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完結第11話
出生届を止めた助産婦
昭和30年の秋、信州の山村で二人の女が同じ夜に女児を出産した。介助したのは、村でただ一人の助産婦・松永ハルだった。 一人目の赤子を連れて次の難産へ駆けつけたハルは、夜明け前の混乱の中で、二人をほんのわずかな間だけ同じ布団へ寝かせてしまう。 翌日、ハルは異変に気づいた。最初に生まれた子の左肩にあった青い痣が、もう一方の家にいる赤子へ移っていたのだ。 「この子の出生届だけは、あと二、三日待ってください」 問い詰められたハルは、ついに二人の赤子を取り違えた可能性を告白する。しかし血を確かめる術のない時代、頼れるのは曖昧な記憶と、痣や足の形だけだった。 しかも二人の母親は、すでに三日三晩、腕の中の赤子へ乳を与え、泣けば抱きしめていた。元へ戻すべき命と、もう生まれてしまった情――戸籍には記せない選択を、二つの家族が迫られることになった。時代|歴史|昭和1.6万字5 505 -
完結第10話
知らない家族が守った家
昭和27年、7年間接収されていた世田谷の自宅へ、ようやく戻った杉浦一家。 ところが庭には洗濯物が干され、家の中には見知らぬ母子が暮らしていた。しかも7歳ほどの少年が、杉浦家の仏壇に毎朝手を合わせていた。 「今週中に出ていってください」 家を取り戻した忠雄に譲るつもりはなかった。しかし母子には行き先がなく、二つの家族は一時的に同じ屋根の下で暮らすことになる。 やがて押し入れから、亡くなった母子の父親が残した古い帳面が見つかった。そこには屋根や雨戸、仏間を修理した7年間の記録が、細かな日付とともに記されていた。 「ここは自分たちの家ではない。いつか持ち主が帰ってくる」 少年が仏壇へ手を合わせていたのは、帰る場所を失った父が、まだ見ぬ家主のために守り続けた約束だった――。時代|歴史|昭和1.5万字5 220 -
完結第11話
母が守った「4人目」
昭和23年の冬。空襲で夫を亡くし、3人の子どもを育てる富美は、配給所へ行くたびに言い張った。 「うちは、子どもが4人です」 台帳に残るもう一人は、3年前の空襲で消息を絶った長男・正一だった。町内から「いない子の分まで受け取るのはずるい」と責められ、次男の昭夫まで学校で泥棒扱いされる。 耐えかねた昭夫が母に内緒で配給人数を訂正しようとすると、富美は物置へ彼を連れていった。そこには3年間、一粒も食べずに取っておいた正一の米があった。 「帰ってきた時、また“あなたの分はない”なんて言いたくなかったの」 しかし厳しい冬のある日、空腹で震える少年が家を訪れる。富美は長い間守り続けた甕を見つめ、やがて昭夫へ静かに告げた。 「取ってきて」――正一を待つための米が、今ここにいる子どもたちの命をつなぐ食事へ変わった夜だった。時代|歴史|昭和1.6万字5 571 -
完結第12話
開けなかった手紙
昭和49年、過疎化が進む瀬戸内海の白波島。住民がわずか10世帯になっても、郵便配達員の木村正吉は毎朝、渡し船に乗って島へ通い続けていた。 島の高台に一人で暮らす大崎源次郎には、離れて暮らす三人の子どもから毎週必ず手紙が届く。ところが正吉が偶然目にしたのは、封も切られないまま何十通も積み上げられた手紙だった。 「読まないなら、なぜ受け取るんだ」 問い詰められた源次郎は、ようやく秘密を明かす。一通を明日へ残しておけば、明日起きる理由になる――手紙は孤独な老人が自分のために用意した「明日の予定」だった。 やがて島への毎日の定期便が廃止され、源次郎も娘の暮らす堺へ移ることを決める。最後の船が出る直前、正吉は娘から届いた一通の手紙を手渡した。 いつもなら明日まで開けないはずの源次郎が、その場で封を切った。そこには「今度からは手紙を書きません」と記されていた――もう手紙を残さなくても、明日になれば同じ家で話せるから。時代|歴史|昭和1.7万字5 152 -
