"「ただいま」と帰った亡き夫" 第1話
昭3112。
京都府部のさな町では、朝から細かながり続いていた。根も畑もく覆われ、々の軒先には、昨夜から積もったがたそうに残っていた。
佐子は台所で輪のを確かめながら、鍋の噌汁をゆっくりとかき混ぜていた。湯気の向こうに見える窓のでは、夫の隆が黙々と薪を割っている。
太い薪へ鉈を振りろすたび、乾いた音が庭に響いた。
「お母ちゃん、今も?」
背から声がして、佐子は振り返った。
6歳の正彦が、まだ寝癖の残るで障子の隙からをのぞいている。
「見たら分かるやろ。学へく頃には、もうし積もっとるかもしれんな」
佐子が笑うと、正彦は嬉しそうに庭へようとした。
「こら、まだ着替えてないやろ」
その声に、隣の部で支度をしていた12歳の節子が笑った。
いつもと変わらない朝だった。
佐子と隆。
12歳の節子。
6歳の正彦。
4で暮らして、もう何も経っている。所から見れば、ごく普通の族だった。
ただ1つだけ、には簡単に説できない事があった。
節子と正彦では、父親が違っていた。
節子の実父の名は、信夫。
佐子が最初に結婚した男だった。
信夫は昭19の、召集されてをた。当、節子はまだ1歳にもなっていなかった。
征ののことを、佐子は今でもはっきり覚えていた。
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信夫は軍姿のまま、何度も節子の頬を撫でた。赤ん坊だった節子は父親がどこへくのかも分からず、胸元のボタンへさなを伸ばしていた。
「帰ってきたら、3で写真を撮ろう」
信夫はそう言った。
佐子は泣かないように唇を噛み、何度も頷いた。
写真館へこう。
節子にもしいを着せよう。
そんなことまで話していた。
それが、夫婦が交わした最の約束になった。
翌、戦争は終わった。
けれど、信夫は帰ってこなかった。
旧満州で部隊とともに消息を絶ち、そのはしたものと扱われた。
遺骨はなかった。
佐子の元に残ったのは、信夫がしたと伝える類と、征に撮った写真だけだった。
それでも、すぐに諦めることはできなかった。
戦争が終われば帰ってくる。
遅れているだけかもしれない。
どこかで怪をしているのかもしれない。
佐子はそう信じた。
1。
2。
3。
復員兵を乗せた列が来ると聞けば、節子を背負って駅へ向かった。
改札の向こうから、痩せた男たちが次々とてくる。
を引きずる者。
族の顔を見て泣き崩れる者。
さな子どもを抱きしめる者。
佐子は、そのの顔を必に見た。
けれど、信夫はいなかった。
「今度こそ」とって駅へき、「今も違った」と節子を背負って帰る。その繰り返しだった。
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やがて町でも、信夫はもうきていないのだろうと言われるようになった。
佐子自も、それを否定する言葉をしずつ失っていった。
戦の暮らしは、待っているだけでは続けられなかった。
米はりない。
着るものもりない。
佐子は自分の着物を包み、農を回って芋や米と交換した。
節子がをせば、夜通し額をやした。それでも医者へ連れてくさえ惜しいとうほど活は苦しかった。
そんな、何度も助けてくれた男がいた。
信夫の旧友だった隆である。
隆も戦から戻った復員兵だった。
帰国は町の鉄所へ勤め、決して余裕のある暮らしではなかった。それでも折、米をしだけ持ってきた。
「余ったから」
隆はいつもそう言った。
本当に余ったのかどうか、佐子には分からなかった。
壊れた戸を直してくれた。
節子がをしたには、自転をばして医者を呼びにってくれた。
になれば薪を割り、根が傷めばって直した。
けれど隆は、度も佐子に結婚を迫らなかった。
信夫の話をやめろとも言わなかった。
佐子が駅へ復員兵を見にくことをっていても、何も言わなかった。
昭24。
信夫が戸籍もしたものとして扱われるようになった、佐子の母が言った。
「佐子、いつまで待つつもりなの」
その言葉に、佐子は答えられなかった。
夜になると今でも、玄関の戸がくような気がするがあった。
「ただいま」
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