"赤いバイクと最後の新聞" 第7話
「このノ分は、本をもってい歴史を閉じることになります。しかし、ここで学んだことまでなくなるわけではありません」
3の子どもたちは真剣に聞いていた。
「皆さんは4から、しい学へきます。今までよりたくさんの友達がいます。教もきい。らない先もいるでしょう」
級のがしそうな顔をする。
「最初は戸惑うこともあるといます。それでも、ここで過ごしたを忘れないでください」
次に6のがへた。
卒業証を受け取る。
児童が1しかいないため、名を呼ばれる声も、返事も度だけだった。
それが余計に教の静けさを際たせた。
式の最。
3がそれぞれい言葉を読む。
「のに、みんなでストーブので勉したことを忘れません」
「お弁当を温めてべたことを覚えています」
そして6のが言った。
「毎朝届く聞を見るのが好きでした。京や国のことをることができました」
ろに座っていた先の目が、わずかにいた。
聞。
そういえば今も届いた。
最のまで。
その、舎のから聞き慣れたバイクの音がした。
配達を終えた田所が戻ってきたのだった。
閉式が終わるころ、田所は教の番ろへ静かに入った。
制のままだった。
子をに持ち、たちへ軽くをげる。
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先が田所に気づき、し笑った。
「にいましたね」
「ああ」
田所は壁際へった。
式の、皆で舎を見て回ることになった。
昔の写真を眺める老。
黒板の文字を写真に残す保護者。
子どもたちは最だという実がようやく湧いたのか、普段より静かだった。
6のは自分の机へを置いた。
何も使われ、表面には細かな傷がある。
来週から、この机に座るはいない。
級のが尋ねた。
「本当にから来ちゃ駄目なの?」
先はし困ったように笑った。
「鍵を閉めるからな」
「ストーブも?」
「使わない」
「聞も?」
その言で、先が田所を見る。
田所は窓のを見ていた。
先は瞬迷ったあと、田所のへ歩いていった。
そしてくをげた。
「田所さん」
「はい」
「半、本当にありがとうございました」
くにいた子どもたちが振り向いた。
6のが議そうに尋ねる。
「半?」
先もその、自分の言葉が子どもたちには分からないことに気づいた。
「いや……」
田所がさく首を振った。
言わなくていい。
そんな顔だった。
しかし先は続けた。
「聞のことです」
「聞?」
「学の購読は、の12で終わっていたんだ」
3は先を見る。
「でも今も来たよ」
「うん」
「1も2も」
「そうだな」
先は田所を見る。
「その分は全部、田所さんが自分で払ってくれていたんだよ」
教が静かになった。
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子どもたちはすぐには理解できなかった。
6のが田所へ線を移す。
「田所さんが買ってたの?」
田所はし困ったような顔をした。
「したじゃない」
「でも学が頼んでなかったんだろ?」
「そうだ」
「毎?」
「ああ」
「のも?」
「配達だからな」
「でも聞の配達は終わってたんでしょう?」
田所は答えなかった。
先が説する。
「田所さんは毎、郵便局のくの販売へって、聞代を払ってくれていたんだ」
級が田所を見る。
「どうして?」
「別にいいだろ」
「どうして?」
今度は6のが聞いた。
田所は逃げるように窓のを見た。
の残った。
陽の当たるところではしずつが見え始めている。
「聞くらい、なくてもよかったのに」
は言った。
「学、もう終わるって決まってたんでしょう?」
田所は黙っていた。
教のろには、昔の卒業写真がある。
そのに、だった自分もいる。
い沈黙のあと。
田所がをいた。
「俺もここに通ってたんだよ」
3はすぐに頷いた。
それは先、写真を見てっている。
しかし田所は続けた。
「終戦のすぐだった」
教にいた老たちの表が変わった。
「今みたいに、にテレビなんかなかった。うちにはラジオもなかった。本もほとんどなかった」
田所の声は静かだった。
「だから俺が京という町をちゃんとったのも、の向こうに国があるんだとったのも、この学に置いてあった古い聞だった」
子どもたちは何も言わなかった。
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