完結第11話
最後の転校届
昭和40年、ダム建設によって水没する杉ノ沢村では、家々が次々と解体され、ただ一つの小学校にも5人の児童しか残っていなかった。 女性教師・森山佳代子が気にかけていたのは、6年生の中村修一だった。ほかの家族が転校手続きを終える中、修一だけは転校届を持ってこない。父親は移転に反対していないはずなのに、なぜ息子の進路だけ決めないのか。 ある日、佳代子が中村家を訪ねると、家はすでに取り壊されていた。修一は一か月以上も前に移転し、十数キロ離れた新居から、雨の日も自転車で旧村の学校へ通い続けていたのだ。 「なくなるなら、最後までいたい」 卒業まで杉ノ沢小学校へ通いたいと訴える修一。しかし冬が訪れ、雪にまみれて登校した少年を前に、佳代子はついに父親が差し出した転校届を受け取る。 故郷を奪いたくないという少年の願いと、未来へ送り出さなければならない教師の責任。村が湖底へ消える最後の春、二人の別れをつなぐ一枚の写真が残される――。時代|歴史|昭和1.6万字5 133 -
完結第10話
16歳、家を出た姉
昭和8年、不況と凶作に苦しむ岩手の山村で、16歳の千代は両親と4人の弟妹と暮らしていた。 米櫃は底をつき、母は自分の食事を幼い子どもへ譲り、父は昼飯も持たずに働いていた。父から奉公を禁じられた千代は、「私が一人減れば、四人分でいいでしょ」という置き手紙を残し、家族に黙って盛岡の料理屋へ向かう。 3か月後、千代から5円の郵便為替が届いた。それから毎月、同じ料理屋の名で仕送りは続いたが、千代自身の手紙だけは一度も届かなかった。 2年後、不安を抱いた弟の勇一は、貯めた汽車賃を握りしめ、一人で盛岡へ姉を捜しに行く。ところが料理屋の女将から告げられたのは、思いもよらない事実だった。 「千代なら、ここには3か月しかいなかったよ」 では、毎月途切れずに届いていた5円は、どこで働く誰が送っていたのか。家族を生かすために居場所も言葉も隠した少女と、姉の行方を追う弟の長い旅が始まる――。時代|歴史|昭和1.5万字5 1032 -
完結第10話
上野駅、弟が消えた夜
昭和23年。空襲で両親を失った15歳の照子は、9歳の弟・勇とともに、上野駅の地下道で暮らしていた。 どれほど離れて行動しても、夜になれば必ず大きな柱のそばへ戻る。それが、姉弟が生き延びるために交わした、たった一つの約束だった。 ところがある冬の夕方、照子が地下道へ戻ると、柱の下には勇の靴が片方だけ残されていた。駅前や闇市を必死に捜しても弟は見つからず、警察も家のない子どもの訴えをまともに取り合ってはくれなかった。 数日後、勇が郊外の児童保護施設にいると知った照子は、すぐに会わせてほしいと頼む。しかし職員から告げられたのは、思いもよらない言葉だった。 「弟さんは、姉はいないと言っています」 寒さも空腹も二人で耐えてきたはずなのに、なぜ勇は姉の存在を隠したのか。戦後の地下道で離ればなれになった姉弟が、それぞれ胸に抱えていた小さな決意が明らかになる――。時代|歴史|昭和1.5万字5 244 -
完結第10話
焼け残った家を壊せと言われた
