"上野駅、弟が消えた夜" 第2話
いつもの倍いを払うと言われ、勇には柱のくにいて、暗くなるに戻るからと伝えた。
ところが帰りで荷の輪がれ、修理を伝っているうちに予定より1以遅くなった。空が暗くなるにつれ胸騒ぎがくなり、照子は最のをほとんどって戻った。
へ入り、い布を結んだ柱が見えた瞬、が止まった。
勇がいなかった。
柱の根元には、が昼使っていた古い袋と、勇の履いていた子ども靴が片方だけ残されていた。
照子はゆっくり靴を拾った。が乾いてくなった靴底には、自分が数に針と糸で補修した跡がある。違いなく勇のものだった。
「勇!」
声はの奥まで響いたが、返事はなかった。
照子はもう度、今度は喉が痛くなるほどきな声で弟の名を呼んだ。
照子は最初、勇がべ物でも探しにっただけだとおうとした。の端から端まで何度もり、顔見りの子どもや物売りを見つけるたびに、9歳の柄な男の子を見なかったかと尋ねた。けれど、誰として勇の方をる者はいなかった。
の裏にも向かった。勇が炭を拾っていた所、をもらったことのある堂、以寒さをしのいだ倉庫の軒まで探したが、姿はなかった。背格好の似た子どもを見つけるたびにり寄り、違う顔が振り返るたび、胸のが空っぽになるようだった。
広告
「9歳くらいで、の眉のにさい傷があります。髪はくて、の着を着ていて……」
夜になっても、照子は通りがかるへ同じ説を繰り返した。ほとんどのは忙しそうに首を振るだけで、には「こんな所じゃ子どもがいなくなることくらい珍しくない」と言う者さえいた。
その言葉を聞くたびに、照子は腹がつより怖くなった。
戦争が終わったとはいえ、にはまだ分な秩序が戻っていなかった。仕事を求めて流れ着いたもく、寄りのない子どもが荷運びや使いりをさせられているという噂もあった。勇も誰かに連れていかれたのではないかとうと、息が苦しくなった。
その晩、照子は柱の横から歩もれなかった。勇は約束を破る子ではないから、逃げられれば必ず戻ってくるとった。片方の靴を胸へ抱き、に音が響くたび顔をげた。
朝になっても、弟は帰らなかった。
照子はそので交番へった。警察官は最初、帳面をいて話を聞いていたが、所を尋ねられて「ありません」と答え、両親について「空襲でくなりました」と説すると、ほんのし表が変わった。
「弟さんの写真は?」
「ありません」
「戸籍は?」
「どこに残ってるのか分かりません」
「んでいた所は?」
「野のです」
警察官はしばらく帳面へ何かき、「見つかったららせる」
広告
と言った。
「毎ここへ来ます。だから、何か分かったら絶対に教えてください」
「分かったから。今はもう帰りなさい」
帰る所などない。
そう言い返したかったが、照子はをげて交番をた。
そのから、照子は仕事をほとんどしなくなった。わずかな蓄えもべ物ではなく賃に使い、野だけでなく浅や暮里の方まで歩き回った。勇と同じくらいの子どもが集まっている所があると聞けば向かい、誰かに保護された子がいると聞けば名を確かめた。
4目の夜には、ほとんど何もべていなかった。顔見りの物売りの女が見かねて芋をつ渡してくれたが、照子は半分しかべられなかった。残りを無識にへ包み、勇が戻ったらべさせようとしている自分に気づいた、涙がそうになった。
5目の夕方、その物売りの女が照子を呼び止めた。
「まだ弟を探してるのかい」
「何かってるの?」
照子が勢いよくづくと、女は周囲を見てから声を落とした。
「ってるってほどじゃないけど、この辺り最また子どもを保護してるらしいよ」
「保護?」
「浮浪児だよ。駅やで寝てる子を集めて、施設へ入れるんだってさ」
照子は息を止めた。
誰かに危害を加えられたのではなく、保護された。
そうだとしたら、きている能性はい。
「どこへくんですか」
「か所じゃないだろうよ。
広告
おすすめ作品
-
完結第11話
帳簿から消えた14歳
