"焼け残った家を壊せと言われた" 第1話
昭23の、京の町にはまだ戦争の傷があちこちに残っていた。焼け跡には急ごしらえのバラックが並び、煤けた煉瓦塀の隣でしいの柱がちはじめている。荷で材を運ぶ男、買いし帰りの女、学へ向かう子どもたちが同じ狭いをき交い、町全体が壊れた体を引きずりながら、それでもへもうとしているように見えた。
その角で、相沢清吉はさな豆腐を営んでいた。先には煤で黒ずんだ札に「相沢豆腐」とかれ、まだ空のみきらない頃から豆を煮る湯気が通りへ流れす。空襲で周囲の々がほとんど焼け落ちた、相沢だけは向きと隣の防壁に助けられ、半分以が奇跡のように残っていた。
清吉は、酒が入ると決まって同じ話をした。「うちはを守ったんだ。あのので、ここだけは残ったんだぞ」と、何度聞かせたか分からない自を息子の信へ繰り返す。柱には焦げ跡があり、根瓦も何枚か替えなければならなかったが、も豆腐を固める枠も、裏庭の井戸も残っていた。
22歳になった男の信は、その話を聞くたびに「分かってるよ」と笑っていた。戦争が終わって3、父と緒にをて直しながら、いずれは豆腐だけでなく油揚げや揚げも増やし、堂や旅館へ卸せるくらい商売を広げたいとっていた。
広告
を守った父の気持ちは理解していたが、信の目はすでに、この町の数先へ向いていた。
そんな相沢のへ、ある朝、の役所職員がやって来た。若い方の男は細い鏡をかけ、巻いた図と槌、それに何本かのい杭を持っている。清吉が何事かとからると、職員は丁寧にをげたあと、ののへ図を広げた。
「この帯は、戦災復興の区画理区域に入っています。こちらにしいを通す計画でして、相沢さんのお宅は予定にかかることになります」
清吉は、しばらく相の言葉を理解できなかったようだった。やがて図を覗き込み、自分のを横切る太い線を指でなぞると、「つまり何だ。うちはどうなる」とい声で尋ねた。
職員は言いにくそうに鏡を直した。「この所では、今きな修繕や建て直しはできません。換先として、駅寄りの区画が候補になっています。正式な続きはこれからですが、最終には移転していただくことになります」
「焼けなかったを、わざわざ壊すのか」
清吉の声がの奥まで響いた。
「戦争でも残ったんだぞ。周りが全部焼けただって、ここだけは残った。今さら役所が来て、を造るからどけと言うのか」
若い職員は気圧されたように歩がったが、の職員がへた。
広告
「お気持ちは分かります。しかし、この辺りは幅が狭く、消防も入りにくい。排も悪いままです。同じようなが起きた、今の町割りのままでは、またくの被害がる恐れがあります」
その説が、清吉にはさらに腹たしかったらしい。「事のことなら、俺たちの方がってる」と言い捨て、職員たちへ先からるようを振った。役所のは何度もをげ、説会の付をいただけを置いて帰っていった。
その晩、茶のの空気はかった。夕にはハルが作った根と油揚げの煮物が並んでいたが、清吉は箸をほとんどかさず、湯みの縁ばかり見ていた。信はしばらく黙っていたものの、このままでは何もまないとい、を決してをいた。
「父さん、換先って駅のくだろ。俺は度、ちゃんと見てから考えてもいいとう」
清吉の箸が止まった。
「おまで役所の方をするのか」
「方とか敵とかじゃないよ。商売するなら、駅にい方がもい。今より広いを作れるかもしれないし、配達もしやすくなる」
清吉はで息を吐いた。「おにとってってのは、客がい所へ持っていけば済むものなのか」と言う。信も腹がち、「は事だよ。でも、を守ってが潰れたら何になるんだ」と言い返した。
の声がきくなったところで、それまで黙っていた母のハルが「私は移りたくないよ」
と言った。
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
六時の椅子
昭和35年、東京下町。72歳の小野寺ハルは、取り壊しが決まった古い写真館の前に、毎朝六時から木椅子を置き、持ち主不明の家族写真を返そうとしていた。 ある朝、一人の女性が写真の中の娘・澄子を見て顔色を変える。十五年前の東京大空襲で、行方不明になった六歳の娘と一緒にいたというのだ。 澄子もまた、あの日から帰っていない。亡き夫が残した古い記録には、二人の名前が並んでいた。 戦争に引き裂かれた家族の足跡を追い、十五年間閉ざされていた真実へと近づく、母たちの物語。時代|歴史|昭和2.8万字5 62 -
完結第13話
返せなかった六百二十円
昭和二年、金融恐慌に揺れる東京・神田。銀行員の徳田美佐は、取り付け騒ぎのさなか、印刷所を営む父が請求した預金六百二十円だけを、自分の判断で留めてしまう。 給金を払えなくなった父の工場では職人が去り、父娘の間にも深い溝が生まれる。さらに銀行は「いつでも全額払える」と記した宣伝紙を配り、美佐が認めていない報告書には「確認済」の印が押されていた。 自分の過ちと、銀行が隠そうとする事実。美佐は職を失う覚悟で真相に向き合うことになる。時代|歴史|昭和|親子関係2.8万字5 131 -
完結第13話
疎開から戻った娘が、再び村へ帰りたがった理由
昭和二十年の秋。戦争で夫と家を失った文江は、集団疎開から戻った十二歳の娘・幸子と、焼け跡の東京でようやく再会した。 ところが三日後、娘は突然「あの村へ帰りたい」と言い出す。母との暮らしを喜んでくれると思っていた文江は、深く傷ついた。 やがて娘の行李から見つかった一通の手紙。そこには、長野の農家で暮らす九歳の少女・千代との、切実な約束が隠されていた。 自分たちの生活さえ苦しい母娘は、その約束にどう向き合うのか。戦後の厳しい暮らしの中で、家族の絆と本当の居場所を見つめ直す、心温まる物語。時代|歴史|昭和|ミステリー|親子関係2.8万字5 157 -
完結第13話
杉原千畝の査証を得た一家、母だけが出国できない
一九四〇年、リトアニア。故郷ポーランドを追われた十六歳のミラは、両親と弟とともに、杉原千畝が発給した日本の通過査証を手にする。しかし、それは長い逃避行の始まりにすぎなかった。 足りない旅費、次々と求められる書類、そして母の名前に生じた一文字の食い違い。ようやく出国の道が見えた時、許可されたのは家族四人のうち三人だけだった。 母を残して出発するのか、それとも全員で待つのか。見知らぬ人々の小さな善意に支えられながら、一家は生き延びるための道を探していく。 杉原千畝の「命のビザ」の史実を背景に描く、家族と希望の物語。時代|歴史|昭和2.7万字5 243 -
完結第20話
磨かなかった靴
昭和23年、上野駅前。靴磨きで生計を立てる十三歳の健太は、町の有力者・篠田が差し出した革靴を見た瞬間、磨くことを拒んだ。その踵には、三年前に生き別れた兄と一緒に縫った、忘れられない傷跡があった。 篠田の怒りを買い、仕事場を失った健太は、仲間たちと暮らしを立て直しながら兄の行方を追い始める。ところが調べるうちに、少年たちの年齢を偽った労働書類と、行方不明の兄の不可解な署名が浮かび上がる。 焼け跡の町で、一足の靴を手掛かりに隠された真実へ近づく少年の、勇気と再生の物語。時代|歴史|昭和|兄弟姉妹2.8万字5 313