昭和23年、戦争の傷跡が残る東京の下町で、信一は父とともに、空襲を奇跡的に免れた小さな豆腐屋を守っていた。 ところがある日、役所の職員が店先に白い杭を打ち、「この場所には、もう家を建て直せません」と告げる。新しい道路の予定地になったため、焼け残った家も取り壊さなければならないというのだ。 駅近くの換地へ移れば、商売を大きくできる。そう考える信一に対し、父の清吉は頑として立ち退きを拒み、母まで「この家を離れられない」と言い出した。 なぜ両親は、暮らしやすい新天地より、焼け跡に残った古い家にこだわるのか。 やがて母が仏壇の引き出しから取り出した一冊の帳面によって、信一は、この家に戦後から守られてきた「ある記憶」があることを知る――。時代|昭和1.5万字5 114 -
完結第10話
毎日パンを持ち帰る少女
昭和38年、東京近郊の小学校で、5年生の和美は毎日、給食のコッペパンを半分だけ鞄にしまって帰っていた。 貧しいからなのか。家に小さな弟がいるからなのか。教室では噂が広がり、担任の芳江もその理由を気にかけるようになる。 しかし家庭訪問で分かったのは、和美の家が食べ物に困っているわけではないということだった。 それでも祖父は、孫が持ち帰るパンを毎日じっと見つめ、決して食べようとはしない。 なぜ老人は、学校で出された一個のパンにそこまでこだわったのか。 その理由には、戦争と食糧難の時代を生き抜いた祖父が、長い間胸に抱え続けてきた記憶が隠されていた――。時代|歴史|昭和1.5万字5 730 -
完結第11話
卒業写真にいた父
昭和40年、北関東の小さな町にある写真館で、小学校の卒業写真が撮られた。 六年二組、38人。式を終えた子どもたちは、胸に紙の花をつけ、少し誇らしげにカメラの前へ並んだ。数日後、記念写真は全員に配られるはずだった。 しかし、三上健司の分だけは届かなかった。 写真館の店主は「失敗した」とだけ告げたが、健司にはどうしても納得できなかった。自分だけ写真をもらえなかった理由を知らないまま、彼は大人になり、故郷を離れていく。 それから長い年月が過ぎ、閉店間際の写真館を訪れた健司は、古い封筒の中に残されていた一枚の写真を見つける。 そこには、確かに12歳の自分が写っていた。 では、なぜあの日、その写真だけ焼き増しされなかったのか。 写真の端に写り込んでいた小さな影が、健司の知らなかった家族の秘密を静かに映し出していた――。時代|歴史|昭和1.7万字5 2871 -
完結第11話
新幹線の日、父は駅弁を売らなかった
昭和39年10月1日。東海道新幹線が開業し、日本中が「夢の超特急」に沸いていた朝。 静岡の小さな駅で30年駅弁を売ってきた石田栄吉は、その日だけ木箱に弁当を詰めようとしなかった。 炊き上がったご飯も、煮物も、玉子焼きもある。駅前には祝賀の小旗が並び、息子の明夫は「今日こそ一番大事な日だ」と父を責める。 しかし栄吉は、古い腕時計を見つめたまま静かに言った。 「今日は売らない」 新幹線の時代を嫌ったのか。それとも、変わっていく世の中についていけなくなったのか。 だが昼前、明夫は家に残された古い時刻表を見つける。赤鉛筆で丸をつけられていたのは、もう二度と同じ形では来ない一本の普通列車だった。 父が本当に見送りたかったものは、列車だけではなかった――。時代|歴史|昭和1.6万字5 404 -
完結第10話
出征前、父が婚姻届を出した
昭和18年、戦局が悪化する中、法律を学んでいた大学生・藤原正一にも出征の知らせが届く。 長男として家を継ぐはずだった息子が、いつ戻るかも分からない戦地へ向かう。その現実を前に、父・宗吉は正一の婚約者・志津子を呼び、突然こう告げた。 「今すぐ、藤原家の嫁になれ」 息子に何かあった時、婚約者のままでは守れない。そう考えた父の決断だった。だが志津子は、家族全員の前で静かに首を振る。 「私は正一さんと結婚したいんです。藤原家を守るために嫁になるんじゃありません」 出征を前にした息子、家を守ろうとする父、そして自分の人生を他人に決められまいとする婚約者。 別れの日、駅のホームで父が取り出した一枚の婚姻届が、三人の運命を大きく変えていく――。時代|昭和1.5万字5 537 -
