"白いハンカチの約束" 第1話
昭47、京郊には、同じ形をしたコンクリート造りの団が次々と建ち並んでいた。度経済成の勢いはまだのあちこちに残っており、駅にはしい商が増え、団へ向かうバスは朝夕になると会社員や買い物帰りの主婦たちで混みった。
4階建ての建物が何棟も平に並び、そのにはまだ舗装されていない空きやさな砂があった。昼になると布団を叩く音があちらこちらから響き、細いベランダにはのシャツ、子どもの半ズボン、のくなったタオルなどがに揺れていた。
夕方になれば、どこかのからカレーや煮魚の匂いが漂ってくる。学から帰った子どもたちはランドセルを玄関へ放りすように置き、空きでゴムびや缶蹴りを始め、母親に名を呼ばれるまで帰ろうとしなかった。
その団の3号棟、4階のに、68歳の松田清と妻のが暮らしていた。
清は勤めた仕事をすでに退き、朝になると聞を丁寧に折り直してから読むのが課だった。は夫より3歳で、季節に関係なく朝く起き、やかんをにかけ、噌汁を作ってから洗濯物をえる。
2の子どもたちはすでにをれていた。息子は神奈川、娘は都内の別の区でそれぞれ庭を持っており、正や盆には顔を見せるものの、普段は夫婦2だけの静かな活だった。
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松田は団のでも特に目つではなかった。所付きいも普通で、廊ですれ違えば挨拶をし、回覧板が来れば次のへ届け、醤油を切らしたがあればし分ける程度だった。
ただつだけ、所の子どもたちが議にっていることがあった。
毎朝7になると、が必ずベランダへてくるのである。
洗濯籠を持っているもあれば、何も持っていないもあった。は周囲を見渡すでもなく、物干し竿の端へづくと、折り畳んだ真っなハンカチを広げ、洗濯ばさみで1枚だけ留めた。
れのだけではない。
曇りのも、のいも、がりそうな朝も同じだった。
布団もシャツも干していないでさえ、そのいハンカチだけは決まって物干し竿の端で揺れていた。
「またた」
3号棟ので遊んでいた子どもが、ベランダを指さした。
「今もいやつだ」
「毎だよ」
子どもたちはいつのにか、それを松田の朝の景として覚えるようになっていた。
ある、隣のにむ学の正男が、学へくにと階段で鉢わせた。以から気になって仕方がなかったらしく、ランドセルの肩紐を握ったまま、い切って尋ねた。
「松田のおばちゃん」
「なあに?」
「なんで毎、いハンカチ干すの?」
は瞬だけ目を細め、それからいつもの穏やかな笑顔を見せた。
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「目印よ」
正男はすぐに聞き返した。
「何の目印?」
「それは秘密」
「誰かが見るの?」
「さあ、どうかしらね」
はそれ以答えず、買い物籠を持って階段をりていった。取り残された正男はますます気になり、そのの午には空きに集まっていた友達へ話した。
「松田のおばちゃん、あれ目印なんだって」
「誰への?」
「秘密って言われた」
「じゃあ暗号じゃない?」
「暗号?」
「昔のスパイとか」
子どもたちの像は勝に膨らんでいった。いハンカチがたら「全」、なかったら「危険」というではないかと言いす子まで現れ、いつしか松田のベランダはさな謎として子どもたちので語られるようになった。
けれどは、そんな噂を聞いても笑っているだけだった。
朝7になると、窓をける。
いハンカチを広げる。
洗濯ばさみで留める。
それからは、ほんの瞬だけ向かい側の5号棟へ目をやった。
そこまで見ている子どもはいなかった。
3号棟と5号棟のには、さな空きと植え込みがあった。距はそれほどくなく、気のいいなら互いのベランダに誰がっているのかくらいは分かった。
5号棟の3階に、暮らしの林トメという73歳の女性がんでいた。
トメは7に夫をくしていた。夫が元気だった頃は2で商へ買い物にかけ、休にはくの川沿いまで散歩することもあったが、になってからはへる会がしずつ減っていた。
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