みかん小説
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"赤いバイクと最後の新聞" 第10話

学がなくなることは、田所にも止められない。

過疎になったへ、しい子どもを連れてくることもできない。

代が変わることも止められない。

だからこそ田所は、自分にできることだけを続けた。

最のまで聞を届ける。

ただそれだけだった。

その、ノ分の舎から子どもの声が戻ることはなかった。

になればは解け、庭にはがえる。

の桜も、やがてあせていった。

けれど棚にはしばらく、閉のに届いた最の聞が置かれていた。

何度も子どものでかれ、折り目のついた聞だった。

そしての々の記憶には、もうつの景が残った。

の朝。

い坂。

くから響いてくるさなエンジン音。

赤い郵便バイクに乗った59歳の配達員。

玄関へ着くと、いつものように聞を取りし、

「今はこんな記事が載ってるぞ」

と笑う姿。

げさなことは何つ言わなかった。

自分が払っていることさえ、最まで子どもたちへ話すつもりはなかった。

田所にとっては、それが当たりだったのかもしれない。

学である限り。

そこに子どもがいる限り。

の世界へつながる窓を閉じる理由はない。

だから、最のまで届けた。

昭のでは、聞枚が今よりずっときなを持つことがあった。

何百キロもれた町をるために。

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見たことのないを像するために。

自分とは違う暮らしをする々がいるとるために。

そして、

「いつかここからて、自分の目で見てみたい」

とうために。

田所信は、子どもたちを京へ連れていったわけではない。

国を見せたわけでもない。

ただ、毎朝枚の聞を届けただけだった。

しかし、そのいの向こうには、よりずっと広い世界があった。

閉が決まったからといって、その世界への窓まで先に閉じる必はない。

なくとも田所は、そうっていた。

だからのにもをった。

誰も聞を注文しなくなったも。

学の郵便がほとんどなくなったも。

そして閉式の朝にも。

最の部を、いつものように子どもたちへ渡した。

「これで最だ」

そのの田所の言葉は、聞のことだけを言っていたのではなかったのかもしれない。

だった自分が学んだ学。

何もの子どもたちを送りしてきた舎。

毎朝聞を待っていた3。

そのすべてに対する、さな別れの言葉だった。

翌朝から、赤いバイクはもうをがらなかった。

けれどノ分には、最のまで聞が届いた。

田所が30く胸のに残していた言葉と緒に。

のにんでいても、世界まで狭くなる必はない。

その言葉を、今度は3の子どもたちへ渡すように。

さなの学の窓は閉じた。

けれど、その向こうに広い世界があることをった子どもたちのまで、閉じることはなかった。

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