完結第11話
この家は俺のものだ
昭和23年、信州の小さな温泉町で、古い旅館「松乃屋」の主人が亡くなった。 葬儀の後、長男の正一は当然のように言い放つ。 「この家は全部、俺が継ぐ」 長男が家を守り、嫁いだ娘は実家の財産に口を出さない。それが、この町では長い間“当たり前”だった。 しかし翌朝、妹の文江が町役場から一枚の紙を持ち帰る。そこに書かれていたのは、新しい民法によって家制度も家督相続も廃止されたという事実だった。 父が守れと言い残した旅館。長男として人生を縛られてきた兄。嫁ぎ先から戻る場所を失った妹。 「家」とは、誰のものなのか。 戦後の価値観が大きく揺れ始めた時代に、三人兄妹は父の残した松乃屋と向き合うことになる――。時代|昭和1.7万字5 267 -
完結第11話
毎週木曜、つながらない番号へ
昭和34年の秋、山あいの小さな町で交換手として働く19歳の美代子は、毎週木曜の夜8時40分にかかってくる奇妙な電話に気づく。 駅前の赤電話から、決まって同じ女が頼む番号。 「三七二番をお願いします」 しかしその番号は、半年前に閉鎖された繊維工場の女子寄宿舎のものだった。もう誰もいないはずの場所へ、女は雨の日も風の日も、同じ時刻に電話をかけ続けていた。 やがて美代子は、古い接続記録の中に不自然な最後の通話を見つける。 昭和34年3月12日。 その夜を境に、寄宿舎からの電話は途絶えた。 そして11月最初の木曜日、今度は若い男の声が交換台に届く。 「妹を探しています」 半年間つながらなかった番号と、夜勤者名簿から赤い鉛筆で消された一人の少女。 閉ざされた寄宿舎で、あの夜いったい何が起きたのか――。歴史|昭和1.6万字5 222 -
完結第11話
帰ってきた長男に家はなかった
昭和21年の春、10歳の正一は母に手を引かれ、復員列車から降りてくる父を待っていた。 3年前に出征した父・慎太郎は、痩せ細った姿でようやく故郷へ戻ってきた。母は泣き崩れ、正一は家族が元に戻ると信じた。 しかし、呉服店の前に立った祖父は、帰ってきた父に向かって言った。 「お前は、この家には入れん」 父がいない間、店を守っていたのは弟の隆次だった。さらに父の後ろには、引き揚げの途中で出会った若い女性の姿があった。 待ち続けた妻、店を守った弟、帰る場所を失った女性、そして戻ったはずの家に居場所をなくした父。 戦争が終わっても、家族の時間は元には戻らない。 復員列車が運んできたのは、再会の喜びだけではなかった――。時代|歴史|昭和1.6万字5 2886 -
完結第10話
銀行員の妻も列に並んだ日
昭和2年、大阪。 銀行の前には、通帳と印鑑を握りしめた人々の長い列ができていた。怒号が飛び交う中、銀行員の藤田清吉は何度も声を張り上げる。 「預金は安全です!」 しかし清吉自身、その言葉を心から信じてはいなかった。前夜、支店長室で告げられたのは、銀行がすでに危うい状態にあるという現実だった。 それでも行員として、人々を落ち着かせなければならない。 そう思って列の前に立った清吉の目に、ある人物の姿が飛び込んでくる。 通帳を握りしめ、預金を下ろす列に並んでいたのは、ほかでもない清吉の妻・春江だった。 銀行を守るのか、預金者を守るのか、それとも家族を守るのか。 昭和金融恐慌の混乱の中で、一人の銀行員が向き合ったのは、お金よりも重い「信用」の崩壊だった。時代|歴史|昭和1.5万字5 110 -
完結第11話
