"白いハンカチの約束" 第9話
娘が来るは嬉しかった。
帰ったはし寂しかった。
話が欲しいとうもあった。
けれど毎朝、窓をければ向かいにいものが見えた。
誰かが自分を見張っているわけではない。
誰かに世話をされているわけでもない。
ただ、
「今もそこにいる」
と分かる。
そして自分も座布団をす。
向こうではきっとか清が見ている。
「こっちも丈夫だよ」
それだけをらせる。
ある朝。
正男たちが学へくになっても、いハンカチはまだに揺れていた。
正男は友達と歩きながら、それを見げた。
「今もてる」
友達も5号棟を見る。
「座布団もある」
「じゃあ両方元気だな」
子どもたちは、それ以気にすることなく学へ向かった。
以なら、
「スパイの暗号」
と騒いでいた。
今ではと茶の組みわせが、ごく普通の朝の景になっていた。
団には何百ものが暮らしていた。
会社へ向かう父親。
子どもを送りす母親。
学へる子ども。
暮らしの老。
族とれて暮らす。
それぞれがいコンクリートの壁枚を隔て、自分の活を営んでいる。
すべてをることはできない。
毎声を掛けることもできない。
誰かの孤独を完全になくすこともできない。
けれど清が考えたのは、そんなげさなことではなかった。
朝、起きた。
今もける。
広告
だからい布を1枚す。
向こうも朝を迎えたなら、座布団を1枚す。
もしどちらかがなければ、度だけ見にく。
その約束には、話も特別な械も必なかった。
おもほとんどかからない。
必なのは、いハンカチと古い座布団、それから毎朝ほんの数秒、向かいの建物を見ることだけだった。
昭47。
話がまだすべての庭にき渡っていなかった代。
今のように携帯話も、見守り器も、れた族へ瞬にらせる仕組みもなかった。
だから々は、自分たちの活のにあるもので、さな夫を作っていた。
あるでは聞受けを見る。
あるでは戸がいたか確かめる。
そしてこの団では、2つのベランダのをいハンカチと茶い座布団が結んでいた。
げさに助けうわけではない。
毎緒に事をするわけでもない。
族同然というほど親しいわけでもない。
むしろ互いの暮らしには、必以に踏み込まない。
トメがで静かに過ごしたいは、誰も訪ねない。
松田夫婦が2だけでかけるも、トメは理由を聞かない。
けれど朝だけは見る。
今もいものがあるか。
今も茶いものがあるか。
その、清が病院へ運ばれた朝、いハンカチは初めてなかった。
トメは異変に気づいた。
結果として、清はすでにによって病院へ連れてかれていたため、トメが助ける必はなかった。
広告
それでもその来事は、3につのことを教えた。
はあった。
毎朝続けていたさな約束には、ちゃんとがあったのだ。
何も起きないには、ほとんど役にたない。
ただ布が揺れているだけ。
けれど何かが起きたには、その「いつもと違う」が誰かの目に留まる。
それだけでも分だった。
あるの朝。
がいつものようにいハンカチを物干し竿へ留めた。
空はよくれていた。
団の植え込みにはしい緑が増え、くから子どもたちの声が聞こえてくる。
は洗濯ばさみを押さえ、でばないことを確認した。
そのまま5号棟を見る。
まだ座布団はない。
計を見る。
75分。
「まだいわね」
部へ戻ると、清が聞を読んでいた。
「したか」
「しましたよ」
「そうか」
それから2は朝を取り、何でもない話をした。
噌汁がしい。
今の聞にしいの記事がている。
夕方は魚を買おう。
そんな、になれば何を話したのかいせなくなるような会話だった。
8し。
が窓際へった。
向かいの窓がく。
トメがゆっくりベランダへる。
両には、いつもの古い茶の座布団。
欄干へかける。
トメは顔をげた。
くからいハンカチを見る。
も茶い座布団を見る。
互いの顔までははっきり見えない距だった。
声も届かない。
それでも分だった。
いハンカチがに揺れた。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
赤いバイクと最後の新聞
昭和50年、岐阜県の山あいに、全校児童がわずか3人だけの小さな分校があった。 給食もなく、冬は石油ストーブを囲んで授業を受けるような古い木造校舎。そんな子どもたちが毎朝楽しみにしていたのは、山の外の世界を伝えてくれる一部の新聞だった。 ところが、その分校は翌年3月で閉校することが決まる。教材も雑誌も次々と止まり、子ども新聞の購読も打ち切られた。 それでも、59歳の郵便配達員・田所信一は、雪の山道を越えて毎朝新聞を届け続けた。 誰も頼んでいない。もう学校も終わる。たった3人の子どものために、なぜそこまでするのか。 分校最後の日、子どもたちは初めて知ることになる。 田所が守ろうとしていたのは、新聞そのものではなかった――。昭和1.5萬字5 3 -
完結第11話
余ったパンの嘘
昭和43年、東京近郊の古い木造小学校。 5年生の担任・村上昭一には、子どもたちが気になって仕方ない習慣があった。給食の時間になると、牛乳とおかずは食べるのに、コッペパンだけは毎日ほとんど口にしない。そしてそれを紙に包み、古びた革鞄の中へそっとしまうのだ。 「先生、今日も持って帰るの?」 子どもたちが尋ねても、村上はただ「腹いっぱいなんだよ」と笑うだけだった。 けれど、毎日続くその行動には、誰にも言えない理由があった。 ある放課後、どうしても気になった3人の男子は、先生の後をつけることにする。黒い自転車で工場町を抜け、川沿いの砂利道を進んだ先にあったのは、河川敷に建つ小さな家だった。 そこで子どもたちは、先生がなぜ「余った」と言い続けていたのかを知る。 1本のコッペパンに込められていたのは、ただの親切ではなかった。相手の誇りまで守ろうとした、静かな優しさだった。昭和1.6萬字5 915 -
完結第11話
母に届かなかった10円
昭和55年、駅前の公衆電話の横に、毎月25日だけ10円玉が一枚置かれるようになった。 落とし物にしては場所が不自然で、誰が置いているのかも分からない。新聞売りの森田は、毎月同じ日に現れるその小さな硬貨を不思議に思い、やがて駅前の子どもたちもそれを「10円の日」と呼ぶようになる。 そんなある冬の朝、森田はついに10円玉を置く女性の姿を見つける。 なぜ彼女は、誰にも知られないように毎月10円玉を置き続けていたのか。 その理由は、何十年も前、たった一枚の10円玉がなかったためにかけられなかった「あの日の電話」に隠されていた――。昭和|親子関係1.6萬字5 301 -
完結第10話
売らなかった紙
昭和48年、オイルショックの不安が日本中を包み、商店街から次々と日用品が消えていった。 大阪の小さな乾物屋「丸福商店」にも、ある日、待ち望まれていたトイレットペーパーが入荷する。店先にはたちまち人が集まり、誰もが一つでも多く手に入れようとした。 ところが店主・福田源蔵は、奥に在庫があるにもかかわらず、こう貼り出す。 「本日、トイレットペーパーは販売いたしません」 客たちは怒り、源蔵を責めた。値上げするつもりなのか、隠しているのか、商売人としてひどいのではないか――。長年の常連までもが、冷たい言葉を残して店を去っていく。 それでも源蔵は、最後まで売らなかった。 その夜、店のシャッターが下りた後、彼は誰にも言わず、自転車の荷台に白い包みを積み始める。 売らなかったのは、儲けるためではなかった。 あの夜、源蔵が本当に守ろうとしていたものは、棚の商品ではなく、この町に残る小さな信用だった。昭和1.5萬字5 1791