒い季節になると、教では炭ストーブが使われた。登してきた子どもたちはえた指先をこすりながらストーブのくへ集まり、当番の子が炭をすと、教のには独特のにおいと温かな空気がゆっくり広がっていった。
窓際にはの机が2ずつ並んでいた。板には鉛でついたさな傷や、何もの児童が残したらしい跡があり、子どもたちはそこへ教科と箱を広げて毎の授業を受けていた。
5を受け持っていたのは、38歳の昭という教師だった。
は特別に声がきい先ではなかった。鳴って子どもを従わせることもなく、授業に教が騒がしくなれば、黒板ので黙って待っているような教師だった。
子どもたちがしずつ静かになると、はようやく教科をいた。
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「じゃあ、続けるぞ」
ただそれだけ言って、何事もなかったように授業を再する。そのやり方をっている5たちは、が黙る方が声で叱られるより気まずいことを、いつのにか覚えていた。
板は丁寧だった。算数の式をけば、数字の隔までっていたし、国語のには、答えをすぐ教えるのではなく、子どもたちが自分の言葉で説するまで待った。
休みには、特別に子どもの輪へ入るわけでもなかった。教卓で提物を見たり、窓のの庭を眺めたりしながら、誰かが話しかけてくればし笑って答える、その程度だった。
だから5の子どもたちにとって、は「怖くはないが、何を考えているかし分かりにくい先」でもあった。
そんなに、いつの頃からか1つの議な習慣があることに、子どもたちは気づき始めた。
それが現れるのは、昼ののだった。
4目が終わると、教の空気が急に変わった。当番になった児童はい割烹着へ着替え、廊の向こうからきな容器や器を運んでくる。
牛乳。
おかず。
そして1に1つずつ配られるコッペパン。
育ち盛りの子どもたちにとって、昼のは楽しみの1つだった。午から腹を空かせている子は、配膳が始まっただけで何度も計を見た。
にも、もちろん同じが配られた。
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教卓の端に牛乳を置き、皿に盛られたおかずをべる。そこまでは子どもたちと変わらなかった。
だが、パンだけは違った。
はコッペパンをほとんどにしなかった。
最初の何かは誰も気づかなかった。子どもたちは自分のをべることにで、教師がパンをどれだけべたかなど気にしていなかったからだ。
ところが、ある1が見た。
はが終わりかけた頃、自分のコッペパンをそっとに取った。そして机の横に置いていたで丁寧に包み、教卓の脇にある古びた革鞄をけた。
パンは、そのへ入れられた。
初めて見た子は、「先は今はべきれなかったんだろう」とった。
しかし翌も同じだった。
さらにその次のも。
牛乳はむ。おかずもべる。
けれどコッペパンだけは、ほとんどをつけずにへ包み、革鞄へしまう。
曜も。
曜も。
のも。
曇りのも。
教の誰かが気づけば、次のにはその隣の子も見るようになった。やがて昼休みになると、の革鞄へちらちら線を向ける児童が増えていった。
それでもは何も説しなかった。
いつもと同じように鞄のを閉じると、午の授業に使う教科を教卓へした。
その革鞄のに毎1本ずつ消えていくコッペパンが、やがて5の子どもたちにとって、授業よりも気になる謎になっていった。
度気づいてしまうと、子どもたちはのから目をせなくなった。
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