「ただいま」と帰った亡き夫
昭和31年、雪の降る京都北部の小さな町。 佐和子は、夫の隆一、12歳の娘・節子、6歳の息子・正彦と、穏やかな日々を送っていた。だが節子の実父は、11年前に戦死したはずの男だった。 遺骨もなく、写真だけを墓に納め、何年も帰りを待ち続けた佐和子。やがて彼女は、残された親子を支え続けてくれた隆一と再婚し、ようやく「戦争は終わった」と思えるようになっていた。 そんなある雪の日、玄関に見知らぬ男が立っていた。 痩せた頬、古びた外套、白髪の混じった髪。けれど、その目だけは忘れようのない人だった。 「ただいま」 死んだはずの夫・信夫が、11年ぶりに帰ってきた。 帰る場所を信じ続けた男と、死別を受け入れて生き直した女。残された母娘を守ってきた男。そして、写真の中でしか知らなかった父と向き合う娘。 誰も悪くない。誰も裏切っていない。 それでも、11年という歳月は、ひとつの家族を静かに変えてしまっていた――。昭和1.6万字5 288 -
完結第10話
帰った家に、知らない親子がいた
昭和19年、東京・深川に暮らす11歳の佐野正一は、母に見送られて長野の寺へ集団疎開する。 「戦争が終わったら、またここへ帰ってくるんだから」 その言葉を信じ、正一は疎開先で家族からの便りを待ち続けた。けれど昭和20年3月、東京を襲った大空襲のあと、母からの葉書は一枚も届かなくなる。 終戦後、ようやく深川へ戻った正一を待っていたのは、見覚えのある町ではなかった。焼け跡、消えた目印、変わり果てた道。そして、かつて自分の家があった場所には、見知らぬ母娘が暮らす粗末な小屋が建っていた。 「ここ、僕の家です」 そう訴える正一に、女は一つの焦げた表札を差し出す。そこには、確かに「佐野」と書かれていた。 なぜこの女は、佐野家の表札を持っていたのか。 正一の母は、あの夜、何を託したのか。 これは、戦争で家も家族も失った少年が、“本当に帰る場所”の意味を知っていく物語。時代|昭和1.5万字5 277 -
完結第11話
2本のさつま芋
「母ちゃんが、闇米を買っています」 昭和24年、14歳の正夫は、自分の母を交番へ突き出した。 父を戦争で亡くし、幼い弟妹を抱えながら必死に働く母。けれど正夫は、学校で教えられた「闇取引は悪いこと」という言葉を信じていた。 翌日、警察が家に来た。米袋を調べられ、母は事情を聞かれることになる。玄関で泣きじゃくる妹。母の袖をつかむ幼い弟。そして、最後に正夫を見つめた母は、怒鳴ることも責めることもなく、ただ一言だけ残した。 「弟たちを頼むね」 その夜、台所には食べ物がほとんど残っていなかった。 正しいことをしたはずなのに、なぜ家族は泣いているのか。 空腹の夜を越えた正夫は、初めて気づくことになる。 自分が守った「正しさ」は、誰を救い、誰を傷つけたのか――。時代|昭和1.7万字5 3282 -
完結第10話
尋ね人が呼んだ母の旧姓
昭和33年の冬、夕食後の茶の間に流れていたラジオの「尋ね人」で、15歳の和夫は思いがけない名前を耳にする。 「旧満州より引き揚げた、旧姓・高橋文子さんを探しています」 それは、母の結婚前の名前だった。 さらに放送では、東京に住む19歳の女性が、文子を「母」と記憶していると告げられる。家族が凍りつく中、母は突然ラジオを消し、「知らない人よ」とだけ言って口を閉ざした。 翌朝、母は一枚の書き置きを残して東京へ向かう。 本当に母には、家族に隠していた娘がいたのか。なぜ戸籍にも記録がないのか。そして、戦後の混乱の中で文子がついた「ひとつの嘘」とは――。 ラジオから流れた一つの旧姓が、13年間閉ざされていた家族の過去を静かに開いていく。昭和1.5万字5 660