大正5年、大阪の小さな食品加工工場で働く19歳のトミと、14歳の妹・ハル。父を亡くした姉妹の給金は、故郷に残る母と弟たちの暮らしを支える、唯一の収入だった。 やがて女性や年少者の働き方を制限する「工場法」が施行され、トミは、妹が夜遅くまで働かされる日々もようやく終わると信じる。 ところが翌朝も、工場では何一つ変わらなかった。不審に思ったトミが事務所の職工名簿を開くと、そこから14歳のハルをはじめ、年若い女工たちの名前だけが消えていた。 代わりに記されていたのは、実在しない17歳の男工《松崎春吉》。名字も住所も入職日も、すべてハルと同じだった。 工場はなぜ少女たちを別人として記録したのか。そして、妹自身もなぜその嘘を受け入れているのか。家族を養うために働かなければならない少女たちと、妹の名前を取り戻そうとする姉が、「守られること」の厳しい現実に直面する――。時代|歴史1.7万字5 7 -
完結第11話
最後の転校届
昭和40年、ダム建設によって水没する杉ノ沢村では、家々が次々と解体され、ただ一つの小学校にも5人の児童しか残っていなかった。 女性教師・森山佳代子が気にかけていたのは、6年生の中村修一だった。ほかの家族が転校手続きを終える中、修一だけは転校届を持ってこない。父親は移転に反対していないはずなのに、なぜ息子の進路だけ決めないのか。 ある日、佳代子が中村家を訪ねると、家はすでに取り壊されていた。修一は一か月以上も前に移転し、十数キロ離れた新居から、雨の日も自転車で旧村の学校へ通い続けていたのだ。 「なくなるなら、最後までいたい」 卒業まで杉ノ沢小学校へ通いたいと訴える修一。しかし冬が訪れ、雪にまみれて登校した少年を前に、佳代子はついに父親が差し出した転校届を受け取る。 故郷を奪いたくないという少年の願いと、未来へ送り出さなければならない教師の責任。村が湖底へ消える最後の春、二人の別れをつなぐ一枚の写真が残される――。時代|歴史|昭和1.6万字5 6 -
完結第10話
16歳、家を出た姉
昭和8年、不況と凶作に苦しむ岩手の山村で、16歳の千代は両親と4人の弟妹と暮らしていた。 米櫃は底をつき、母は自分の食事を幼い子どもへ譲り、父は昼飯も持たずに働いていた。父から奉公を禁じられた千代は、「私が一人減れば、四人分でいいでしょ」という置き手紙を残し、家族に黙って盛岡の料理屋へ向かう。 3か月後、千代から5円の郵便為替が届いた。それから毎月、同じ料理屋の名で仕送りは続いたが、千代自身の手紙だけは一度も届かなかった。 2年後、不安を抱いた弟の勇一は、貯めた汽車賃を握りしめ、一人で盛岡へ姉を捜しに行く。ところが料理屋の女将から告げられたのは、思いもよらない事実だった。 「千代なら、ここには3か月しかいなかったよ」 では、毎月途切れずに届いていた5円は、どこで働く誰が送っていたのか。家族を生かすために居場所も言葉も隠した少女と、姉の行方を追う弟の長い旅が始まる――。時代|歴史|昭和1.5万字5 6 -
完結第10話
焼け残った家を壊せと言われた
昭和23年、戦争の傷跡が残る東京の下町で、信一は父とともに、空襲を奇跡的に免れた小さな豆腐屋を守っていた。 ところがある日、役所の職員が店先に白い杭を打ち、「この場所には、もう家を建て直せません」と告げる。新しい道路の予定地になったため、焼け残った家も取り壊さなければならないというのだ。 駅近くの換地へ移れば、商売を大きくできる。そう考える信一に対し、父の清吉は頑として立ち退きを拒み、母まで「この家を離れられない」と言い出した。 なぜ両親は、暮らしやすい新天地より、焼け跡に残った古い家にこだわるのか。 やがて母が仏壇の引き出しから取り出した一冊の帳面によって、信一は、この家に戦後から守られてきた「ある記憶」があることを知る――。時代|昭和1.5万字5 33